BリーグやWリーグの選手たちに、高校時代のことを振り返ってもらうインタビュー企画、
第9回は福岡県の福岡大学附属大濠高校出身の金丸晃輔だ。
稀代のシューターと称される金丸選手が、どのようなきっかけでバスケットを始め、
どのような学生時代を過ごしたのか。前編・後編にわたってお届けする。
インタビュー・文=山田智子
写真=B.LEAGUE
田中国明先生はスタッツを残さないと厳しかった
――練習以外で苦労したことはありましたか?
金丸 僕は自宅から通っていて、1年生の時は朝練が7時からだったので毎朝5時に起きて、帰りは最後まで残ってないといけないので夜の10時ぐらいに家に着く。ほとんど寝に帰っているような状況で、常に眠たかったですね。
――それでも1年生からメンバーに入っていました。
金丸 1年生の時はギリギリ入っていて、点差が開いた時に出るくらいでした。2年生からはスタートで出ていましたが、ちょうど僕のポジションが少なくて、チャンスが巡ってきた感じです。
――2年生のインターハイでは準優勝に貢献しました。
金丸 自分で言うのもアレなんですけど、あの時は結構調子が良くて。大濠のインサイド陣はわりとアウトサイドシュートを許されているんですよ。外したら怒られますけど。その時は4番ポジションだったんですが、ショートコーナーあたりからはバンバン打っていたんです。それがベスト16くらいから決まり出して、調子が上向きになっていったイメージです。
――3年生のインターハイは残念ながらベスト8で終わりました。
金丸 春までは無敵だったんですよ。洛南にも、能代にも、北陸にも勝っていて、しかも30〜40点差くらいで勝ったゲームもあったんですよね。でも夏になるとなぜか負けてしまって。同期とも何でだろう?と話をしたことがあるんですけど、結果的に「過信が良くない」ということになりました。
――ウインターカップには3年生の時に初めて出場しました。やはり福岡は県内を勝ち抜くのも大変でしたか?
金丸 そうですね。九州自体レベルが高いし、中でも福岡はレベルが特に高い。決勝は大濠と(福岡)第一だったんですけど、地区大会、県大会、九州大会と何度も試合をして、お互いに相手のやってくることが分っているので、毎回苦労しました。3年生の時にようやく勝って全国に出場できました。
――最後のウインターカップでは3位という結果でした。
金丸 下級生にも良い選手がいて、ベスト4までは難なく進めましたが、準決勝で洛南に負けてしまいました。でも3位決定戦で勝って終われてよかったです。試合の内容的にも、自分のプレーも良かったですし、最高の終わり方ができました。
――3位決定戦の八王子戦では42点取っていますね。
金丸 あの時はスリーポイントが面白いように決まりました。
――スリーポイントを9本中7本決めています。
金丸 神がかっていましたね。何でもありの状態でした。
――ちなみに高校時代の最高得点は?
金丸 大会は忘れましたが、54点だったと思います。
――やはりその頃から別格ですね。その年のウインターカップは準決勝で負けた洛南が優勝しましたが、洛南戦はいかがでしたか?
金丸 今でもBリーグで活躍している選手(辻直人/川崎ブレイブサンダース、比江島慎/宇都宮ブレックス)がいて、本当にバランスが良いチームでしたね。パッシングのバスケットをしていて、やっぱりシンプルが一番強いんだなとその時に感じました。
――当時の大濠高校はどんなスタイルでしたか?
金丸 どちらかというと1on1ですね。まず走って速攻を狙う。それがダメだったら、フォーメーションの中で1on1の場面を伺いながら攻めるスタイルでした。オフェンシブなチームでした。
――田中国明先生から教わったことで、今でも役に立っていることはどんなことですか?
金丸 とにかく田中先生はスタッツを残さないと厳しかったですね。スタッツに残らない活躍とかもあると思うんですけど、田中先生にとってはあまり意味がなくて。ノートに書かれたスタッツを見て、「今日お前、点取ってないやないか」みたいな感じで怒られるんですよ。でもそれがなかったら、今の得点への執着心はなかったんじゃないかなと思います。
――インサイドをやっていたことで、アウトサイドプレイヤーになってからもプラスになっていることはありますか?
金丸 指先の感覚ですね。どうしてもゴール下は指先の感覚が凄く大事になってくるんですよ。例えばフックシュートも柔らかくないと入らないし、その感覚はインサイドを経験したことで身についたと思います。
あとは、インサイドの選手はフェイダウェイも使うので、それも今に生かされていますね。高校の時にローポストからのオフェンスのバリーエションとしてフェイダウェイなどのシュートが生まれていたので、それが普通になって、おそらく今のような体勢でシュートを打つことにつながっています。スクリーンを使ってマークを外した上でそれを使うので、ディフェンスからの距離が保てるのだと感じています。
――高校時代までに、現在の“シューター・金丸晃輔”は何%くらいまで完成していたのですか?
金丸 高校の時はインサイドの選手で、シューターという意識はなかったので、ほぼ0ですね。スクリーンも使うより、僕がスクリーナーでしたし。シューターという意識が出始めたのは大学からです。
――高校3年生の時にはU18日本代表にも選出されました。
金丸 あの時はフォワードをやらせてもらっていたので、スリーポイントを打つフォーメーションも結構あって、外がメインだったので楽しかったです。もしかしたら、(シューターという意識が生まれたのは)そこからだったかもしれません。(アジアU18選手権でも)普通に得点は取れていたので、通用しないことはないかなと当時は感じていました。
――卒業後は明治大学に進まれます。明治を選んだ理由は?
金丸 塚本(清彦)さんから熱心に誘っていただいて。将来を見据えてシューティングガードにコンバートすると言ってくださったので、そこに興味が湧いて、明治を選びました。
――バスケを始めた頃からずっと変わらず、アウトサイドシュートに魅力を感じているんですね。
金丸 そこはブレていないですね。ゴールを決めることに、一番バスケットの面白みを感じているので。やっぱりシュートが一番楽しいですよ。
――では、最後に中高の部活生へアドバイスをお願いします。
金丸 僕のようにセンターをやっていた選手がポジションアップするかもしれないので、そういう可能性も含めていろいろなことを練習しておいたほうが良いとすごく思います。僕が特に後悔しているのは、もっとドリブルを練習しておけば良かったなということです。そういう後悔が今になって出てくるので、いろいろなことにトライすることが大事ですね。プロ選手になってからは何かを追求したほうが良いと考えていますけど、学生の頃は様々なことにトライして、その中で何か得意なことを一つでも二つでも見つけて、プロになってからそこをどんどん伸ばしていけば良いと思います。