2024.03.29

北海道在籍17年…桜井良太が忘れられない涙「すごく感謝しています」Bリーグ、日本代表への思いも語る

2023-24シーズン終了後に現役を引退するレバンガ北海道の桜井良太[写真]=B.LEAGUE
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 今シーズン限りでの現役引退を表明しているレバンガ北海道桜井良太が、3月12日にバスケットボールキングとスポーツナビで配信されたBリーグ応援番組『B MY HERO!』に生出演した。

 桜井は1983年3月13日生まれの41歳。四日市工業高校、愛知学泉大学を経て、2005年にトヨタ自動車アルバルクでキャリアをスタートさせると、2007年にレラカムイ北海道へ移籍。2010年に経営難によるクラブ消滅というショッキングな事態もあったが、レバンガ北海道の初期メンバーとしてプレーを続け、2016年のBリーグ開幕後もチームを代表する選手の一人として活躍してきた。

 今回は、番組MCを務めるこにわと関根ささらが、19年目を迎えた今シーズンをもって第一線から退くことを決意した桜井にリモートインタビューを実施。特別な思いを胸に戦っている現役ラストイヤー、第二の故郷となった北海道、ともにプレーした折茂武彦社長らへの思いなどについて、語ってもらった。

■ 夢舞台に魅せられて「この年までプレーしたのはBリーグのせい」

北海道に移籍し17年目を迎えた桜井。現役ラストイヤーに思うこととは?[写真]=B.LEAGUE


――今シーズン限りでの引退を発表してラストイヤーを迎えました。いつ決断されたのでしょうか?(こにわ)
桜井 もうここ数年、自分の引退するタイミングを探していたんですけど、一昨シーズンに佐古(賢一)さんがレバンガ北海道のヘッドコーチになって、愛のある厳しさで指導してくれました。佐古さんは僕の中でもすごいプレーヤーであるという記憶があるので、なんとかいいプレーで貢献したいなと思っていましたが、手術を受けて復帰し、自分が動けてきたと思っていても、スカウティングビデオを見たときに「こんなに動けていないのか」というギャップがありました。なかなか元に戻らないし、これだけギャップがあると「もうきついな」と。他にも理由はあるんですけど、それが決め手の一つになりました。

――引退を決断され、かつてともにプレーしていた折茂武彦社長とも話を?(こにわ)
桜井 昨シーズンの終わり頃にしましたね。ここ数年、一緒にご飯に行くことはなかったので、久しぶりに連絡して、ちょっと話しましょうということで。2人でパフェを食べながら話しました(笑)。

――2019年のオールスターで初めて取材したのが桜井選手だったのですが、当時ほかの選手たちに“いじられている”姿を見て、フランクに話を聞いてしまいました。嫌な思いをされていなかったのか心配で…(関根)
桜井 全く嫌な思いしてないです(笑)。この前のオールスターでもそうだったんですが、他のメンバーと結構年の差があるので、上手く溶け込めるか心配だったんです。やっぱり引退を発表して今シーズンに臨んだから“レジェンド”みたいな扱いをしてもらえるんですけど、みんな構えて話に来たりするのがすごく嫌だったんですよね。B.WHITEは富樫勇樹千葉ジェッツ)キャプテンをはじめ、なんとなく「桜井さん、いけるぞ」と察してくれたので(笑)。皆のおかげで気持ちがほぐれて、3ポイントシュートも入りました。

桜井は今年1月のオールスターで2本の3Pを含む13得点を記録[写真]=B.LEAGUE

――やはりラストイヤーともなると試合に臨む意識も違うのでしょうか?(こにわ)
桜井 役割をまっとうするのは、これまでと同じく変わらないんですが、「最後だからなんかしてやろう」じゃないですけど、僕が引退して来シーズンが始まるときに『レバンガ北海道はこれから強くなっていくな』という状況を作りたいと思っていました。あまり自分から人に対して影響力のある発言をしていくタイプではないですけど、ちゃんと思ったことは伝えたほうがいいなと。チームが良くなるために臆せず伝えるようにはしていますね。

