2024.03.28

【山脇明子のLA通信】DⅠ入り果たしたロロ・ルドルフの次の目標はNBA!…「そのためにもっと努力しないと」

カリフォルニア州立大フラトン校へ進学が決まったロロ・ルドルフ [写真]=山脇明子
ロサンゼルス在住。1995年に渡米、現在は通信社の通信員として、MLB、NBAを中心に取材を行っている。

 全米を熱狂させる全米大学体育協会1部(DⅠ)のNCAAトーナメント、“マーチマッドネス”が白熱している。昨年17歳でU19日本代表に選出され、FIBA U19ワールドカップ2023に出場し、日本男子史上初となるベスト8進出に貢献したロロ・ルドルフ。この舞台を目指して来季からカリフォルニア州立大学フラトン校で大学キャリアをスタートさせる。

 母の礼子さんは剣道の名選手として桜美林高校でインターハイ準優勝、関東大会で3連覇。日本体育大学では、インカレ3位、関東優勝、大学選抜vs警視庁でも優勝という経歴を持ち、父のマーティンさんは元NFL選手。母からブレない集中力と反射神経、父から強靭な体と運動能力を得たポイントガードは、尽きることのない目標に到達するために日々邁進している。

 ルドルフが、地元カリフォルニア州サンディエゴの名門セントオーガスティン高校で最後のシーズンに臨んでいた1月に大学進学やU19日本代表での経験について聞いた。

インタビュー・文=山脇明子

カリフォルニアの強豪校からディビジョンⅠへ進学

――カリフォルニア州立大フラトン校への進学が決まりましたが、同大に決めた理由を教えてください。
ルドルフ 学校を見に行ったときから好印象を受けました。コーチたちは僕だけではなく、一緒に来た母と兄のことも大事にしてくれました。バスケ以外でもキャンパスは素晴らしいし、学業面でも僕に合っています。ディズニーランドもビーチも近くて最高の環境です。練習も見せてもらいましたが、僕の高校と雰囲気が似ていました。みんな声を出していて、活気に満ちあふれていました。選手はみんなフレンドリーかつ競争心も持ち合わせていて、とても気に入りました。

――コーチはあなたのどういった面を評価してくれていましたか?
ルドルフ (デドリク)テイラーヘッドコーチが僕の練習を見に来てくれたとき、最初に目についたのが、リーダーシップだったそうです。僕は、リーダーとして声が出ているとよく言ってもらえます。チームメートを支配しようとする声ではなく、チームとしてしっかり戦えるように指示を出す声です。テイラーHCは、僕のそういったリーダーシップとボールをプッシュし、スピードを生かしてディフェンダーを抜き、チームメートを見つけだせる面、そして必要な時は自分がオープンショットを打てる面を評価してくれています。

――DⅠからのオファーを得るためにずっと努力してきたと思いますが、オファーを得たときはどんな気分でしたか?
ルドルフ 僕がこれまで人から告げられたことで、最高のことの一つでした。テイラーHCは、僕の練習を見に来た次の日にコーチ全員と僕の家族とでZoomミーティングを設けてくれて、母と兄がいる場でオファーをくれました。オファーを受けた瞬間は、母に一緒にいてほしいと思っていて、それは僕にとって非常に特別なことでした。母は泣き始めましたが、僕と兄はカメラの前だったので涙をこらえていました。テイラーHCがくれた機会に感謝しています。

――男子バスケットボールで、DⅠの大学に進学できる高校生は全米で1パーセントです。
ルドルフ それを達成することができました。でもこれはスタートに過ぎません。DⅠの大学にバスケットで進学するという目標を叶えた今は、もっと大きな目標があります。ビッグウエスト・カンファレンスで優勝し、NCAAトーナメントに出場したい。チームを助けられるように、これからも成長を続けていきたいです。フラトン校は、テイラーHCの下、2018年と22年にNCAAトーナメントに出場しています。とても楽しみです。

――いつごろからバスケットをプレーし始めたのですか?
ルドルフ  4歳のときです。リクレーションセンターで始めました。外にある小さなリングにシュートし、プレーしていました。そのときからバスケットが大好きでした。子どものときは、バスケットボール、フットボール、サッカーを主にプレーしていましたが、高校生になる前にバスケを選びました。一つのスポーツに集中して、もっと上手くなりたかったからです。僕にとっては一番楽しいスポーツでしたし、僕の将来が一番見えたのがバスケットボールでした。そして、バスケットボールは、僕の人生で最高のものとなりました。

――セントオーガスティン高校は、オープンディビジョン(最強のディビジョン)ですよね? その高校の主力として戦ってきました。
ルドルフ (マイク)ハウプトHCは僕の第2の父のような存在です。1年生から僕をバーシティー(1軍)に入れ、いきなり厳しい試練を与えられましたが、その中で多くを教えてくれました。常にトップレベルの高校と競うので、僕等もチャレンジを受け入れ、ベストでいられるよう努力しました。そして勝つことができました。高校4年間は、そういう環境の中で成長できたと思います。この学校に行っていなかったら、自分が今頃どのレベルにいたかはわかりません。

強豪セントオーガスティン高校でプレーしたルドルフ [写真]=山脇明子


――U19の日本代表としてワールドカップを戦った経験はどうでしたか?
ルドルフ アメージング! 最高でした。あれ以上のことは望めません。日本代表のトム・ホーバスHC、コーリー・ゲインズアソシエイトヘッドコーチらが、サンディエゴで行われた大会を見に来てくれて、僕を呼んでくれました。それはとても大きなことです。U19のアレハンドロ・マルチネスHCは、僕の成長を助けてくれただけでなく、僕をより良い人間、より良い選手にしてくれました。チームメートは最高でした。彼らは僕のことを両手を広げて歓迎してくれました。僕は日本語を上手に話せませんでしたが、いつも僕を笑わせてくれて、僕の日本語を助てけくれました。チームメートとコミュニケーションが取れるように日本語をもっと学びたいと思いましたし、インタビューでも日本語で答えたいと思いました。

――U19ではヨーロッパのプロで活躍する同じポイントガードの岡田大河選手ともプレーしました。
ルドルフ 大河からは間違いなく多くを学びました。彼は小さい選手ですが、バスケットボールをすると、とてもスムーズで、うまくペースを変えます。ボールの保持も上手い。そしてターンオーバーをしません。彼のゲームは今でも見ています。U19のメンバーは、誰もが凄いし、それぞれから学ぶことはありましたが、大河は僕と同じポジションで、背が低くて不利な面を最大限に生かしてうまくプレーしているので、とても勉強になりました。

――あなたが進学するカリフォルニア州立大フラトン校は、ジェイコブス晶選手のハワイ大学と同じビッグウエスト・カンファレンスですね。
ルドルフ 進学を決めたとき、「おめでとう。ようこそ、ビッグウエストへ」とテキストメッセージをくれました。彼はワールドカップのときも僕を助けてくれた大好きな先輩です。彼に会うのも対戦するのも待ち切れません。

――大学での目標はもちろんのこと、その先の目標は、どのように考えていますか?
ルドルフ DⅠに入るという目標が叶ったので、次の目標はNBA選手になることですし、日本でプレーすることも視野に入れています。でもそのためにはもっと努力しなければなりません。引き下がることはしません。成長を続け、プロとしてプレーできるようになりたいです。

U19日本代表に選出され、U19ワールドカップにも出場 [写真]=fiba.basketball

BASKETBALLKING VIDEO