キャリアハイの平均35.4得点を記録した2005-06シーズン、劣勢となったラプターズ戦に後半だけで55得点をたたき出す
1月27日(現地時間26日、日付は以下同)のヘリコプター墜落事故により、コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)が帰らぬ人となったことで、世界中が甚大なショックを受けている。
20シーズン全てをレイカーズ一筋でプレーし、バスケットボールに全てを捧げてきたコービーがNBAで成し遂げてきたことは枚挙にいとまがないのだが、ここでは歴代最高級のスコアリングマシンと化していたコービーについて、振り返ってみたい。
キャリア10年目となった2005-06シーズン。レイカーズはフィル・ジャクソンHC(ヘッドコーチ)が2シーズンぶりに復帰し、コービーを絶対的なエースとして戦っていた。
このシーズンにコービーはキャリアハイとなる平均35.4得点をマークし、キャリア初の得点王を獲得。前シーズンにプレーオフへ出場できなかった悔しさをプレーでぶつけ、アンストッパブルなスコアラーとして君臨。
そして06年1月23日のトロント・ラプターズ戦で、伝説として語り継がれる“81得点ゲーム”が生まれた。コービーは1試合における得点として、ウィルト・チェンバレン(元フィラデルフィア・ウォリアーズほか/100得点)に次ぐ、NBA歴代2位という超人的な記録をたたき出したのである。
この日のレイカーズは前半を終えて49-63と劣勢だったものの、後半に入ってコービーが12連続得点で追い上げを図る。だがラプターズもクリス・ボッシュやモーリス・ピーターソン(共に元ラプターズほか)、ジェイレン・ローズ(元インディアナ・ペイサーズほか)が加点し、第3クォーター中盤まで2ケタリードを死守。
だがそこからコービーがさらにギアを上げ、第3クォーターだけで27得点を奪取。大エースの活躍で、レイカーズは6点リードで第4クォーターを迎えたものの、ラプターズが粘り、1ケタ点差の展開に。
するとコービーは、ジャンパーにレイアップ、3ポイントにフリースローと、あらゆるスキルをコート上で見せつけ、最後の12分間で驚異の28得点。このクォーターでレイカーズが挙げた31得点のうち、ラマー・オドム(元レイカーズほか)の3ポイントを除く全得点をもぎ取り、122-104で勝利へと導いたのである。
「コービー・ブライアントの珠玉のハイライト集を見てみると、あの試合で見せたプレーは皆無に等しい」とローズが指摘
コービーの急逝から一夜明けた28日。『ESPN』の番組“Get Up”に、コービーの81得点ゲームを対戦相手として戦ったローズが出演し、「81得点した夜、最も信じられないこととして思うのは、彼が全くトラッシュトークをしなかったこと。そしてハイライトに残るプレーがなかったこと」と振り返った。
この試合、コービーはフィールドゴール46投中28本、3ポイントを13投中7本沈め、フリースローも20投中18本成功させたが、その試合のハイライトを見なければ、81得点ゲームのコービーを見ることはないとローズは言う。
「コービー・ブライアントの珠玉のハイライト集を見てみると、あの試合で見せたプレーは皆無に等しい。もし誰かがトラッシュトークをしたら、そいつをコートから追い出してやりたいと思うものだ。彼はそういう連中を何度も何度も叩きのめしてきたからね。だがあの試合で、彼はガチで最後まで(トラッシュトークなしに)プレーを続けたんだ」。
ローズが言うように、コービーは2、3人がかりでガードしてきたラプターズのディフェンス陣を前に、何本もタフショットを決め切り、歴史的なペースで点を積み重ねていったものの、ハイライトシーンに残りそうなクロスオーバーやアンクルブレイク、華やかなダンクや目の覚めるような鋭いアシストはなかった。
とはいえ、コービーのキャリアを振り返るうえで、81得点ゲームは不可欠なモーメントの1つ。チェンバレンの100得点と同等に、今後リーグの超絶スコアラーたちがコービーの81得点を塗り替えることができる可能性は低いのではないだろうか。