「チームケミストリーを崩壊させてしまう可能性を秘めていた」とウォーレス
先日、2003年のドラフト同期、ドウェイン・ウェイド(元マイアミ・ヒートほか)とのインスタライブで、「もしデトロイト・ピストンズからドラフト指名されていたら?」というテーマで、カーメロ・アンソニー(ポートランド・トレイルブレイザーズ)は「俺は…そうだな。2個か3個のリングを持っていただろうな」という発言をし、注目を集めた。
同年のドラフトで、全体2位指名権を持っていたピストンズは、ダーコ・ミリチッチ(元ミネソタ・ティンバーウルブズほか)というビッグマンを指名。ピストンズに在籍した約2シーズンで、ミリチッチは平均5.8分1.6得点1.2リバウンドと、ドラフト指名順位に相当する活躍は残せなかった。
もっとも、ピストンズは名将ラリー・ブラウンHC(ヘッドコーチ)を迎えて臨んだ03-04シーズン途中にラシード・ウォーレスをロースターに加え、ベン・ウォーレス(共に元ピストンズほか)との“ダブル・ウォーレス”を形成。チャウンシー・ビラップス、リチャード・ハミルトン、テイショーン・プリンス(いずれも元ピストンズほか)を加えた不動のスターターを構築し、相手チームをシャットアウトする堅守を武器に1990年以来初、フランチャイズ史上3度目のNBAチャンピオンに輝いている。
その後デンバー・ナゲッツとニューヨーク・ニックスでカーメロとチームメートとなったビラップスは、4月2日(現地時間1日)に『ESPN』へ「もし(デトロイトが)メロを獲得していれば、俺たちはチャンピオンシップを3回制していたかもしれないね」と語っていたのだが、“ビッグベン”ことベン・ウォーレスは真っ向からこの考えを一蹴していた。
約2か月前に公開された『120 Watts The Podcast』に出演したウォーレスは「もし俺たちがカーメロをドラフトしていたら、正直な話、俺たちは一度もチャンピオンシップを獲得していたとは思えないね。メロはすぐにでも自分のプレーをしたがっただろうから。それがこのチームのケミストリーを崩壊させてしまう可能性を秘めていたんじゃないかな」と明かしていた。
「もしカーメロをドラフトしていたら、テイショーンが開花することもなかったかもしれない」と話し、2004年優勝の背景にあったブロックについても言及
また、ミリチッチについては「彼は『このチームでプレーする準備ができていない』と言ったんだ。彼が与えられた役割を受け入れたことで、あのチームはより強固なロースターを構築することができ、より強いチームとなってチャンピオンシップを獲得したんだ」とウォーレス。
そして先発スモールフォワードに定着し、3ポイントやポストアップから繰り出すフックショット、長い腕を駆使したディフェンスなどで絶大な貢献をしたプリンスについても触れていた。
「もしあのチームがカーメロをドラフトしていたら、テイショーンが開花することもなかったかもしれない。俺たちがチャンピオンシップを勝ち取ることができた背景には、俺の人生の中でベストなブロックがあった。それに俺も数多くのブロックを決めてきた。それこそ、デトロイトが誇る“Grit and Grind”(粘り強くプレーする)という俺たちのスタイルだったんだ」。
ウォーレスが挙げたベストブロックは、インディアナ・ペイサーズと戦った2004年のイースタン・カンファレンス・ファイナル第2戦。試合終盤にプリンスがファストブレイクでレジー・ミラー(元ペイサーズ)のレイアップをチェイスダウンブロックしたシーン。あのレイアップが決まっていればペイサーズが残り17.9秒で同点に追いつき、ホームの大観衆を味方につけて2連勝する可能性があっただけに、プリンスのブロックは値千金と呼べるものだったことは間違いない。
カーメロをドラフト指名したナゲッツは、ロースターにメスを入れてカーメロをエースに抜てきする環境を作り上げていたが、当時のピストンズは主力が固定されており、前年にカンファレンス・ファイナルへ進出していた強豪チーム。ウォーレスの発言が正しいかは誰にも分からないが、カーメロがナゲッツで記録した成績をピストンズでも残すことはなかったのではないだろうか。