豊富な全国大会出場経験を持ち、“バスケットボールの強豪”と呼ばれる高校がいくつかある。才能豊かな中学生を迎え入れ、独自のメソッドやハイレベルな競争の中で鍛え、磨き上げ、次のステップへと送り出す。プロの舞台では、そうした強豪校出身の選手が数多くプレーしている。
では、数ある強豪校はそれぞれどのような選手を輩出してきたのだろうか。各校のOBを現在B1リーグでプレーする選手たちを中心にピックアップし、紹介する新企画。第1回は、男子高校バスケットボール界で断トツの実績を誇る能代工業高校(秋田県)のOBをピックアップする。
※所属は2019-20シーズンのもの
●能代工業高校出身のBリーガー
■田臥勇太(宇都宮ブレックス)
神奈川県出身、1980年10月5日生まれ。言わずと知れた日本人初のNBAプレーヤー。1996年から1998年にかけて能代工業の中心選手として活躍。インターハイ、国体、ウインターカップをそれぞれ3連覇し、“高校9冠”を果たした。卒業後はブリガムヤング大学ハワイ校を経て、2002年5月にトヨタ自動車アルバルク(現アルバルク東京)に入団し、同シーズンのJBL新人王を受賞。その後は海外挑戦を掲げ、2004年にフェニックス・サンズで4試合出場し、NBAデビューを果たす。2008年8月にリンク栃木ブレックス(現宇都宮)に入団して国内復帰を果たし、現在も在籍する。
■内海慎吾(京都ハンナリーズ)
北海道出身、1984年4月28日生まれ。父親は能代工業OBである内海知秀(現日立ハイテククーガーズHC)、母親は大妻高校時代に高校3冠を果たした経歴を持つバスケ一家に生まれる。能代工業では1年次からインターハイ優勝を経験し、2年時にはインターハイに加えてウインターカップも制覇した。卒業後は東海大学に進学し、2007年の天皇杯では竹内譲次(アルバルク東京)らとともに学生チームとしては21年ぶりとなるベスト4進出の快挙を果たす。その後は三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ(現名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)、和歌山トライアンズを経て、現在は京都でプレー。
■長谷川技(川崎ブレイブサンダース)&満原優樹(琉球ゴールデンキングス)
長谷川は岩手県出身、1989年7月21日生まれ。満原は神奈川県出身、1989年12月27日生まれ。ともに1年次から主力として活躍し、最高学年となった2007年にはインターハイと国体の2冠を達成した。9年ぶりの3冠を目指して臨んだウインターカップでは、準決勝で辻直人(川崎)や比江島慎(宇都宮)擁する洛南高校(京都府)と対戦。試合中に満原が負傷退場するアクシデントもあり、72-102で敗れた。高校卒業後、長谷川は拓殖大学を経て東芝(現川崎)に入団し、現在も在籍。満原は東海大学から日立サンロッカーズ(現サンロッカーズ渋谷)に入団し、2019-20シーズンからは琉球でプレーしている。
■長谷川暢(秋田ノーザンハピネッツ)
埼玉県出身、1996年12月21日生まれ。上尾市立大石中学校で全国中学校バスケットボール大会優勝を経験し、2012年に能代工業に入学。1、2年次は全国大会で上位進出を果たせず、主将として臨んだ2年次の新人大会では、実に46年ぶりに県大会で敗戦するなど苦境を経験した。しかし、3年次のウインターカップでは、準々決勝で同年のインターハイ王者である福岡大学附属大濠高校(福岡県)に敗れるも、チームの7年ぶりとなるベスト8進出に貢献。その後、早稲田大学在学中に青森ワッツや秋田ノーザンハピネッツで特別指定選手としてプレー。2019-20シーズンには正式に秋田と契約し、35試合に出場した。
■盛實海翔(サンロッカーズ渋谷)
埼玉県出身、1997年8月26日生まれ。長谷川暢と同じく上尾市立大石中学校出身で、1学年後輩。中学2年次にチームは全国制覇を果たすも、盛實はメンバーに入っていなかった。能代工業に進学後、2年次から試合に絡みはじめ、3年次にはキャプテンに就任。最後のウインターカップでは、準決勝で平岩玄(アルバルク東京)を擁する土浦日本大学高校(茨城県)に敗れるも、3位入賞を果たして“名門復活”を印象付け、自身も大会ベスト5に選ばれた。大学は専修大学を選び、3年次、4年次と2年続けて特別指定選手としてSR渋谷に入団。2020-21シーズンからは正式に契約を結び、同クラブでプレーすることなる。
<そのほかの能代工業高校出身Bリーガー>
野里惇貴(青森ワッツ)
武藤修平(福島ファイヤーボンズ)
西山達哉(信州ブレイブウォリアーズ)
金久保翔(香川ファイブアローズ)