2023.06.21

“名将”佐藤久夫コーチを偲んで(前編)「一番倒したかった相手。天国からまた教えてください」(井手口孝)

明成ではウインターカップ決勝の勝率は100パーセント。一番苦しい終盤に走るのが明成バスケ(2013年ウインターカップ決勝より)[写真]=小永吉陽子
スポーツライター。『月刊バスケットボール』『HOOP』編集部を経て、2002年よりフリーランスの記者に。国内だけでなく、取材フィールドは海外もカバー。日本代表・Bリーグ・Wリーグ・大学生・高校生・中学生などジャンルを問わずバスケットボールの現場を駆け回る。

■情熱のバスケ人生を送った高校界の名将

 仙台高校と仙台大学附属明成高校にて、幾度もの名勝負を繰り広げ、多くの選手を育成してきた佐藤久夫コーチが6月8日に73歳で永眠した。

 厳しい指導で知られる佐藤久夫コーチだが、その裏にあるのは、選手への溢れんばかりの愛情と情熱があったことは、巣立った教え子たちがみな語っている。前任の仙台高では宮城県の選手だけで構成された公立校をウインターカップ連覇に導く組織力を作り、2005年に創部した仙台大明成高では、対応力を求めたスタイルで、インターハイで1度、ウインターカップで6度の優勝に輝いている。

 常に頂点を目指したチーム作りの道中では、パッシングオフェンスや大型化、ポジションレスバスケなど様々なスタイルに挑戦。NBAで活躍中の八村塁(ロサンゼルス・レイカーズ)を筆頭にアメリカへの進学ルートを開拓するなど、時代の流れの中で柔軟かつ、オリジナリティある指導力で、バスケットボール界に様々なヒントと勇気を与えてくれた。

 バスケ界に多大な影響を残した佐藤コーチを偲び、6月11日の通夜と12日の葬儀には、全国から1000人を超す参列者が訪れた。斎場には日本バスケットボール協会やコーチ仲間、交流のある大学や高校、仙台と明成の歴代OBや父兄などからの献花で埋め尽くされ、展示コーナーには仙台と明成両チームでの思い出の品が飾られ、貴重な指導ノートも公開された。

 中でも多くの参列者が足を止めて見つめていたのが、佐藤コーチみずからが編集を手掛けたビデオレターだ。毎年、佐藤コーチは仙台大明成の卒業生たちに自身が編集したメッセージつきの映像を贈っていたが、今回上映されたのは、2013年度の卒業生である7期生に贈った作品。『恩師への手紙』と題したその映像からは、佐藤コーチが指導を始めたきっかけ、恩師にかけてもらった言葉の大切さ、迷いながらも自分のバスケを見つけて日本一にたどりついたことなどが綴られており、佐藤コーチの指導の原点が伝わってくるようだった。

仙台と明成を強豪に育てた佐藤久夫コーチ。葬儀では自作のビデオや指導ノートが公開された [写真]=小永吉陽子


 そして、多くの人々に見送られながら迎えた別れの時――出棺の儀で棺を担いだのは仙台と明成の教え子たち。仙台からは高校でコーチを務めている佐藤剛(利府高校)、佐藤幸広(東北生活文化大学高校)、岡崎涼(仙台城南高校)、佐藤達哉(仙台高校)、原田政和(東海大学付属相模高校)と仙台89ERSの社長を務める志村雄彦。仙台大明成からは高橋陽介コーチと畠山俊樹コーチ、そして同校卒業生の山﨑一渉(ラドフォード大学)がその役目を担った。佐藤コーチのもとを巣立った愛弟子をはじめ、多くの人々がこれまでの感謝の気持ちを伝えたことだろう。

 この追悼コラムでは、通夜と葬儀に訪れたコーチ仲間と、Bリーグで活躍中の選手をはじめとする教え子からのメッセージを紹介したい。佐藤久夫先生、これまでバスケットボールへのたくさんの愛情と情熱をありがとうございました。どうか安らかに。

■超えたかった相手。「やられたよ、参った」と言ってもらいたかった…井手口孝(福岡第一高校)

