【B2探訪】キャリア15年で10チームを経験。バスケ界の“生き字引”Fイーグルス名古屋の栗野譲がBリーグを、バスケの歴史を、そして渡邊雄太を語る

2016年9月に誕生したBリーグ。華々しい開幕戦は地上波のゴールデンタイムに放送。LEDコートの敷設を含め、これまでのアリーナ演出の常識を覆すようなド派手な演出は、新しいスポーツエンターテイメントの誕生を十分に感じさせる内容であった。あれから1年。誕生時のような派手な開幕プロモーションはないものの、各クラブのホームアリーナへ足を運ぶファンも少しずつ増加している。

2017年11月に発表された『B.LEAGUE Monthly Marketing report』によると、観客数は、B1、B2を併せて昨年比4パーセント増加、特筆すべきはB2で21パーセントの増加を見せている点だ。昨季B1で戦った人気チーム、秋田ノーザンハピネッツがB2へ降格したことも観客の大幅増の一因と考えられるが、今季の観客動員で大幅に貢献しているのが、ファイティングイーグルス名古屋(以下、FE名古屋)だ。FE名古屋は昨年平均で887人、B2全体の14位と集客に苦戦。今季は現時点で平均1992人の4位と躍進を遂げている。シーホース三河名古屋ダイヤモンドドルフィンズ三遠ネオフェニックスと愛知県内にはプロバスケットボールチームがひしめきあっており、B2所属となるとどうしてもニュースで取りあげられることも少ない。

『バスケットボールキング』では、今季観客動員で健闘するFE名古屋について、選手たちのインタビューを通して、どのようなチームなのかを探ってみた。第1回目はキャリア15年の中で10チームを経験したベテラン栗野譲だ。

36歳の栗野は195センチ100キロのパワーフォワードで、アメリカのマウント・オリーブ大学を卒業後、2003年にJBLのオーエスジーフェニックス(現三遠ネオフェニックス)へ入団。2005年、この年から発足したbjリーグ(日本プロバスケットボールリーグ)にて記念すべきドラフト1巡目1位で大分ヒートデビルズ(現愛媛オレンジバイキングス)に入団すると、三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ(現名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、レバンガ北海道広島ドラゴンフライズなどでプレーした。昨季開幕前に島根へ加入すると、レギュラーシーズンで130得点(1試合平均2.4得点)170リバウンド(同3.1リバウンド)を記録。キャリア15年目となる今年、新たなるチームとしてFE名古屋を選択した栗野は、自身が設立したスポーツビジネスおよびアパレル関係の会社社長の顔を持つ二足の草鞋を履く選手でもある。

インタビュー=村上成
写真=Bリーグ

――選手キャリア15年目を迎え、FE名古屋が10チーム目になります。プレーの特徴を教えてください。
栗野 15年目なのでプレースタイルは変化していますが、近年はスクリーンプレー、ディフェンス、リバウンドが特徴です。ピック&ロールで攻め、ミドルシュートも得意になってきました。おじさんになったので、ドライブするのが辛いですね(笑)。ポップ(スクリーンをかけた後に外側に素早く開くプレイ)は毎回するわけではありませんが、ボールがローテーションで回ってる時に空いているタイミングでミドルシュートを打つが多いです。ロール(ゴール方向に向かって切り込む動きのこと)をして相手のディフェンスを引きつけることもあります。

――若い頃のプレースタイルは?
栗野 走ったり、運動能力を活かしたりしたプレーで、ダンクもしていました。ハーフなので運動能力はすごく高く、アメリカではスモールフォワードでしたが、日本ではパワーフォワードを任されました。当時、力はそこまで強くなかったのですが、ジャンプ力は外国籍選手と同じくらいでした。もちろん、いろいろなコーチの下でプレーしてきたので、それぞれのチームで自分の長所を活かしつつ、新しいことを学んできました。

――移籍するチームによって求められることは違いますよね。
栗野 そうですね。移籍を繰り返していてネガティブに思う人もいますけど、バスケットボール人生を考えるとそれも一つの財産だと思っていて、様々なバスケを勉強させてもらっています。

