2022.08.27

ヒートで2011年にファイナル進出を飾ったOBは語る「彼らはスポーを追い出したがっていた」

ヒート時代のレブロン(左)とスポールストラHC(右)[写真]=Getty Images
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 2010年夏。マイアミ・ヒートレブロン・ジェームズ(現ロサンゼルス・レイカーズ)、クリス・ボッシュ(元トロント・ラプターズほか)という、当時リーグ屈指の実力者が加入し、ドウェイン・ウェイド(元ヒートほか)と“スリーキングス”を形成。

 これまでビッグ3と言えば、30代に突入し、なんとしてでもチャンピオンシップを勝ち取るべく、かつて競い合ってきた選手たちが1つのチームに集結するケースが大半だった。

 だがヒートはウェイドが28歳、ボッシュが26歳、レブロンが25歳と、選手として全盛期にある20代で同じチームへ集結したこともあり、ビッグ3形成後に大きな注目を浴びる一方で、批判も受けていた。

 全米いや世界中の注目を集める中で迎えた10-11シーズン。ヒートはイースタン・カンファレンス2位の58勝24敗を残したものの、開幕17試合を終えた時点で9勝8敗と、チームはなかなかかみ合わずに苦戦。

 ヒートのヘッドコーチ(HC)として06年に球団史上初のNBAチャンピオンへと導き、当時は球団社長となっていたパット・ライリーは「選手たちは私がコーチングするのかどうか不思議に思っていた。そこで私は『見てみろ。エリック(スポールストラ)がヘッドコーチだ。私は彼をサポートする。コーチングすることに私は興味がない』と言ったんだ」と話しており、さらにこうも口にしていた。

「彼ら(選手たち)の心の中には、私が(現場へ)復帰してコーチをするかもしれないと何度も思っていたのだろう。だが私は(コーチとしては)やり遂げた。また戻りたくはなかった。それにエリックはすばらしいコーチだ。この2年間でプレーオフにも進んだ。彼は3人のスーパースターをコーチしたことがなかったということ。(ヘッドコーチとして)2年の経験しかないヘッドコーチであれば、誰だってタフな変化だった」。

 ヒートはイーストを勝ち上がって11年にNBAファイナルへ進出し、ダラス・マーベリックス相手に一時は2勝1敗とリードしたものの、第4戦から3連敗を喫して優勝を逃した。12、13年に2連覇、14年にもファイナル進出を果たしたとはいえ、スポールストラHCにとっては辛い状況だったのだろう。

 11年にヒートでプレーしたエディ・ハウス(元ヒートほか)は、先日ポッドキャスト番組「The Odd Couple」へ出演した際、こう語っていた。

「そうなるところだった。彼ら(レブロンら)はスポーを追い出したがっていた。でもパットが『そんなことしないぞ! 我々は彼と共に勝利を重ねていく。私はその成り行きを見守っていくんだ』。パットはそう言ったのさ」。

 スポールストラHCはヒートの指揮官として今季で15シーズン目を迎える。11年から14年まで4年連続、20年にもファイナル進出を飾っており、12、13年と2度の優勝を手にしてきた。

 今でこそ現役屈指の名将となったスポールストラ。だが当時のライリーの言葉やハウスの発言から、もし11年のプレーオフでヒートが早期敗退していたら、あるいはライリー球団社長のサポートがなかったら、今の姿はなかったのかもしれない。