2020.06.08

シャックがレイカーズ時代の3連覇を回顧「ブレイザーズは最もタフなチームだった」

2000年のウェスト決勝でレイカーズを土壇場まで苦しめたブレイザーズ(左からスミス、ピペン)[写真]=Getty Images
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ウェスト決勝第7戦まで競い合った2000年のブレイザーズは「俺たちのことを恐れなかった唯一のチームだった」とシャック

 2000年から02年にかけて3連覇を達成したロサンゼルス・レイカーズは、名将フィル・ジャクソンHC(ヘッドコーチ)の下、シャックことシャキール・オニール(元レイカーズほか)、コービー・ブライアント(元レイカーズ)という当時リーグ最強のデュオを擁し、その周囲をデレック・フィッシャーやロバート・オーリー、リック・フォックス(いずれも元レイカーズほか)といった有能なサポーティングキャストが固めるチーム構成で勝ち続けた。

 そのレイカーズが00年に優勝を飾ったプレーオフ。ウェスタン・カンファレンス・ファイナルで相まみえたのは、ポートランド・トレイルブレイザーズだった。99-00シーズンはレイカーズがリーグトップの67勝15敗、そしてリーグ2番目の勝ち星を手にしていたのがブレイザーズ(59勝23敗)で、“事実上のファイナル”となったシリーズは予想どおりの激戦となった。

 レイカーズが4戦を終えて3勝1敗とし、NBAファイナル進出に王手をかけるも、ブレイザーズが2連勝で巻き返して逆王手。頂上決戦への切符をかけて運命の第7戦を迎えたのだが、第4クォーター残り10分28秒の時点でブレイザーズは15点ものリードを奪っていた。

 だがそこからレイカーズが猛反撃したのに対し、ブレイザーズはオフェンスが停滞。レイカーズが逆転に成功し、残り約40秒にはコービーからシャックへのアリウープが決まり、6点リードになって勝負あり。

 あれからちょうど20年が経過した6月5日(現地時間4日)に『Bleacher Report』へ掲載された記事の中で、フォックスが「あの瞬間、俺たちはようやく打ち破った。あのロブで、俺たちはようやく打ち破ることができたんだ」と振り返れば、シャックも「俺たちが見せた支配的なランを決定づける瞬間だったのさ」と、両エースによるアリウープをキープレーとして挙げていた。

 その後レイカーズはファイナルでインディアナ・ペイサーズを4勝2敗で下して優勝。01年にはアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズを4勝1敗、02年はジェイソン・キッド(元ダラス・マーベリックスほか)擁するニュージャージー・ネッツを4戦無敗で下して3連覇を達成。

 その間、レイカーズはティム・ダンカンを中心とするサンアントニオ・スパーズ、クリス・ウェバーを軸に豪華戦力で挑んだサクラメント・キングスなど、多くのライバルチームを打ち負かしてきたのだが、00年のブレイザーズが優勝を勝ち取るうえで大きな壁になっていたという。

「たぶん、俺がバスケットボールをプレーしてきた中で、相手としてはベストチームだった」とオーリーが明かせば、シャックも「彼らは最もタフなチームだった。俺たちのことを恐れなかった唯一のチームだったからな」と話しており、ブレイザーズこそが最大の障壁だったようだ。

シャックに「最もタフなチーム」と言わしめたブレイザーズ(左はピペン)[写真]=Getty Images

ブレイザーズのリーダー役を務めたピペン「シャックの支配力が一番の敗因だ。我々はあの男とマッチアップすることができなかった」

 この年のブレイザーズには、フロントコートに万能型パワーフォワードのラシード・ウォーレス(元デトロイト・ピストンズほか)、ベテランセンターのアルビダス・サボニス(元ブレイザーズ)、屈強な肉体を持つブルーカラーのブライアン・グラント(元ブレイザーズほか)、若手のジャーメイン・オニール(元インディアナ・ペイサーズほか)、さらにはシカゴ・ブルズで6度の優勝を経験したスコッティ・ピペン(元ブルズほか)、経験豊富なデトレフ・シュレンプ(元シアトル・スーパーソニックスほか)が在籍。

 バックコートにも堅実なスコアラーのスティーブ・スミス(元アトランタ・ホークスほか)、スコアリングガードのデーモン・スタッダマイヤー、パワーガードのボンジ・ウェルズ(共に元ブレイザーズほか)、ディフェンスに定評のあるグレッグ・アンソニー(元ニューヨーク・ニックスほか)、ステイシー・オーグモン(元ホークスほか)がおり、選手層だけで言えばブレイザーズはリーグトップと言っても過言ではないほどの豪華戦力だった。

208センチの高さと腕の長さを駆使してミスマッチから点を積み重ねたウォーレス[写真]=Getty Images

 レイカーズの前に惜しくも敗れたブレイザーズは、00年夏にオニールを放出してデイル・デイビス(元ペイサーズほか)を獲得、さらにはショーン・ケンプ(元ソニックスほか)も加えて打倒レイカーズに挑んだものの、翌01年、02年と、2年連続でレイカーズと激突し、ファーストラウンドでいずれもスウィープ負けを食らっている。

 だが00年のウェスト決勝でレイカーズを下していれば、「俺たちは3連覇していただろう。ジャーメイン・オニールは若手スターであり、サボニスに代わって先発センターを務めていたに違いない。俺らは彼が将来オールスターになれる選手と見ていたんだ」とスミスが話していた。

「俺たちはレイカーズがチャンピオンシップを勝ち取るチームだなんて全く思ってなかった。俺たちこそがチャンピオンになるんだと思ってたんだ。それはこのチームがリーグ全体で最もタレントを抱えていたチームだったからなんだ」。

シリーズ第7戦の第4Q。スミス(写真)やウォーレスがあと少し加点していれば、歴史は変わっていたかもしれない[写真]=Getty Images

 ウェルズが自信満々にそう振り返っていたものの、ブレイザーズが王朝を築けなかったのは、ピペンの言葉が最も的を射ていると言えよう。

「コービーは本当に本領を発揮し出していた、それは間違いない。だがシャキール・オニールの支配力が一番の敗因だ。我々はあの男とマッチアップすることができなかった。このチームを打ち負かしたのはあの男だったのさ」。

 ブレイザーズはサボニス、グラント、あるいはウォーレスがマッチアップしたものの、心身ともに全盛期にあったシャックを封じ込めることはできず、翌年から加わったデイビスとケンプでも抑えようがなかった。

 それもそのはず。当時のシャックはNBA史上で見ても歴代屈指の支配力を誇っていたからだ。それにレイカーズはシャック中心のチーム作りをしていたこともあり、ダブルチームで抑えようとしてもコービーをはじめ、フィッシャーやオーリー、フォックスらサポーティングキャストに得点を許していた。

 02年のウェスト決勝で、ウェバー擁するキングスはレイカーズを相手に第5戦を終えて3勝2敗と王手をかけ、第7戦の延長まで持ち込む大激戦を演じた。だが当時のキングスとブレイザーズを比較すると、プレーオフ経験の差は歴然で、後者に分があったことは間違いない。

 だからこそ、シャックとオーリーはブレイザーズを最もタフなチームと評したのだろう。

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