――bjリーグ、NBLを問わずにいろいろなチームに在籍しましたが、自分の中で心身ともに最盛期だったのはいつですか?
栗野 自分が移籍をしていく中でいろいろな分岐点はあると思いますが、最初の分岐点はレバンガ北海道(2011-13)でしょうか。北海道には新しい発見がありました。プロリーグ(bjリーグ)でも、企業チーム(JBLスーパーリーグ)でもプレーして、実はレバンガに入る前の三菱(電機ダイヤモンドドルフィンズ/現名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)を去った2010年に引退しようと思っていたんです。

――そうだったんですね……。
栗野 結構前の話なんですけど(笑)。その夏、ベルリッツ(英会話スクール)でバイトを始めて、バスケットボールスクールを立ちあげた時期でもあったんです。ちょうど30歳にもなったので。

――それはセカンドキャリアを考えてのことですか?
栗野 はい。2007年に自分の会社を始めて、ここで自分の会社に集中しようかなと思う時期でもあったんです。しかも、自分が新人の時に、中村和雄(元bj秋田他)監督と会話して、「お前何歳までやりたいんだ」と言われ、「せいぜい32歳くらいまでしかやりたくありません」と話していて(苦笑)、ふと、そのときのやりとりを思い出したんだと思います。

――現役を続けた理由は?
栗野 その時、レラカムイ北海道がなくなり、折茂(武彦/レバンガ北海道)さんが手を挙げて北海道バスケットボールクラブの社長になりました。それを外から見た時に、もう少しバスケをしたいという気持ちが芽生えて、クラブと連絡を取り合う中で、チームを一から作り直すというやりがいも感じました。いつも新しいことをしたいタイプの人間なので。トヨタ(トヨタ自動車アルバルク/現アルバルク東京)に優勝をもたらしたトーステン・ロイブルさんがレバンガのヘッドコーチに就任しましたし、彼のバスケットを学びたかったということもあります。また、選手たちがすごくハングリーで新鮮だったんです。やっぱり、今までの環境で、オーエスジー(フェニックス/現三遠ネオフェニックス)に行けば中村和雄さんがチームを締めてくれて、三菱ではいろいろな意味で再生できて(笑)。bjリーグでは大分(ヒートデビルズ/現愛媛オレンジバイキングス)に在籍し、ドラフト1巡目指名だったので待遇は悪くなかったんですよ。自分のバスケ人生は恵まれていて、何もないところでバスケをすることはなかったのですが、あえて日本で一番寒いところに移籍しました。

――環境面はいかがでしたか?
栗野 自分が思うような給料はもらえないし、とても厳しい状況でした。けど、自分を含めた選手全員がバスケにチャレンジして、ハングリーで、誰一人文句を言いませんでした。自分の好きなチームのトップ3に入るチームです。挙句の果てにプレーオフを1ゲーム差で逃して悔しさを味わいました。そのシーズン終了後には、やっぱりバスケットボール好きだなと思えました。

――充実した選手生活を送ることができましたか?
栗野 当時付き合ってた、今の妻から「契約をしてもらえなくなるまではバスケを続けたらどう?」と言ってもらえて。自分ができなくなるまでやってみようという気持ちにもなりました。

――話が戻ってしまいますが、bjリーグ立ち上げ時に大分から1巡目指名がありましたが、その時の率直な感想を聞かせてください。
栗野 光栄に思いつつ、でもやっぱり甘えがあったと思うんです。もちろん、プロとして精一杯プレーはするつもりでしたが、自惚れしたり、粋がったりする部分もあったかなと思います(笑)。日本がバスケで盛りあがり始める時期でもあり、大分という少し離れたところにいたこともあって、天狗になっていたかもしれません。

――キャリアが長いだけに、振り返るポイントがたくさんありますね。
栗野 たくさんありますが、日本バスケの成長過程を味わえたと思っています(笑)