――これまでは“背中で示す”タイプでしたか?(こにわ)
桜井 そういうタイプでしたし、そういう風にありたいなと思っていたんですけど、昨シーズンまで北海道でキャプテンをやっていた橋本竜馬(現:アルバルク東京)の影響もあって。彼は本当に周りに対して思ったこと、やらなければいけないことを伝えていたし、自分でもやることをしっかりやって周りにも示していました。僕より年下ではありますけど、そこは尊敬していましたし、彼がいなくなった今、レバンガには寺園(脩斗)というリーダーシップを持った選手もいるんですが、そこにプラス自分も最後のチャレンジとして周りに影響を与えられるようにやっていきたいなという思いで臨んでいますね。

北海道の現キャプテン寺園と元キャプテン橋本[写真]=B.LEAGUE

――北海道で17年目。これまで移籍を考えたことはなかったですか?(こにわ)
桜井 まず一つは、レバンガの前身クラブ(レラカムイ北海道)が消滅するという事態が起きたとき、あのときはレバンガが立ち上がるというのがまだ決まっていなかったので、移籍するしかないと思っていましたね。

 若い頃に何回かそういう話もありました。今はレバンガ北海道もいい状況でチームが進んでいますけど、当時は不安定な状況が多かったので(移籍も)考えたりしましたけど。そもそもなんで北海道に来たのかを考えたときに、アルバルク在籍時に2シーズンともリーグ優勝して、天皇杯も1回優勝して、若いときにいい経験をさせてもらった。自分がプレータイムあるチームで、そのチームを強くするぞという思いで移籍してきたのに、「また強いチームで優勝目指そうかな」というのは、ちょっと筋違いというか。当初の話からズレているなということで、やっぱり選択肢は北海道に残ることでした。僕たちチームよりも選手のことを心配してくれていたファンの方々もたくさんいたので、それで中心選手としてプレーしていた僕が出ていくのは違うなというのもありました。いろいろな理由で北海道に残りましたね。

折茂と桜井は“北海道の顔”として長らくチームを支えてきた[写真]=B.LEAGUE

――日本バスケ界、そしてBリーグが盛り上がっている現在の状況は、想像できていましたか?(こにわ)
桜井 夢の中では想像していましたよ。でも、まさか自分が現役選手としてやっているときにここまでの状況を体感できるとは思っていなかったです。この年(41歳)まで現役選手をやれたのは“Bリーグのせい”でもありますね。ここまで長く現役選手として過ごしてきて、少しでもこの夢のような舞台でプレーしたいという思いになった部分もあります。

――Bリーグでは沖縄アリーナはじめ日本中で続々と“夢のアリーナ”が建設されています。(こにわ)
桜井 沖縄アリーナはもちろん、群馬のオープンハウスアリーナ太田も独特の雰囲気がありました。今年のオールスターで最後にミーティングしていたとき、B.WHITEのジョン・パトリックヘッドコーチ(千葉ジェッツ)が「日本のリーグがここまで成長して、これだけの環境でできるというのは本当に幸せなことです」とお話をされていた。ジョンさんは僕がアルバルクにいたときにヘッドコーチをされていたこともあり、長く日本でプレーや指導をされた経験を持っています。その頃を比較してそのような話をしてくれたのだと思いますが、まさに自分も同じようなことを考えていました。トップコーチとして色々な国でやってきたジョンさんから見ても、今のBリーグはすごいと思うんだなと感じましたね。

■ 日本バスケの成長を実感する日々「お金を払ってでも見たいプレーヤー」

――これまで意識してきた選手やライバルはいますか?(関根)
桜井 うーん。難しいですね。同期でリーグに入った川村卓也選手のオフェンス能力に関しては、いまのBリーグの選手と比べてみても飛び抜けたものがあったと思うし、ディフェンスしていて絶対止めたと思っても決められたことがありました。

