2016.12.23

元日本代表HCにして現早稲田大学術院教授、倉石平氏が解説「高校バスケ戦術クロニクル」

今年度も幕が開けたウインターカップ。頂点に立つのはどこの高校か。
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バスケットボール日本代表として活躍し、引退後は古巣の熊谷組、大和証券、日立(現サンロッカーズ渋谷)、日本代表などでヘッドコーチを歴任。現在は早稲田大学スポーツ科学学術院教授を務める倉石平(くらいし・おさむ)氏に、ウインターカップの歴史と戦術の変遷についてじっくりと語ってもらった。

構成=村上成

 ウインターカップが始まる何年も前に、“東京全盛期”という時代がありました。それがなかったらウインターカップは始まらなかったでしょう。“東京全盛期”は東京にある中大付属(中央大学附属高校)、中大杉並(中央大学杉並高校)、明大中野(明治大学付属中野高校)、京北(東洋大学京北高校)、早稲田実業(早稲田大学系属早稲田実業学校高等部)、安田(安田学園高校)、日体荏原(日本体育大学荏原高校)など強豪校がひしめいていて、そのうち全国大会ベスト4の中に3校が入るような時代でした。

 この“東京全盛期”を迎えたことで、全国の高校は東京の高校に憧れるようになり、東京には優秀な選手が集まってくるようになりました。東京にある大学の付属高校というのは、中学バスケ部にとっての憧れの的だったわけです。必然的に東京のレベルは高くなり、春休みや冬休みに遠征に来る高校が増えました。全国から練習試合のために強豪校に遠征に来たんです。ある意味、東京遠征をしないと強くなれないという風潮もありました。実際、能代工業高校もそうして強くなったチームの一つです。

 東京が強く、全国のチームが東京に集まってくる。この傾向から、高校の指導者たちが「それなら東京で全国大会を開こう」と話し合いを始め、スタートしたのがウインターカップの前身にあたる、当時春に行われていた選抜優勝大会です。

 この時の東京には全国から優秀な選手が集まっていたため、特に大きな違いとして背の高い選手がそろっていました。当時のU-18選抜チームには自分も入れていただきましたが、後に日本代表で活躍された2メートルの北原(憲彦/明大中野)さんをはじめ、190センチのシューティングガードや、195から2メートルぐらいの選手が何人かいました。一方で地方のチームには背の高い選手がほとんどいなかったので、東京の高校と対戦するとゴール下にボールを集められて負けてしまう、という展開が多かったです。

 その東京に対抗したのが、能代工の当時の監督である加藤廣志先生です。小さいから高さでは勝てない、だったら早く走れ、フルコートで守れと指導してあのゾーンプレスができあがったんです。大きい選手に勝つためには平面で勝負するしかないと。それが能代工のバスケットボールの礎です。

 そこから“能代工業時代”がスタートします。私が高校生だった頃の次の世代、一番最初に出てきたのが小野秀二(現アースフレンズ東京Zヘッドコーチ)、その1個下に内海知秀(現女子日本代表ヘッドコーチ)がいて、そのもう1個下に鈴木貴美一(現シーホース三河ヘッドコーチ)がいました。

 加藤廣志先生が率いていた時代も全国で何度も優勝しましたが、その次の加藤三彦先生の時代は、さらに強くなった印象がありますね。高さもスピードもすべて兼ね備えたチームになっていきました。ゾーンディフェンスから速攻という形が目立つようになり、その中で一番有名になったのが、田臥勇太(現栃木ブレックス)です。

 田臥たちの代は、田臥以外は3番(スモールフォワード)、4番(パワーフォワード)、5番(センター)が195センチを越えていたので、あの時の能代工には小さいというイメージがなく、まさに高くて速いチームでした。アグレッシブなディフェンスで相手のミスを誘い、そこから速攻を繰り出すパターンです。NBAのロサンゼルス・レイカーズやULNV(ネバダ大学ラスベガス校)で有名な、“コントロールファーストブレイク”ですね。速攻の際に、走るコースを決めて右側を2番、左側を3番が走って、真ん中で1番がボールを運び、その後ろに4番、5番が走ってくるスタイルでした。

 その後に、留学生を抱える福岡第一高校や延岡学園高校の時代が来ます。これに対抗して、当時仙台高校を率いていた佐藤久夫先生が「日本人でも小さくても勝てる」と言って思いきって、カッティング(ボールを持たない選手が明確なオフェンスシステムの中で、ディフェンスを振りきってボールをもらう動き)とかパッシング(パスでオフェンスを組み立てる動き)とかの韓国のバスケットを導入しました。大きな体の留学生に勝つというバスケットをやるようになったんです。そしてこのバスケットを実践した佐藤先生は一時期教職を退かれました。それは日本のレベルアップのため日本バスケットボール協会にご奉仕されたためです。その後、5年ぶりに高校バスケット界に戻って来て率いることになった宮城県の明成高校が台頭してきます。

 このあたりから図式は、戦略的な日本人チーム対留学生に変わっていきます。留学生がいるチームが台頭してきて、それに対して日本人チームがしっかりした戦術で戦い勝つ。そうして勝ったのが明成であり、香川の尽誠学園高校であり、福大大濠(福岡大学附属大濠高校)です。今年のウインターカップでも、同じ構図の戦いがより激化した形で見られると思います。

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