2019.12.07

日本を楽しむトニー・パーカー「スパーズはすべてのスポーツにおいても特別な球団」

パブリックビューイングでファンやメディアの前に登場したパーカー[写真]=Basketball King
NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに。現在はNBAやBリーグのライターとして活動中。

「若いのに、非常に成熟したプレーをしている」と八村塁を称賛

 12月6日。原宿クエストホール(東京都渋谷区)にて、『NBA Rakuten GRAND EXPERIENCE Public Viewing Party with Tony Parker』が行われた。

 今回のパブリックビューイングイベントは、現地時間5日にワシントンD.C.で行われたワシントン・ウィザーズ対フィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦の模様を会場に集まったファンがゲストと共に楽しむもの。

 この日のゲストは渡邉拓馬氏(元日本代表/現3x3プロバスケットボール選手)と山口大輔氏(元サンアントニオ・スパーズ アシスタントアスレティックトレーナー)、そしてスペシャルゲストとして、昨季終了後に現役を引退し、先月スパーズ史上10人目の永久欠番となったトニー・パーカー(元スパーズほか)が登場。

 スパーズの下部組織(現Gリーグ)に在籍した経験も含め、長年パーカーを間近で見てきた山口氏が「トニーはすごいプロフェッショナルですね。勝ちとか、結果にこだわるというのがすごく強いです。これをやる、って決めたらやる。でもやりたくないって思ったらやらない。はっきりしてるタイプの選手です」と現役時代のパーカーについてコメントするなど、当時の秘話を明かした。

 パーカーはハーフタイムに会場へ姿を現すと、ゲスト2人とMC MAMUSHIと共にトークショーを展開。八村について「とてもいい活躍をしていると思います。ドラフトで1巡目指名された初の日本人ということを知っていますけど、ここまで先発としてたくさんの時間を与えられていますし、今後も成長することができるでしょう。若いのに、非常に成熟したプレーをしているので、それは長いキャリアを送るうえで優れた武器になると思います。実は今日、彼の母親に会ったんです。その時に、『なるほど。だから塁はこんなに成熟している男性なんだなぁ』ということが分かりました」と称賛。

 質問に答える際には、「ダイス(山口氏の愛称)がこんなに日本で有名人だとは思っていませんでした(笑)」といったジョークを口にし、会場を笑顔に包むなどユーモアを見せていたパーカー。

オープニングトークで会場を盛り上げた3人(左から山口氏、渡邉氏、MC MAMUSHI)[写真]=Basketball King

パーカーのルーキーシーズンを一変させたポポヴィッチHCの言葉「19歳であろうがフランス出身であろうが、お前が先発だ」

 今では外国籍出身選手が100人以上もNBAに在籍しているのだが、パーカーがNBA入りした2001年はリーグにはほとんどおらず、1チームに1人在籍しているだけで注目を集めるほどの人数だった。パーカーは自身のキャリア初期をこう振り返っていた。

「ヨーロッパ出身のポイントガードはまず存在しませんでした。リーグにもあんまり外国籍出身選手はいなくて、僕とダーク・ノビツキー(元ダラス・マーベリックス)、パウ・ガソル(今季途中にポートランド・トレイルブレイザーズのコーチングスタッフへ就任)くらいでしたので、まず周りの選手からのリスペクトを勝ち取ることから始めないといけなかった。それは対戦相手だけじゃなくて、チームメート、(グレッグ・)ポポヴィッチHC(ヘッドコーチ)からもリスペクトされるように頑張らないといけないことがありました。ティム・ダンカン(元スパーズ/現アシスタントコーチ)なんて、1年間僕に話かけてくれないようなくらい、『フランス人がポイントガードなんて、できないだろう』というように言われてたくらいだったので、それを乗り越えないといけなかったから、今とは異なる環境でした」。

19歳でNBAデビューしたパーカー。様々な逆境を乗り越え、リーグを代表するポイントガードの1人となった[写真]=Getty Images

 だがパーカーはルーキーシーズン序盤にスパーズで先発ポイントガードの座を手に入れた。ポポヴィッチHCとのエピソードをこう明かしている。

「あなたが19歳だと思ってください。(NBAで)4試合しか経験していないのに、飛行機の中でポップ(ポポヴィッチHCの愛称)に『お前、明日先発な』と言われるという、この怖さが分かりますか?(笑) 僕はクレイジーなコーチがいてラッキーでした。『19歳であろうがフランス出身であろうが、お前が先発だ』と言ってくれたので、非常にクールでした」。

 これを機に、パーカーはプレーオフ常連チームにおける不動の先発ポイントガードとなり、17シーズンもの間、主力を務め上げた。キャリア最後のシーズンとなった昨季こそ、シャーロット・ホーネッツでプレーしたものの、パーカーといえばやはりスパーズの印象が強い。

 メディアを前にした会見で、スパーズを離れたことで感じたことについて聞かれると、「スパーズは世界中、すべてのスポーツにおいても非常に特別な球団なのは分かっていたこと。そういった意味では新しい発見というのはなかった」と語るほど、パーカーとスパーズというのは切っても切れない縁と強く感じさせた。

メディアに向けた会見でも時折ジョークを交えつつ、真剣な眼差しで言葉を選んで発していたパーカー[写真]=Basketball King

「2014年の優勝は、7年かかったこともあって、全てを覚えています」

 そんなパーカーへ、キャリアの中で最もうれしかった瞬間について聞いてみると、「間違いなく4度の優勝ですね」と口にし、それぞれの優勝についてこのように振り返ってくれた。

「2003年の1回目はまだキャリア2年目だったので、本当にいろんなことがすごく早く動いていって、信じられないような経験でした。2005年(2回目)は第7戦まで行って、あと1試合で全てが決まるという、スーパーボウル(NFL)のような試合をホームで制して優勝したことがうれしかった。2007年(3回目)は当然、僕がファイナルMVPになりましたので特別です。そして最後の2014年(4回目)は、7年かかったということもあって、全てを覚えています。シーズン中の細かいことを覚えているので、どれか1つを挙げろと言われたら、4つ目を選ぶかな」。

自身4度目の優勝を飾り、トロフィーを掲げるパーカー(中央)[写真]=Getty Images

 フランス代表としても活躍したパーカーは、4度の優勝に加えて6度のオールスター選出、4度のオールNBAチーム選出と、輝かしい実績を数多く残してきたため、将来のバスケットボール殿堂入りが確実視されているレジェンド。

 スパーズで永久欠番になって約1か月後に来日し、ファンと交流を図ったパーカー。イベント時間は決して長くはなかったものの、その話し方や振る舞いには知性があふれていて、絶妙なユーモアセンスの持ち主だった。

文=秋山裕之

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