2016.12.22

取材歴40年、高校バスケに魅了された名物記者が語る「ウインターカップの魅力」

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 高校バスケットボール界の、冬の風物詩、「JX-ENEOSウインターカップ2016 平成28年度 第47回全国高等学校バスケットボール 選抜優勝大会」が12月22日の開会式からいよいよ幕を開ける。

 1971年に第1回大会が行われ、今年で47回目。長い歴史の中では様々な変化があった。「最初は春の選抜大会として行われ、冬開催になったのは1988年からなんですよ」と振り返るのは、取材歴40年近くを誇るベテランライターの清水広美さんだ。専門誌のアシスタントから、編集者、フリーライターとして1978年の第8回からこの大会を追いかけている。

 歴史を紐解くと「ウインターカップ」はもともと「ウインターカップ」ではなかった。「1988年はイレギュラーで春と冬に2回、選抜大会がありました。それを経験したのが後藤(正規/浜松開成館高校コーチ)君、佐古(賢一/広島ドラゴンフライズヘッドコーチ)君、折茂(武彦/レバンガ北海道)君たちです」。後に日本代表で活躍するスターたちもこの大会でしのぎを削った。そして30年近く前に春冬両大会を経験した折茂は46歳にして今も現役を続けている。

 どうして清水さんはこれだけ長くウインターカップを取材し続けてきたのか。「選手の成長していく姿が見られるんですよ。それが一番の醍醐味。在学中の3年間もそうですし、有名になればその後の活躍も追いかけられますから」。強く印象に残っているのは鶴鳴学園長崎女子高校の濱口典子(現姓小磯典子)さんだという。「高校で活躍したマック(濱口さんのコートネーム)がアトランタ・オリンピックに出て、海外の大きな選手とわたり合って技術でねじ伏せる姿を見た時は、涙がポロポロ出ました」と懐かしむ。

 清水さんは気づけば取材が義務のように、毎年、東京体育館に足を運んでいる。「インターハイと国体とウインターカップは見続けないと、すべて途切れてしまいますから。使命感みたいなものもあります」。もっとも、開催地が東京体育館になったのは、第27回(1996年)大会から。それまでは代々木競技場第二体育館が使用されていた。日程の都合や改修工事などの関係で別会場で行われたことはあるが、東京体育館が高校生にとっての“聖地”となったのは20年ほど前からだ。

 この東京体育館には知られざる逸話がある。12月24日クリスマス・イブに全試合が終了すると同時に、会場内に山下達郎の『クリスマス・イブ』が流れていたという。「今年もここでクリスマスを迎えちゃったって気づかされるんですよ」と清水さんは微笑む。「ただ、何年か前に流れなかったことがあって会場がざわついたんです。それを待っている人もいるみたいで。でも去年、復活しました」
(編集部注:今大会で同曲が流れるかは不明)

 アリーナ内で見ること、聞くことができる各校の特徴的な応援も、ウインターカップならでは。清水さんは楽しそうに語る。「開志国際(高校)の女子の応援歌。いつも何て言ってるのか確認しようとして忘れちゃうんですけど『がんばらなきゃ、がんばらねーば、いーよやったらいいよ』とかそんな感じで」と口ずさむ。ニック・ウッドの『Passion』の替え歌だ。「山形南(高校)の応援団も有名ですね。サンタクロースとかいろいろな恰好をするんですよ。あと北陸(高校)。チームカラーが黄色で、黄色いタオルを回す応援スタイルなんですけど、ノリノリですごい勢いで回してますよ。篠山(竜青/川崎ブレイブサンダース)選手や多嶋(朝飛/レバンガ北海道)選手がいた頃からやってましたね」

 ウインターカップはスター候補の宝庫でもある。前述の後藤、佐古、折茂は実際、スター街道を歩んだ。「佐古君はオーラがあってキラキラしていましたよ。折茂君も当時からシューターとしてのセンスを発揮していました。後藤君も『ゴルゴ13』みたいな正確無比なプレーを見せていましたね」。能代工で前人未踏の高校9冠を成し遂げた田臥勇太(栃木ブレックス)もまた、当時からスポットライトを浴びていた。が、清水さんは彼が脚光を浴びる前の意外な一面を明かしてくれた。

「田臥選手はミニバス時代から知ってるんですよ。当時のコーチと知り合いだったので。で、専門誌で仕事をしていた時、バッシュが当たるプレゼントコーナーがあってそれによく応募してくれたんです」。その少年が、時間を置かずに世間の耳目を集めるようになる。「あの時の能代工は強かったですよ。9冠が懸かった大会は取材もまさに厳戒態勢で、決勝戦(船橋市立船橋高校戦、98-76で勝利)も彼らの動きは固かったんです。でも後で聞いたら、あの日はみんな風邪を引いてたみたいで。東京が予想外に寒くて、結構大変だったって」。それでも田臥を擁する能代工は9冠を達成したのだ。

 続けて清水さんが名前を挙げた選手たちは、いずれも現在第一線で活躍している。四日市工業高校の桜井良太レバンガ北海道)、仙台高校の志村雄彦仙台89ERS)、北陸高校の石崎巧名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、洛南高校の竹内公輔(栃木ブレックス)と竹内譲次アルバルク東京)、同じ洛南の辻直人川崎ブレイブサンダース)、福岡第一高校の並里成滋賀レイクスターズ)、洛南の比江島慎シーホース三河)。この中で特にインパクトが強かったのは比江島だという。