――栗野さんは、日本バスケの“生き字引”的な存在ですよね。そんな中、bjリーグとNBLが統合して昨年からBリーグが始まりましたが、Bリーグが誕生すると聞いた時はどういった気持ちでしたか?
栗野 やっぱり2つのリーグが統一するということで、自分としても、とても嬉しかった。興行面や協賛を考えた時、分裂しているというのは一つのネックで、統合されておらず、内部でいがみ合っているものを支援したくないという企業が多かったと思います。そういった意味でプレイの質だけではなく、興行面でも大きいです。リーグが一つになることによって、今の子たちが目指すべき場所ができ、これから切磋琢磨をしてうまくなってやろうとも思えるはずです。

――バスケットの話題が増えたという実感はありますか?
栗野 ありますね。一番ビックリしたのが、FE名古屋に来て、栄のスターバックスに行ったら、「イーグルスの選手ですか?」と声をかけられました。B2のチームなのに知っていてすごくビックリでした。昨季所属した島根(スサノオマジック)は旧bjリーグで、地方の球団なので、よくあることでしたが、名古屋に来て1週間くらいで声を掛けられて驚きました。名古屋にはドルフィンズがあって、B1なので地上波に出る機会も多いと思いますが、FE名古屋は目にする機会が少ないですしね(笑)

――それは、新しいリーグが浸透してきたと実感できますね。ところで、栗野選手はプロバスケットボール選手としての一面とは別に、2005年にはジョージ・ワシントン大学に入学していますが、具体的にどういったことを勉強したのですか?
栗野 経営学部の観光運営学科に入り、スポーツマネジメントを専攻として学んでいました。もちろん経営学部なので、MBA(経営学修士)と同じような必須科目の授業を受けて、観光運営やスポーツマネジメント系のものを専門的にやっていました。

――経営的な視点から、今のBリーグの魅力は何だと思いますか?
栗野 今取り組んでいることは正解だと思ってます。これまで何名かの役員の人たちとお話する機会がありましたが、リーグは役員にしっかりとした人選をしていますし、彼らを使えばリーグとして絶対成長していくはずです。あとは時間の問題だと思います。

――今後、Bリーグが伸びていくためにはどんなことが必要でしょうか?
栗野 間違いなく2020年の東京オリンピックです。プロリーグを作るだけではなく、世界と戦わなければいけないと思っています。サッカーもJリーグができたあと、数年経ってワールドカップに出れるようになったじゃないですか。プロ野球では、日本はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で2回も優勝しています。野茂(英雄)選手がメジャーリーグに行くまで、世界で2番目、3番目って思われていましたが、野茂選手がアメリカへ行ったことによって他のプロ野球選手も続々と入っていきました。メジャーリーグほどお金はないですけど、世界と戦えるタレントがそろっていると思います。柔道やバレーボールも世界でベスト8に入るだけの強さを秘めているので、日本全体がいかに2020年を活かせるかです。

――日本は出場権も与えられていません。
栗野 出場できるかわからない中、Bリーグ、選手たちがやらなければいけないことは確実に出場枠を得ることだと思います。東京開催なので他の競技のファンや、世界中のファンが東京に来て様々な競技を見ると思いますが、その中でもバスケットボールはメジャーで、サッカーの次に多い競技人口を誇るスポーツです。そこで日本が結果を残すことができれば、世界にも認めてもらえます。先日、千葉ジェッツさんが『The Super 8』に出場し、すごくがんばっていました。アジアの国々の代表はイマイチだけど、クラブチームのレベルでは悪くないと、証明できたと思うので、あとは日本代表が国際大会で何ができるかだと思います。

――リーグと代表の連携が一番大事なのかもしれないですね。
栗野 ジョージ・ワシントン大学では(渡邊)雄太くんが4年生になるので、OBとして応援しています。八村(塁/ゴンザガ大学)くん、アヴィ(シェーファー・アヴィ幸樹/ジョージア工科大学)もアメリカでがんばっていて、彼らが成長した2020年にどうなるかです。広島で一緒にプレーした竹内(公輔/現栃木ブレックス)くんにとっては、現役の集大成になるだろうけど、今大学でがんばっている子たちが日本代表の座を脅かしてほしいし、そうならなければ日本代表が強くなりません。

――複雑ですね。
栗野 竹内くんは元チームメートだったので、現役の最後にオリンピックに出たいという気持ちはあると思いますが、全員で競争してベストメンバーで挑んでほしいです。

