レイカーズがジャクソン新HCの下でトライアングル・オフェンスを導入するべく、ブルズ時代を知るピペン獲得のウワサが浮上
1998-99シーズン終了後、ロサンゼルス・レイカーズは新たな指揮官としてフィル・ジャクソンHC(ヘッドコーチ)を招へいした。
90年代にマイケル・ジョーダンとスコッティ・ピペン(共に元ブルズほか)を中心にトライアングル・オフェンスを駆使して計6度の優勝を達成した名将を加えたことで、レイカーズには大きな期待が寄せられたことは言うまでもない、
当時のレイカーズは、シャックことシャキール・オニール(元レイカーズほか)、コービー・ブライアント(元レイカーズ)という2大スーパースターを擁し、3番手のスコアラーとして元オールスターシューターのグレン・ライス(元シャーロット・ホーネッツほか)がおり、リック・フォックス、デレック・フィッシャー、ロバート・オーリー(いずれも元レイカーズほか)といった有能なロールプレーヤーを複数抱えていたのだが、「トライアングル・オフェンスを遂行できるのか?」という疑問があった。
本来、トライアングル・オフェンスはビッグマンが最も能力を発揮できるシステムということで、シャックを中心にレイカーズがチャンピオンシップ獲得を狙おうとしているのは明白だったのだが、このシステムを熟知した選手をトレードまたはフリーエージェント(FA)で獲得するのではないかと、複数の現地メディアが報道。
そこで名前が挙がったのがピペンだった。ブルズで6度目の優勝を経験後、背中を手術したピペンは、トレードでヒューストン・ロケッツへと移籍。だがアキーム・オラジュワン(元ロケッツほか)、チャールズ・バークリー(元フェニックス・サンズほか)という2人のポストアップを中心に攻め立てるロケッツの戦術にマッチせず、ピペンはフラストレーションを抱えており、トレード候補となっていた。
だがレイカーズは高額サラリーとなったピペンをトレードで獲得するためには多くの犠牲を払わなければならず、シャックとコービーという若手2人と衝突してしまう恐れがあったことなどを理由に、ピペン獲得争いから撤退したと報じられ、最終的にポートランド・トレイルブレイザーズが6対1の大型トレードでピペンをロースターに加え、その後レイカーズのライバルとして立ちはだかった。
ピペン獲得には目もくれず、ロールプレーヤーのハーパーやサリーをロースターに加えたウェストGM「我々はそれで良かったんだ」
ところが、当時レイカーズのゼネラルマネージャー(GM)を務めていたジェリー・ウェスト(元レイカーズ)は、ピペンをトレードで獲得するプランは全くなかったという。
先日公開された『The Athletic』の記事の中で、ウェストは「彼を獲得するという話は私の中でなかった。選手として、私はいつもスコッティ・ピペンのことを称賛してきた。でも聞いてくれ、我々はそれで良かったんだ。いいかい? 我々はよくやったんだ」と告白した。
レイカーズはシャック、コービー、ライスの周囲にベテランのAC・グリーン(元レイカーズほか)、ジョン・サリー(元デトロイト・ピストンズほか)を獲得。10月3日にピペンのトレードが成立すると、14日にロン・ハーパー(元ブルズほか)、21日にはブライアン・ショウ(元ボストン・セルティックスほか)というベテランをロースターに加えた。
サリーは95-96シーズンにブルズでプレー、ハーパーはブルズの後期3連覇を経験しており、両者はジャクソンHCの下でトライアングル・オフェンスを経験していたことも、レイカーズにとって大きな支えとなったに違いない。
もしレイカーズがピペンを獲得していれば、シャック、コービーとのビッグ3を形成していただけに、1度や2度は優勝できていたのだろう。だが背中の手術を機に、ピペンはブルズ時代に見せていたベストパフォーマンスを披露することはできなかっただけに、3連覇できていたかは微妙。
大型トレードでピペンを獲得していた場合、レイカーズはライスやオーリーといったキープレーヤーを複数失っていた可能性があっただけに、全体的な戦力バランスが崩れていたかもしれない。
今となっては、当時GMを務めていたウェストの判断が正しかったと言えるのではないだろうか。