3連覇をかけた2002年のファイナルで新興勢力のネッツをスウィープ
1992年のドラフト全体1位でオーランド・マジックから指名されたシャックことシャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)は、計6チームでキャリア19シーズンをプレーし、2016年にバスケットボール殿堂入りしたレジェンド。
216センチ147キロという圧倒的なパワーとサイズに似つかわしくないクイックネスを持つセンターとして、90年代後半から00年代前半にかけて、リーグトップクラスのセンターとしてインサイドを制圧してきた。
キャリア平均23.7得点10.9リバウンド2.5アシスト2.3ブロックを誇るビッグマンは、マジック在籍時の95年、レイカーズ在籍時の00、01、02、04年、マイアミ・ヒート在籍時の06年と、NBAファイナルに計6度出場し、95、04年を除く4度チャンピオンに輝いている。
特にレイカーズ在籍時の00年代前半は、まさに全盛期の真っ只中。00年から02年の3連覇において、シャックはいずれも平均33得点12リバウンド以上をたたき出し、3年連続のファイナルMVPを獲得して文句なしに世界最強センターとしての称号を手にしていた。
3月23日(現地時間22日、日付は以下同)に『Heavy』へ掲載された記事の中で、シャックはブランドン“スクープB”ロビンソンへ、ニュージャージー・ネッツと戦った02年のファイナルが「退屈だった」と明かした。
「あの年は退屈だった。なぜって、(相手の)センターの名前は何だっけ、トッド・マッカロー? 彼が俺とプレーしていたかって? やめてくれ。俺たちがジャージーでプレーしていた時、俺は頭に来ていたんだ」。
シンデレラチームと百戦錬磨のチャンピオンという構図の中、ネッツは奮闘も…
当時のネッツは殿堂入りポイントガードのジェイソン・キッド(元ダラス・マーベリックスほか)を中心に、ケニョン・マーティン、キース・バン・ホーン、ケリー・キトルズ(いずれも元ネッツほか)にマッカロー(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)というスターターでイースタン・カンファレンスを勝ち上がったシンデレラチーム。
前シーズンは26勝56敗と低迷していたが、キッドの加入を機にチームは一変。マッカローは01年のファイナルでまずまずの仕事をこなしたことでフリーエージェント(FA)としてネッツに加入し、チームはバランスの良いオフェンスと機動力を駆使したディフェンスを武器に、イーストトップの52勝30敗を記録していた。
だが、結成初年度のネッツに対して、2連覇中のレイカーズは百戦錬磨のチャンピオンと、チームとしての戦力差は歴然。シャックの周囲にはコービー・ブライアント(元レイカーズ)に加え、リック・フォックスやロバート・オーリー、ブライアン・ショウといったベテラン陣、堅実なデレック・フィッシャー(いずれも元レイカーズほか)が脇を固めており、シリーズは4戦無敗でレイカーズに軍配。
中でもシャックはマッカローやバックアップのジェイソン・コリンズ、アーロン・ウィリアムズ(共に元ネッツほか)を寄せ付けず、シリーズ平均36.3得点12.3リバウンド3.8アシスト2.8ブロックと圧倒。フィールドゴール成功率59.5パーセントをマークし、ネッツ相手に格の違いを見せつけた。
当時キャリア2年目だったマーティンは、206センチ106キロの体格と高い身体能力を駆使して複数のポジションをガードしていたものの、さすがにシャックをガードすることは荷が重すぎた。
以前、『Scoop B Radio Podcast』へ出演したマーティンが、当時についてフロアにいる全員がインサイドをカバーしなければならず、「シャックはシリーズを通して支配的だった。俺たちはコートに出て、あのレベル相手にプレーしなければならなかったんだ」と話したように、ネッツはシャック相手にお手上げ状態だったことは間違いない。
ネッツはシリーズの中でレイカーズからリードを奪う場面もあったが、レイカーズがギアを上げると対抗できず、1勝もできずにシリーズを終えた。
シャックの発言は当時ネッツでプレーしていた選手たちや関係者、ファンにとっては屈辱的だろう。だがシリーズ全体を振り返ると、真っ向から否定することはできないのではないだろうか。