2021.12.31

【短期連載・TOKYOの先へ】藤本怜央「精魂尽き果てるまで現役を続ける覚悟」

藤本が日本代表や新天地となるドイツ・ブンデスリーガについて語った [写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

 東京パラリンピックで史上初の銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子日本代表。日本列島を熱狂させた選手たちに東京大会での戦いの日々、そしてこれからについてインタビューする。第2回は、チーム最年長37歳で東京パラリンピックに出場した藤本怜央選手(宮城MAX/Lahn-Dill/SUS株式会社)。全8試合で先発出場し、因縁のライバル韓国との一戦では、フィールドゴール成功率71パーセントを叩き出した。「最後かもしれない」と覚悟を決めて臨んだ東京パラリンピック、そして新天地での挑戦となったドイツ・ブンデスリーガ(1部)について話を訊いた。

取材・文=斎藤寿子

感じ続けていた仲間への頼もしさへとチームの強さ

――ご自身5度目となったパラリンピックは、いかがでしたか。
藤本 自分自身がベンチにいる時間が長い試合もあったのですが、そうしたことは過去のパラリンピックでは経験がなかったことでした。でも、それだけ若い選手が飛躍して活躍してくれたということなので、そういう選手たちと一緒に戦えて、日本の未来を感じることができたことが、一番に良かったなと思いました。

――リオパラリンピック以降、次々と若手が台頭し、自分が出なくてもチームが勝つ姿を見ながら「絶対にまた『やっぱり日本代表には藤本がいなければ』と言わせてやる」と思っていたとおっしゃっていました。東京パラリンピックでベンチにいる時は、どんな思いだったのでしょうか。
藤本 もちろんいつ出てもいいように準備をしていましたし、「自分が出れば、絶対にやってみせますよ」という自信を持っていました。でも、一方で「オレが出なくても勝てるんだったら、それはそれでいいな」とも思っていたんです。コートに出ている選手の表情を見ても、疲れているはずなのに、楽しそうにやっているんですよ。だから「すげぇ、日本って強いなぁ」って(笑)。ただ、それでもし展開がグズッた時には「任せてください」という気持ちではいました。

――具体的には、どの試合でそう思っていたのでしょうか。
藤本 準決勝のイギリス戦です。僕自身、出たり入ったりで、結局20分も出ていないんです。でも、ベンチで見ながら「うわぁ、うちのチーム、強いなぁ」と。自分がコートの外で見て、精一杯応援した中でイギリスに勝った時に、自分が出ない寂しさではなく、みんなへの頼もしさを感じました。

――そう思えたのは、自分自身にも自信があったからではないでしょうか。
藤本 そうだと思います。「いつでも出ますから、苦しくなったら頼ってください」というスタンスでいましたから。

決勝戦ではアメリカと激突[写真]=Getty Images

凌ぎを削り合ったアメリカ戦での勝負際

――決勝では、日本としては一番対戦したかった最強国アメリカとの試合でした。
藤本 60-64と4点差で敗れてしまったのですが、もし同点のままでいってオーバータイムになっていたら、僕は絶対に日本が勝っていたと思うんです。なぜなら、あの状態で勝つ術を知っていたのは、アメリカはエースのスティーブ・セリオだけでしたから。ファウルゲームにもちこんだ時に、日本としてはスティーブ以外の選手にファウルしたくても、結局彼にファウルせざるを得ない状況にコントロールされてしまった。それでフリースローを決められて、離されてしまったんです。彼一人にやられてしまったようなものでした。

――その時間帯を凌げば、という勝負の時間帯だったんですね。
藤本 そう思います。いくらスティーブでも、そう長くは一人でコントロールすることはできなかったでしょうから。だから日本としては、同点にもっていきたかったなと。でも、そうならなかったのは終盤にちょっとしたミスやズレが出てきてしまっていたんですよね。その要因の一つは、僕だったと思っています。

――藤本選手のどんなプレーが影響していたのでしょうか。
藤本 僕が前半ですでに2つファウルをしていたことが、少なからずあったかなと。実際、僕不在のプレスディフェンスのラインナップの出る時間が、いつも以上に長くなっていましたから。そういうなかでちょっとしたリズムのほつれから、ミスが出てしまっていたと思うんです。ただ、そういう一つひとつのプレーが大きく影響するような、そんな緊迫した試合をアメリカとできたということでもあったと思います。

