「全盛期に繰り広げてきたスパーズとレイカーズによる名勝負の数々を、僕はこの先もずっと好きであり続けるだろうね」
5月5日(現地時間4日、日付は以下同)。トニー・パーカー(元サンアントニオ・スパーズほか)が『ESPN』の“The Undefeated”のインタビューに応じた。
昨季までの18シーズンのうち、スパーズで17シーズンをプレーしたパーカーは、4度の優勝に6度のオールスター選出、4度のオールNBAチーム選出に加え、2007年にはファイナルMVPを受賞するなど、輝かしいキャリアを送ってきた。
昨年12月に来日時、パーカーは「若い世代を育てようと思ったから」という理由で「トニー・パーカー・アデクアット・アカデミー(TPAA)」を開校することを明かした。フランスで2番目に大きな街、リオンにある男女のチームでオーナーを務めるパーカーは、現在もアメリカで暮らしているという。
「このままずっとアメリカにいようと思ってる。もう20年くらい住んでるからね。どこか他のところへ行こうとは思ってないんだ」と話したパーカーは「究極のゴールは、いつかNBAチームを所有すること」と大きなゴールを掲げていた。
スパーズ在籍時、レギュラーシーズンやプレーオフでパーカーはコービー・ブライアント率いるロサンゼルス・レイカーズと何度も激突してきた。今年2月25日にステープルズ・センターで行われたコービーの人生を祝福する“The Celebration of Life”にはスパーズのグレッグ・ポポヴィッチHC(ヘッドコーチ)やティム・ダンカン(元スパーズ)、デマー・デローザンらと共に出席。パーカーはこのイベントに出席したこと、そしてコービーについてこう話している。
「あそこへ行くことは重要だった。彼は常に僕のキャリアへ影響を与えてくれたんだ。彼は僕のためにアドバイスを送ったり、メッセージを送ってくれた。彼はもう、本当に信じられない選手なんだ。僕が史上最高だと思ってるマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)に最も近い選手かもしれないね。僕は全盛期のコービーと対決してきた。僕らの全盛期に繰り広げてきたスパーズとレイカーズによる名勝負の数々を、僕はこの先もずっと好きであり続けるだろうね。彼が亡くなってしまったことを本当に寂しく思う」。
コービーはパーカーにとってライバルチームのエースであると同時に、キャリアを支えてくれた陰の功労者だったようだ。そしてパーカーが最後にコービーと顔を合わせた時のことをこのように明かした。
「最後にコービーと会ったのは中国だった。昨年のFIBAワールドカップで(グローバル)アンバサダーを務めていたからね。一緒に座って女子バスケットボールなどについて話したんだ。彼とはもう会えないなんて、ただただ寂しいよ。女子バスケットボール界でもっと一緒にいろんなことができたら良かったのに」。
ビジネスマンに転身したパーカーは、自身のアカデミーやオーナーを務めるチームを成長させるべく、この先も積極的に活動していくと大いに期待したいところだ。