交流が深かった井手口孝コーチと台湾・松山高級中学の黃萬隆コーチ。葬儀ではともに涙に暮れていた [写真]=小永吉陽子


(涙ながらに)僕自身は久夫先生を目標にやってきて、久夫先生と対戦することを一番の楽しみにして、一番倒したい相手でした。いろんなチームに負けることがありますが、久夫先生に負けるのはそれとは別の感覚でした。いってみれば、『バスケットマン』として負けるわけですよ。バスケットコーチとして、足りないところに気付かせてくれるといいますか。だから負けたあとは、何度も何度やり直してチームを作るわけです。

 ここ数年はどちらも全国大会の決勝で戦えていなくて、僕らが負けっぱなしで、まったく勝てないまま、勝ち逃げされてしまった感じですね。超えられない人だったけど、超えたかったなあ…。「井手口、やられたよ。参った」と言ってもらいたかった。久夫先生が最後の最後の円熟したところで対戦してみたかった、という思いがありますね。

 僕たちが仙台とか(仙台大)明成のように、語り継がれるチームを作ることは、相当重たい使命です。ただ、久夫先生はどう思っているかわからないけれど、去年のウインターカップで僕と富樫(英樹コーチ、開志国際高)のチームが決勝で戦うことができたのは、少しは喜んでもらえたのかな、という思いもあります。僕も富樫も先生の教え子みたいなものなので。

 3月末のカズカップ(交流大会)で久夫先生は、「今年はお前のマネをして小さいガードを起用するよ」と言っていました。「もともと、そういうバスケをやっていたのですから、それは先生らしいですよ」と僕は答えました。久夫先生の作る小さなガードのチームと対戦してみたかったですね。ここ数年はコロナ禍だったこともあり台湾遠征で一緒になることもなかったし、もう少しいろんな言葉を交わしたかったです。久夫先生、ありがとうございました。先生を追いかけてもう少し頑張ってみます。天国からまた教えてください。

■同じ指導者になってわかる。選手の将来を思っての指導と声掛け…網野友雄(白鷗大学監督)

佐藤コーチにポテンシャルを見出され、競技歴2年でU18代表に抜擢された網野友雄コーチ [写真]=小永吉陽子


 僕が久夫先生に出会ったのは高校生のときで、本当に厳しい指導を受けました。でも、同時に愛をすごく感じて、バスケット以外の人生も教えてもらいました。今、こうして同じ指導者になってみると、必要なアドバイスもくれますし、逆に先生からもアドバイスを求められることもあるので、いくつになっても、常により良くしていきたいと学んでいる方なんだなあと思いますね。

 僕は、久夫先生にジュニア代表(現在のU18代表)に選んでもらったことで、劇的に人生が変わりました。僕にとって「バスケット界の恩人は誰ですか?」と聞かれたら、いちばんに頭に思い浮かべるのは久夫先生です。バスケを始めて2年でアンダーカテゴリーの代表に選ばれて何もわからない僕に対し、日の丸を背負う意味を教えてくれて、引き上げてくれました。

 今、同じ指導者になって気づくことがたくさんあります。久夫先生は大人にならないとわからないような表現と言いますか、その選手の先を見た指導をされるんですね。たぶん、僕が高校生のときも、今の明成の子たちと同じような言葉をかけてもらったはずですが、当時はその真意を全部読み取ることはできませんでした。

 最近、久夫先生と少しは対等に会話するようになって、「先生はこういうことが言いたいのか。だからこの表現や指導になるんだな」と気づくようになりました。高校生たちにとっては、今はその言葉の全部がわからないかもしれないけど、それぞれには響いていますし、「自分たちのことを思って100パーセントの愛情を注いでくれる」というのはわかっています。だから、皆がついていくのだと思います。

 ここ数年は、ことあるごとに明成と練習試合をさせてもらい、久夫先生とたくさん語り、ゴルフもして、とてもいい時間を過ごしました。今年の5月中旬には、関東大学トーナメントの報告と、「これから李相佰杯で韓国に行ってきます」と電話をしました。「韓国のゾーンを崩せ」とハッパをかけられ、トーナメントで負けたあとの考え方や、僕に足りないことを教えてくれました。先生のような指導者になるのは大変な道のりですが、今まで学んだことを生かして僕なりの指導を見つけていきます。

文・写真=小永吉陽子

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