――それでも史上初の銀メダルを獲得しました。実感はありましたか?
藤本 僕、過去4大会のパラリンピックは、一度も決勝も表彰式も見たことがなかったんです。まぁ、決勝は後にYouTubeで見たりはしましたが、生では見ていませんでした。自分に関係のないことは、興味ない性格なので(笑)。だから、決勝の舞台や表彰式がどんなものか全く知らなかったんです。今回初めて両方を経験したんですけど、表彰式で銀メダルを首にかけた時は「オレたちが、歴史を変えたんだな」と達成感を感じました。でも、アメリカの国歌を聴きながら「悔しいなぁ」という気持ちが沸々とわいてきていました。「あと、もうちょっとだったな」という気持ちが残りましたね。

金メダルにはあと一歩届かなかった[写真]=Getty Images

現役を続ける限り「代表引退」はない

――今後については、どのように考えていますか。
藤本 とりあえず東京パラリンピックで代表活動については、一区切りついたと思っていて、今はドイツ・ブンデスリーガに舞台を移した形で現役を続けています。アスリートとしては、やれるところまでやり切りたいという思いがあるので、とにかく1年1年、自分と向き合っていくことになるのかなと思います。

――日本代表に対しては?
藤本 選手それぞれにいろいろな考えがあると思うのですが、僕は日本代表というのは「引退」するものではないと思っているんです。僕たち選手は選ばれる立場なわけで、自分で決められるものではないですからね。ですから競技を続けている限りは、「代表引退」とは言うつもりはありません。

――次のパリパラリンピックを目指すということでしょうか?
藤本 今までのようにはじめから代表に選ばれることを前提にして、すべての時間をかけていくということではないことは確かです。ただ、代表活動を軸にしていくかどうかは、代表に選ばれるかどうか次第。なので、もし今の僕を評価していただいて、代表に選んでいただけたのなら、もちろん全力でがんばりたいと思います。

台頭した若手とともに獲得した銀メダル[写真]=Getty Images

香西とともに目指すドイツリーグ初制覇

――現在、ドイツ・ブンデスリーガでプレーしています。長年所属したBG Baskets HamburgからLahn-Dillに移籍したきっかけとは?
藤本 3シーズンぶりにLahn-Dillに復帰した(香西)宏昭から、ヘッドコーチが僕にも興味を持っているという話を聞いたんです。実は、すでにHamburgとの契約の話もあって、最初は正直迷いました。僕にとってHamburgは、「第二の故郷」と言ってもいいくらいですからね。ただ、やっぱりヨーロッパのクラブチャンピオンの座も狙えるような強豪のLahn-Dillで、自分の力を試してみたいという気持ちが強かった。それで移籍することを決めました。

――Hamburgに移籍の話をした時は、どんな反応でしたか?
藤本 もちろん残念がってはくれましたが、「応援しているよ」と言ってくれました。それと「また戻ってきてくれるのを待っているからね」とも言ってくれたんです。温かく送り出してくれて、本当に感謝しています。

――Lahn-Dillでは、いかがですか?
藤本 開幕戦からスタメンに抜擢されたのは、自分でも相当びっくりしました(笑)。でも、さすが強豪チームなだけあって、安定したチャンスというものはないですね。Hamburgでは僕が中心だったので、周りが僕に合わせるという形だったんです。でも、各国の代表クラスの選手たちが大勢いるLahn-Dillでは、そうはいきません。自分も一人の戦力としてチームに必要な存在だと思ってもらわなければ、試合には出してもらえません。

――難しさを感じている分、レベルアップにつながるのでは?
藤本 そう思っています。ただ、まだきちんとした成果を出し切れてはいないと感じています。ヘッドコーチは、あまり細かく指示をする人ではないんです。大まかなポイントは言ってくれますが、一人ひとりに委ねる部分が多い。そういう中で、自分はどういうプレーが必要なのかを考えてプレーしています。

――Lahn-Dillで求められているプレーとは?
藤本 シュートとボールハンドリングが巧い選手がたくさんいるので、そうした中でチームで最も高さがある僕には、やはりアウトサイドではなくインサイドでのプレーが求められています。いかにシューターがアウトサイドから気持ちよく打てるかが、チームの勝敗のカギを握っている。だから日本代表の時とは逆に、僕がダイブしてシュートチャンスを作り出すというような、バイプレーヤー的なプレーも多いですね。

――今シーズンの目標は?
藤本
 僕も含めて、Lahn-Dillは選手が大幅に入れ替わって新しいチームとしてスタートしました。ほかのチームと比べて高さがないということもあって、日本代表とスタイル的に似ているところが結構あるんです。そういう中で、僕と宏昭が加入したことは大きいのかなと。この5年間日本代表でやってきたものを、チームに還元できたらと思っています。そして、宏昭にとっても僕にとっても、初めてのリーグ優勝をしたいと思います!

各国の代表クラスが集まるLahn-Dillで初のリーグ優勝を目指す [写真]=斎藤寿子

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