2019.09.01

【対談】篠山竜青 ~世界大会に挑むキャプテンの原点とは~

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Bリーグを代表する選手の1人である篠山竜青川崎ブレイブサンダース)。不動のポイントガードとして、そしてキャプテンとしてもチームを引っ張るその実力は、所属クラブにとどまらず現在の日本代表にも必要不可欠となっている。そんな彼が今回、母校の北陸高校(福井県)に凱旋。高校時代の篠山をよく知る久井茂稔コーチとともに、自らの「原点」に迫った。

インタビュー=小沼克年
写真=バスケットボールキング編集部

練習初日に感じた“全国レベルの空気感”

――篠山選手が北陸高校に来られたのはいつ以来ですか?
篠山 4、5年前ですね。川崎がNBL(ナショナル・バスケットボール・リーグ)時代の時で、春先に細々とあったOB戦で来たのが最後だと思います。

――校舎は篠山選手が通っていた頃とは違って改装されたそうです。
篠山 全然違いますね。綺麗になりました。講堂だけは残っているようですけど、僕らが使っていた校舎の面影はほとんどないですし、ほぼリニューアルされていると思います。

――篠山選手が北陸高校へ入学したきっかけから教えてください。
篠山 中学の時から母には「将来、バスケット選手としてJBL(日本バスケットボールリーグ)に入りたいなら(出身地の)神奈川県は出なさい」と言われていて。そこで当時、能代工業(高校)でプレーしていた山田謙治(神奈川県出身/昨季限りで現役引退)さんのお母さんに連絡をして能代の練習に申し込んだり、洛南高校にも知り合いのコネクションを頼って練習に参加できないかと回っていたんですけど、なかなか実現しなかったんです。もう中学3年の9月あたりに「どうしようかな?」と思っていた時に、知り合いのツテで北陸高校にビデオを見ていただけました。それが目に留まって直接家の方に来てもらって、もう二つ返事で決めました。その時、北陸高校は知っていましたけど、福井県の位置すら分からなかったですよ。暑いのか寒いのかも。とにかく飛び込みでしたね。

――久井コーチは当時のことを覚えていますか?
久井 はい。春休みに入って一番最初に練習に来たのが竜青でしたね。他の選手もいる中で一番最初に来ましたから、けっこう印象に残っています。

――篠山選手は最初に北陸高校へ練習に来た時のことを覚えていますか?
篠山 ピリピリしていましたね。初日は見学だけでしたけど、体育館に行く際に渡り廊下があって、そこから練習中の声がこだましていて緊張しました。体育館に入った瞬間も中学生とは一回りも二回りも体が大きいので圧倒されましたし、「ここでやるのか!」と思いましたね。何となくですけど、そこで全国レベルの空気感みたいなのは感じました。

――お二人が初めて会ったのはその時ですか?
久井 そうですね。軽く挨拶をする程度だったかな?

篠山 そもそも高校3年間は部員も50人位いたので、あまり先生とちゃんとした会話はしなかったですよ。コーチと話すのは大体マネジャーとかキャプテン、それか怒られる奴。今日(取材当日)の夜の食事で初めてまともに久井先生と会話しますもん(笑)。

――久井先生から見て、篠山選手はどんな選手でしたか?
久井 入部当初は、やっぱり体力的にも精神的にも高校レベルに慣れるのに時間がかかりましたけど、2年生になってから徐々に頭角を現しましたね。それは竜青だけじゃなくこの学年全体に言えることで、公式戦に出る機会も増えていきました。でも2年生のインターハイ予選の時にみんなノロウイルスになっちゃって……。

篠山 ありましたねー。

久井 その頃から竜青たちの2年生が主力を務めていたんですけど、試合前日の夜に熱が出たり、嘔吐の症状が出て救急車で病院へ行きました。当日は出場できるメンバーだけで何とか試合に臨んで、その時は3年生が頑張ってくれましたね。お前もノロになったっけ?

篠山 僕もなりました。点滴を打って何とか試合に行けたメンバーもいましたけど、僕はもう「(医者から)絶対にダメです!」って言われて出られなかったです。

久井 そうだったな(笑)。

篠山 当時の北陸は県大会決勝でも圧勝してたんですけど、その年は2点差でしたからね。もうギリギリでインターハイ出場です。

久井 うちのチームだけじゃなくて、対戦相手にもノロにかかって出れなかった選手がいたね。まあ、あの時は大変だったよ(苦笑)。

2年次から主力選手として活躍。3年次にはインターハイを制覇

――そんなことがあったのですね。篠山選手は入学当初から何か目標を立ててバスケ部に入部しましたか?
篠山 2年生からはちゃんと試合に出たいとは思っていましたね。僕が1年生だった時の3年生は、西村(文男/千葉ジェッツ)選手など今でもプロで活躍している方が多くて厳しい状況でしたけど、それでもAチームに混ぜてもらったり、ウインターカップでもベンチ入りはしていたので、2年生からはもっと活躍するイメージはしていました。特に西村選手は当時U18の日本代表に選ばれていて、代表ユニフォームをみんなに配ったりしている姿は1年生ながらカッコいいと思いましたし、自分も3年生になったらU18の日本代表になりたいという思いはありました。

――やはり一番の思い出は、篠山選手が3年生の時に達成したインターハイ優勝だと思います。
久井 新チームがスタートして、北信越地区の新人戦があったんですけど、その時から「今年はもしかしたら(全国制覇を)狙えるかも」という手応えはありましたね。やっぱりこの学年は2年生から主力を担っていましたし、彼らの代になった時は余裕を持って勝てる試合も多くあったので。彼らには一度も言わなかったですけど、「このまま夏まで持っていけば勝てるかも」と思っていましたし、全国制覇するためのハードワークは練習から要求していました。

