2023.12.18

16年目にして初の日本一は涙ではなく笑顔…デンソー・髙田真希は「散々泣いてきたので」

「散々泣いてきたので、優勝したときは喜びたいなと思っていました」と笑顔がはじけた髙田真希[写真提供]=日本バスケットボール協会
中学や高校、大学などの学生バスケットをはじめ、トップリーグや日本代表と様々なカテゴリーをカバー。現場の“熱”を伝えるべく活動中。

 試合時間残り1分39秒、この時点で87ー52と大きくリードしていたデンソーアイリスの髙田真希は、交代でベンチに下がると、勝利を確信したかのように出迎えたチームメートたちと笑顔でハイタッチを交わした。一緒に交代した赤穂ひまわりと軽くハグをした後は、若手選手たちのプレーにアドバイスを送りながら、にこやかな表情で戦況を見守る。

 そして、そのときが来る。試合終了のブザーが鳴ると、ベンチの前で馬瓜エブリンらとともに抱き合いながら飛び跳ね、喜びを表現した。

 12月17日、デンソーは「第90回皇后杯 全日本バスケットボール選手権大会」の決勝でENEOSサンフラワーズと対戦。第1クォーターを21-13とリードすると、以降も高い集中力を発揮し、高確率でシュートを沈めていく。193センチの渡嘉敷来夢を擁するENEOSを相手にリバウンドでも12本上回り、終わってみれば89-56で快勝。悲願の初優勝を遂げるととともに、ENEOSの11連覇を阻んだ。

 デンソー入団16年目。銀メダルを獲得した東京オリンピックでは女子日本代表のキャプテンを務めた髙田だが、デンソーでは皇后杯とWリーグともにここまで日本一の頂には達していなかった。皇后杯では今大会が8度目の決勝。過去7回はいずれもENEOSの前に敗れている。

 皇后杯だけではない。Wリーグでもデンソーの行先にはいつもENEOSが立ち塞がった。2020-21シーズンのWリーグプレーオフ・セミファイナルでは残り約5分の間に15点差をひっくり返された苦い経験もある。その度に髙田は悔し涙を流してきた。

 決勝戦後、桜花学園高校(愛知県)の後輩でもある渡嘉敷と熱い抱擁を交わすと、すぐにファンのもとへあいさつに向かい満面の笑みで手を振る。続いてヒーローインタビューでは、馬瓜が大きな声で「髙田選手が初めてのタイトルを取ったので」と発すると、場内の拍手中、手を挙げながら「ありがとう、ありがとう」と連呼した。

 髙田自身、インタビューの最後を務めると、コート中央で「やりました〜」と声をあげた。その後、インタビュアーの質問に淡々と答えると、最後は髙田らしい素敵な言葉で優勝の感想を語った。

「私自身、16年やってきて初めて日本一になりました。この舞台に8度立ってようやく達成できました。もちろん、1年目でこういう結果を持てた選手もいます。何かに挑戦するときにうまくいく人やすぐ結果が出る人もいれば、自分みたいになかなか結果を出せない人もいるのかなと多います。自分が日本一を取ったこと、取るまでに何度も負けましたけど、やり続けたこと、自分のこういう姿を見て、何かそれぞれ今日見てくださった皆さんの日々に活力となってくれたらうれしいなと思いますし、それに日本一の意味があるのかなと思います」

 15年待っての優勝。高田が喜ぶ姿に多くの人が心を揺さぶられただろう。むろん、このコメントもしかりだ。

優勝の瞬間をベンチで迎えた[写真提供]=日本バスケットボール協会


 決勝では21得点6リバウンド5アシスト——。それまでの活躍も含めて大会では文句なしのMVPを獲得した。これまで表彰台に上がるENEOSの背中を見続けてきたが、ようやくその台上に立ち、カップを掲げた。表彰式後の記念撮影でも笑顔が消えることはなく、優勝会見でもメディアの前で冷静にチームのことや自身のことを語った。

 が、優勝決定してから会見終了まで、髙田が泣いている姿を見ていない。厳密にいえばうっすら涙は浮かべたのかもしれないが、ようやく手にした日本一なのだから喜びに大粒の涙を流すシーンをイメージした人も少なくはなかったはずだ。何ならファンの人、チームやバスケット関係者は金メダルを獲得した髙田の姿を見て泣いているのだから。

「ハハハ。そうですよね、みんな泣いてますよね」

 こう言って、ケタケタと笑う髙田はいつもの髙田だ。そして涙を流していない理由をこう教えてくれた。

「散々泣いてきたので、優勝したときは喜びたいなと思っていました」

 デンソー入団時はWリーグで5位。髙田がケガをして1シーズンを不出場となったシーズンには7位に沈んだこともある。新人王を取った1年目からチームの顔として一歩一歩、チームも自身も力を付け、優勝を争う位置に辿り着いた。

 だが、決勝の舞台に立っても幾度となくその挑戦を跳ね返された。それでも「やり続けたことがよかった」という髙田は、たくさんの苦悩を乗り越え、枯れるほどに悔し涙を流してきたからこそ、待ちに待った瞬間は、『笑顔』でいることを選んだのだった。

文=田島早苗

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