2022.09.05

カイリーがレブロンのトーク番組に出演…キャバリアーズ時代の苦悩を明かす

レブロンとカイリーは2014年から2017年までキャブズで共闘した[写真]=Getty Images
某ストリートメディアのシニア・エディターを経験後、独立。ひとつのカルチャーとしてバスケットボールを捉え、スポーツ以外の側面からもNBAを追いかける。

 マイケル・ジョーダンとスコッティ・ピッペン、コービー・ブライアントとシャキール・オニールなど、NBAの長い歴史には数々の最強のデュオが存在する。なかでも、レブロン・ジェームズカイリー・アービングはアンストッパブルな組み合わせだった。

 アービングは、2011年にクリーブランド・キャバリアーズに入団。初年度からその才能を遺憾なく発揮した同選手は、1試合平均18.5得点5.4アシストを記録し、ほぼ満場一致の得票数で新人王を獲得した。

 レブロンのキャブズ帰還が実現したのは、アービングのデビューから3年後のこと。このコンビがリーグの“致命傷”となるまでに時間はかからず、特にゴールデンステイト・ウォリアーズを相手に1勝3敗からの逆転優勝を果たした2015-16シーズンのパフォーマンスは、多くのNBAファンの記憶に焼きついていることだろう。

キャブズは2015-16シーズンに崖っぷちの状況から3連勝し、NBA制覇を果たした[写真]=Getty Images


 しかし、アービングのボストン・セルティックス移籍を境に、両選手は仲違いとなってしまう。だが、アービングはその後当時の未熟さを認め、今夏はロサンゼルスの地で再結成が噂されるまでに関係性は改善している。

 アービングは、レブロンがホストを務めるトーク番組『The Shop』にゲスト出演。そこでクリーブランド加入当初を振り返り、レブロンの後継者としての役割を受け入れることをはじめ、感情のコントロールや難しかったことを明かしている。

「レブロンとプレーして、KD(ケビン・デュラント)ともプレーした。彼らは過去最高のチームメートです。ただ、僕らの文化において、彼らは正真正銘のアイコンです。そして、僕は彼らの穴を埋めなければならない。この役割は僕にとって本当に難しいものでした」

「(レブロンが出演した)『The Decision』を見たんです。それから1年後、僕は“The Chosen One”が去ったことで感情的になっていたクリーブランドからドラフトされました。彼らが獲得したのは、19歳の少年です。当時の僕はただの188センチのバスケットボール選手で、ジムから飛び出したりはしませんでした」(※レブロンは、2010年に放送された『The Decision』内でキャバリアーズからマイアミ・ヒートへの移籍を発表し、大きな非難を受けた)

「感情的になって、見当違いなものと戦っていました。今思えば、あれは僕には何の関係もないことでしたね。そのプレッシャーを受け入れた時、僕はクリーブランドを約束の地へ戻さなければいけないという使命を感じました。孤独な戦いでした」

 アービングがメンタル的な困難を感じていたのは、若くしてチームを背負っていた時期だけではない。レブロンがキャバリアーズに復帰すると、今度は信じられないほど大きな期待に応えなければならなかったと振り返っている。

「詳細を話すのであれば、何時間もここに座っていられるでしょう。でも、僕が若者に最も伝えたいことは、スーパーヒーローにも助けは必要ということです。チームリーダーが常に責任を背負う必要はありません。ですが、ブロンはとてつもない負担を引き受けていました」

 アービングはその言動から、“不安定”というレッテルを貼られている。しかし、ともにプレーし当時の状況を知るレブロンは、彼に対して深い愛情を示している。

「あいつは本当に誤解されている! キャリアを通じて成長する姿は素晴らしい。彼は驚異的なバスケットボール選手以上に、もっと深みのある人間だといつも信じていたし、分かっていた!」

 アービングは、当時チームリーダーのレブロンとあまり会話しなかったことを後悔しているという。そうした過去の経験から、現在はデュラントと積極的にコミュニケーションを取っている。

 中国の儒学者、朱子は「少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず」と記した。稀代のハンドリングモンスターは今シーズン、コートの内外でさらなる成長を披露してくれることだろう。

 文=Meiji

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