篠山 チームとしては僕と多嶋朝飛レバンガ北海道)、井出(勇次/バンビシャス奈良)の3ガードだったので身長は小さかったですけど、3年生を中心にすごく良くまとまっていましたね。キャプテンの八木(昌幸)がみんなのことをまとめて、下級生も3年生についてきてくれていました。“インターハイ優勝”というしっかりとしたターゲットを決めて、そこに向かって本当にみんなで頑張ったなという印象ですね。2006年のあの時のチームは、やっていて楽しかったです。

――少し話を変えます。他校にはない、北陸高校ならではのルールのようなものはありますか?
篠山 いっぱいありますけど記事に書けませんよ(笑)。

久井 噂ですけど、彼らはよく上級生にイジられていたようです(笑)。

――書ける範囲のものでお願いします(笑)。
篠山 ルールかどうか分かりませんが、バスは名物でしたね。ナンバープレート「1」のチームバス。試合で全国どこに行くにしても、久井先生の運転で長時間かけて行くんです。今はどうか分からないですけど、チーム専用のバスで遠征しているチームは珍しかったと思います。

久井 たしかに。今もそうしていますけど、最近は石川県、富山県あたりまでしか自分は運転していないんですよ。でも、当時は熊本県まで1人で運転していましたし、タフにやってましたね。

篠山 本当にすごいですよ! 自分が運転するようになって、改めてそのすごさが分かりました。片道5時間、6時間は当たり前でしたもんね。

久井 今思うとゾッとします(苦笑)。

――今だから話せる当時のエピソードなどはありますか?
篠山 実は高校3年間で5、6回朝練に遅刻しているんですけど、僕が寝坊した時は久井先生が偶然こないという……。自分もってるなと(笑)。

久井 そうなの?それは知らなかったわ。

久井コーチが生んだ、篠山の「おかげさまです」

――篠山選手は高校時代のどんなことが現在の自分に活かされていると感じていますか?
篠山 本当にここが僕の原点みたいなところなので、色々ありすぎますね。「親元を離れてバスケットをする」という選択をして、部員50人の中でまず試合に出るためにはどうすればいいか、試合に出たらどうしたら勝てるかなどを自分で考える力をつけたのも北陸高校です。チームの雰囲気も明るくてメリハリがありましたし、キツい練習でもみんなで盛り上げて“バカになる”ことだとかもここで学びましたね。それがそのまま今の僕の土台になっています。

僕より上手い選手はいくらでもいますけど、その中でも自分なりにアピールをして、今こうして日本代表に選ばれているのは、ほとんどここで得たものなので、何が活きているというよりもここが“始まり”ですね。

――――篠山選手が座右の銘に掲げている「おかげさまです」は、久井コーチがきっかけとも伺っています。
篠山 ある日、突然体育館に張り出されたんですよ。「おかげさまで」って。

久井 当時、元ヤクルト(スワローズ)監督の野村克也さんの本を読んでいたんですよ。その本のまえがきで、ヤクルトのロッカールームには「おかげさまで」という言葉が書いてあるということを知りました。高校生ではなかなか気付かないけど、当たり前のことを大事にしよう、みたいな内容が書いてあり、僕もその言葉に引っかかったので貼り出しました。

篠山 それが、当時の僕らのテーマになった部分はありました。卒業してもその言葉がずっと残っていて、僕自身の座右の銘なり、今でも言い続けていますね。

――高校時代と現在では、「おかげさまで」の感じ方に変化はありますか?
篠山 当時は、初めて親元を離れたことで親のありがたみが分かったので、“おかげさまで”という意味を込めて素直に「ありがとう」とメールや電話で(両親に)感謝を伝えていました。

実業団時代は会社の従業員も経験しましたが、今はありがたいことにプロバスケット選手としてやらせてもらっています。こういったインタビューもそうですし、ファンやスポンサーさんなど、1つのことのために色々な場所でたくさんの人が動いてくれています。その周りの支え、“おかげさまで”がある中で、「じゃあ自分はプロとして何を伝えなきゃいけないのか」ということは、今こうして色々なことができるようになったからこそ、改めて考えさせられます。

――篠山選手は、現在では川崎のキャプテンだけではなく、日本代表のキャプテン、バスケ人気もありのメディアにも多く露出されています。この活躍ぶりを久井コーチはどう感じていますか?
久井 高校時代からいいキャラというのは分かっていましたけど、ここまでの人気選手になることは予想できなかったですね。でも、今までやってきた積み重ねで今があるといいますか、家族や周りにも支えられてこうなっているのは本人が努力した結果だと思います。10年経ってこんなに話すのは初めてですけど(笑)。

――最後に久井コーチは篠山選手へ、篠山選手は久井コーチをはじめ北陸高校へメッセージをお願いします。
久井 これからもみんなで応援しているので、やれるところまで、バスケットを楽しみながら頑張ってほしい。こっちはダメ出しをしたり、楽しみながら竜青の活躍を見ています。僕らも、もう1回全国制覇できるよう頑張りたいと思います。

篠山 そうですね、日本一はぜひ達成してもらいたいです。これは久井先生にというか、生徒たちにガツンと言います。改めて振り返っても、やっぱりこの3年間が大きなターニングポイントだったと思います。でもどういう3年間にするかは自分次第で、ここに入ったから上手くなるわけではないし、ここに入るのが目的じゃない。北陸高校にきてバスケットするのがどういうことなのか、どんな支えがあって成り立っているのか、今の選手にも伝えていきたいなと思います。Bリーガーになってからはなかなか顔を出せていませんが、これからもOBとして何かできればなと思っています。北陸から、もっともっとBリーガーが出てきてほしいです。

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