――渡邊選手は大学の後輩にあたりますが、彼の活躍はいかがでしょうか。
栗野 学校的にはそうですね(笑)。僕はバスケ部じゃないんですけど。NBA挑戦は今年の出来に懸かっていますが、能力的に間違いなくヨーロッパではプレーできると思います。例えば、ジョージ・ワシントン大はアトランティック10カンファレンスに所属しているので、その中で1試合平均14点から16点くらい挙げればNBAのチームは目を向けてくれるはずです。今のままだと、ワークアウトを重ね、チームに認めてもらえないと難しいと思います。

――微妙なところですね。
栗野 しかも、NBAチームは4年間プレーしている選手はあまり拾わないので。近年は、なるべく若い選手を獲る傾向があります。今年は4回生でもあり、ハードルはすごく高いと思います。1試合平均8点では、彼のエージェントの力次第ですね。エージェントがこれから各チームのところに行って、「ワークアウトしてください」と頼むじゃないですか。しかし、例えばルーキー、ロンゾ・ボール(ロサンゼルス・レイカーズ)なんかは「僕はレイカーズでしかワークアウトしない」と言えて、数字を残している選手は立場が変わるんですよ。NBAのプレードラフトのコンバインに参加し、自分の身長を測りに行くけど、「僕はワークアウトしません」という立場に変わるわけじゃないですか。今の渡邊くんはそれじゃないからこそ、数字を残してそれを少しでも言えるようになれば、ドラフトにも期待ができます。

――今季の活躍に期待ですね。さて、FE名古屋がB1を目指していく中、愛知県にはシーホース三河三遠ネオフェニックス、名古屋Dがありますが、それぞれのチームの印象はありますか?
栗野 ネオフェニックスは古巣ですし、勢いがあるチームだと思います。藤田(弘輝)ヘッドコーチがどういったスタイルのバスケをするのかわかりませんが、太田(敦也)くんをはじめサイズのある選手がいて、シューターの田渡(修人)選手や鹿野(洵生)選手もいます。すごくバランスが取れたチーム構成で、そこの中でどうディフェンスをするか、走るかはカギになるでしょう。三河はどちらかといえば“横綱的”なバスケをするチームですが、今年の補強を見るとやっぱり若返りを図りたいのかなと。市岡ショーン選手と高橋マイケル選手がチームを離れ、桜木(ジェイアール)選手がカギを握ると思います。彼がファウルトラブルになったら苦しい戦いを強いられるでしょう。若返ったのは良かったですが、フォワードの少なさは課題かなと思います。

――桜木選手の代わりが効かないというのが一つの課題ですよね。
栗野 帰化選手のルールがNBLの時と変わってしまったので、そこが後手に回ってると思います。以前のリーグでは4クォーターどこでも出れて、外国籍2人と帰化選手1人の3人が同時にプレーすることもありました。でも、Bリーグになってから帰化選手を含めて2人しかコートに立てず、それが三河の課題なのかなと思います。若返りができたのに、日本人のフォワードがいないので気になります。

――名古屋Dはいかがでしょう?
栗野 ドルフィンズも若いチームです。基本的に走るチームで、張本(天傑)選手もいるし、中東(泰斗)選手もいます。例えば、スイッチができたり、ドライブもあったり、シュートもバランスよくできます。(ジャスティン)バーレル選手を中心にして、彼が相手を引きつけて周りにシュート打たせることも可能です。

――FE名古屋についても教えてください。
栗野 目指しているのは走るチームです。速い展開でバスケをして、得点を量産していく。その中で、今季はディフェンス力をB2のトップクラスに持っていきたいです。シーズンオフはディフェンスを重点的に取り組み、オフェンスでは形の中でうまくプレーできる選手がそろっていて、的を絞られないようなバスケをしたいです。

――一番の見どころはどこでしょうか?
栗野 エネルギッシュにプレーする姿を見てほしいです。チームの調子に伴い盛りあがっていくチームなので、ディフェンスから速い展開で持っていくプレーを見せます。

――ご自身の抱負、今季の目標を聞かせてください。
栗野 チームは昨季、あと一歩のところで中地区首位を逃してしまったので、確実にプレーオフに進出してB1に昇格します!

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