 最近すごいなと感じたのは馬場雄大選手(長崎ヴェルカ)。この前、島根のペリン・ビュフォード選手とのマッチアップが話題になっていましたけど、もうフィジカル面も含めて互角にやりあっていました。あまり言い方がよくないかもしれないですけど、お金を取れる選手、お金を払ってでも見たいプレーヤーだと思います。これはBリーグが目指しているものでもある。ああいう試合を見せられると、同業でもすごいなと思います。

今年2月7日、日本代表の馬場と、Bリーグ屈指の点取り屋であるビュフォードのマッチアップが話題に[写真]=B.LEAGUE

 あとは、今シーズンでいうと、富樫選手がうち(北海道)と試合をしたときに第1クォーターだけで21点とった。僕のトップリーグでのキャリアハイは29得点なんですけど、第1クォーターだけで抜かれるんじゃないかと(笑)。彼もお金を払ってでも見に行きたい選手だと思います。こうしてプレーを振り返っていると、彼ら自身もそうだし、リーグが成長したというのも実感しますね。

――印象深い試合、ベストゲームはありますか?(こにわ)
桜井 ポジティブな試合でいうと、2006年に広島で開催された世界選手権。日本代表のグループリーグ・パナマ戦(78-61で日本が勝利)ですかね。今シーズンでいうとアウェーの川崎ブレイブサンダース戦(第12節:GAME1は93-82、GAME2は65-63で2連勝)がぱっと思い浮かびます。

――日本代表はあれから17年が経って、世界の舞台で白星を積み重ねて五輪切符を手にしました。(こにわ)
桜井 (FIBAワールドカップ2023は)いちファンとして見ていましたね。ちょっと前だと、選手として同じ舞台で活躍できるという思いや、ちょっと悔しい気持ちが沸いてきていたと思うんですけど、次のレベルに行ったなという思いで、純粋な気持ちで応援していました。

バスケ男子日本代表は「FIBAワールドカップ2023」で3勝を挙げ、48年ぶりに自力で五輪出場権を獲得した[写真]=伊藤大允

――2006年の日本代表と何が変わったのでしょうか?(こにわ)
桜井 Bリーグがプロリーグとしてしっかり立ち上がったのが一番大きいと思います。Bリーグが立ち上がったことによって注目度が上がり、選手のサラリーが上がり、自然と選手の意識も高くなりました。そういう細かい色々なことが重なってこういう形になったのかなと思っています。でもやっぱり、代表の強化の積み重ねというのも感じます。2006年の後は、少し代表活動が低迷してしまっていたという印象は受けたので。そこは協会、リーグも含めてみんなで積み重ねてきた結果だと思います。

――キャリアを通じた一番の思い出は?(関根)
桜井 難しいですね。やっぱり北海道で17年間バスケットができたこと。折茂さんがレバンガを立ち上げて「やる」と言わなければ、実現しなかったことなので。あんまり折茂さんに言いたくないですけど、そこは感謝しています(笑)。Bリーグが始まる時に、B1参入チームとしてレバンガ北海道という名前をあげてもらって、その時に折茂さんが涙を拭っていたシーンは今でも覚えています。そこはすごく感謝していますし、思い出に残っていますね。

――最後にファンの皆さまへメッセージをお願いします。
桜井 僕の残り試合も18試合(※3月28日時点で14試合)になりました。例年だとあっという間に感じるんですけど、今シーズンは長く感じていますね。今のチームメートとは毎日やることを徹底して、言い合いながら良い状況で楽しくバスケットができています。もちろん勝ったり負けたりはあるんですけど、レバンガが強くなれる文化というのは少しずつ作れているのかなと思っています。色々ありますが、残りの試合、北海きたえーるはもちろん、アウェーの試合にも足を運んで声援を送ってください。よろしくお願いします。

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