「最初の試合が始まってすぐ、彼がスペイン語で話し始めたんだ。対戦相手たちは理解できなかったから、すごく笑えたよ」とガソルが明かす
2008年2月2日(現地時間1日、日付は以下同)。ロサンゼルス・レイカーズは4選手と将来のドラフト1巡目指名権2本を放出し、メンフィス・グリズリーズからパウ・ガソルと将来のドラフト2巡目指名権を獲得した。
当時レイカーズはコービー・ブライアント(元レイカーズ)を中心に、ラマー・オドムやデレック・フィッシャー、アンドリュー・バイナム(いずれも元レイカーズほか)らがサポート役を務め、29勝16敗という好成績を残していたのだが、ウェスタン・カンファレンスを勝ち上がり、優勝を目指すにはパンチ力不足という状況だったのだが、主力を出さずに元オールスタービッグマンを加えたことで、一躍優勝候補へと浮上。
スペイン出身のガソルは213センチ113キロの万能型ビッグマン。ポストプレーからドライブ、ミドルレンジショットなど柔らかいシュートタッチで沈めることができるだけでなく、ビッグマンとしてはリーグ有数のパサーであり、高さと長さを駆使したリバウンドとブロックでもチームに貢献できる、レイカーズが求める“ラストピース”だった。
ガソルはレイカーズデビュー戦で早速24得点12リバウンド4アシストと活躍して勝利に貢献。新加入選手とは思えないほどレイカーズへとフィットし、コービーに次ぐレイカーズ第2の男として08年から3年連続でNBAファイナル進出を後押しし、09、10年の2連覇の立て役者の1人となった。
今年1月末にコービーが他界したことで、元チームメートとして感情を露わにしたガソル。チームメートになってからも08年の北京オリンピック、12年のロンドンオリンピックでは決勝戦で対戦相手としてマッチアップし、ガソルがシカゴ・ブルズへ移籍後も、オールスターで笑顔を見せるなど、両選手の間で醸成されたケミストリーは見事なものだったと言っていいだろう。
レイカーズで約7シーズンを共にしたコービーとガソルにとって、両者のケミストリー構築を早めた要因について、ガソルは5月12日に公開された『ESPN』の番組内でこう明かしていた。
「最初の試合が始まってすぐ、彼がスペイン語で話し始めたんだ。僕らの注目度やプレーについてね。あれは最高だった。彼は幼い頃に父親がイタリアでプレーしていたから、少しイタリアに住んでたことでイタリア語がうまいのは知ってたけど、まさか最初にスペイン語で話しかけてくれるなんて思ってもいなかったんだ」。
今でこそ外国籍出身選手がNBA全体で100人を超えているものの、当時はまだそこまで多くはなかっただけに、ガソルも驚いたのだろう。だがコービーはスロベニア出身のルカ・ドンチッチ(ダラス・マーベリックス)へ話しかける時もスロベニア語で話しかけるなど、相手への気遣いにも長けていたようだ。ガソルはこう振り返っている。
「コービーの妻ヴァネッサがスペイン語をすごくうまく話すんだ。だからきっと、彼は彼女からいくつか聞いてたんだろうね。もう本当に最高だったよ。特に最初のシーズンで、僕らは互いにスペイン語で話すことがあってね。対戦相手たちは理解できなかったんだ。『あの2人はいったい何を言ってんだ?』という感じだったから、すごく笑えたよ。でもそのことが僕らの関係を構築し、トーンをセットしてくれたのさ」。
コービーがガソルという待望のビッグマンの加入を喜んだことは間違いない。そしてそのコービーが期待の新戦力に対して見せた“気遣い”によって、レイカーズは新たなチームとして急速に成長を遂げ、覇権争いに加わることができたに違いない。