「洛南は冬に勝てなかったんですよ。それが比江島選手が1年生の時、インターハイの後にめちゃくちゃ走りこんだらしくて。同級生には谷口大智秋田ノーザンハピネッツ)選手もいて、その冬に優勝して、勝ち方を覚えたというか。彼らが3連覇を達成する中で成長していく姿がよくわかりました」。その洛南に続いて大会を盛りあげたのが、現在アメリカの大学で研鑽を積む尽誠学園高校の渡邊雄太(ジョージ・ワシントン大学)と明成高校の八村塁(ゴンザガ大学)だ。

 清水さんは能代工、洛南と同様に、明成の3連覇も目の当たりにした。八村については開口一番、驚きの言葉を発する。「塁は下手だったんですよ」。清水さんは明成のバスケットボール部創設時からチームを追いかけ、歴代の選手たちもよく知っている。「正直、彼はもともとうまくなかったんです。1年生の時から出てましたけど、ひょろひょろで技術も未熟でした。それが3年掛けてメンタル面もフィジカル面も鍛えられました」。転機になったのは2年のウインターカップだという。「本人も言ってましたけど、あの大会の決勝(福岡大附属大濠高校戦、71-69で勝利)で名実ともにエースになりました。すごくハイレベルな戦いを制して大きく成長したんです」

 迎える今年度の大会は“本命不在”と言われる。注目チームについて尋ねると、清水さんの口からは次々と校名が出てきた。「インターハイで優勝した福岡第一、同じ福岡の福大大濠、4連覇が懸かっている明成、帝京長岡(高校)、もちろん東山(高校)も外せません。それと北陸学院(高校)も優勝を狙える位置にいると思います」。群雄割拠のウインターカップにおいて、ポイントになるのは留学生の存在だ。

「留学生は1チーム2人まで。以前はセネガル人ばかりでしたけど、今は中国、マリ、コンゴの選手もいますね」。出場校から特に警戒されているのは東山のカロンジ・カボンゴ・パトリックと、帝京長岡のタヒロウ・ディアベイト。「どっちが一番うまいんだろうって言われていますね。2人とも語学センスがあって日本語がペラペラなんですよ」

 清水さんは続ける。「留学生で最初に話題になったのは10年ぐらい前の、延岡学園(高校)のママドゥ・ジェイ(帰化して現姓坂本ジェイ仙台89ERS)選手ですね」。今では大半のチームが戦力アップを狙って留学生を迎え入れている。この傾向を清水さんはポジティブに捉える。「確実に日本のためになってますよ。高校時代からレベルの高い外国人選手と試合ができるんですから」。確かに日本人の高校生で2メートルを超える選手は多くない。もちろん日本人選手が留学生に出場機会を奪われる可能性はあるが、高校バスケットボール界全体のレベルアップにはつながるだろう。

 最後に、東京体育館での観戦ポイントを聞いた。まず座席はどこが良いか。「組み合わせを見て、ちゃんと決めた方がいいですよ。例えばコート2面が同時に見られる席とか。気になる2チームが見られて、仮に1試合の点差が開いても隣のコートが見られますからね。ただ1つの試合に集中したい、落ち着いて見たいという方もいると思うので、そういう方はサブアリーナのDコートがオススメです」。快適に観戦するために、こんなアドバイスもくれた。「会場内の売店は混んでるし、並ぶ時間ももったいないですから、食べ物や飲み物はどこかで買ってきた方がいいですよ」

 もう一つ、意外と知られていない穴場の席を紹介してくれた。「メインコート1面になった時、エンドライン側にひな壇のように設置される席があって、実は去年までは階段を下りたところで整理券を配っていたんですよ。今年はアリーナ席として販売されていますけど、それをもらえればかなり近いところから見られたんです。あとはやっぱりコートサイド席はチーム応援席より前だから見やすいですね」
(編集部注:今大会からアリーナ席の他、コートサイド席の券種も新設された)

 ベテラン記者を魅了し続けるウインターカップ。1年の終わりを告げるこの大会には数多の高校生プレーヤーが足跡を残してきた。未来のスター候補が生まれ、観客やメディアは歴史の生き証人となる。30年以上も前のこと、清水さんは春の高校選抜の会場で、誌面用に観客からコメントを取っていた。その中で、観戦に訪れていたある高校の先生がこう言った。「いつの日かセンターコートに立ちます」。まだ県予選も突破したことがないチームの先生だった。

 それから約20年後、その先生は実際にセンターコートに立った。岐阜女子高校の安江満夫先生だ。この時、清水さんが声を掛けると、安江先生はこう返したという。「俺、あの時の記事を今も持ってるんだよ」。安江先生はいつも胸ポケットに、清水さんが書いたその記事のコピーを入れていたそうだ。有言実行を果たした安江先生はそれから9年後の2015年、岐阜女子をウインターカップの頂点へと導いた。清水さんは感慨深く回想する。「記者冥利につきますね。こういった出会いがあるから止められないんです」

文=安田勇斗