2018.12.21

町田瑠唯(札幌山の手卒)が語るウインターカップ「3冠が目標ではなかった」

町田は高校3年次、インターハイ、国体、ウインターカップの3冠を達成
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12月23日から29日の期間、武蔵野の森総合スポーツプラザにおいて、「SoftBankウインターカップ2018 平成30年度 第71回全国高等学校バスケットボール選手権大会」が開催される。全国高等学校総合体育大会(インターハイ)、国民体育大会(国体)、そしてウインターカップを高校バスケ界の3大タイトルとしているが、ウインターカップは最も注目度が高い大会でもある。

今回は冬の大舞台を経験し、現在トップリーグで活躍する選手たちを直撃した。第3回は、札幌山の手高校(北海道)の一員として3年連続出場を果たした町田瑠唯(富士通 レッドウェーブ)。3年次にタイトルを総なめにした、のちのオリンピアンが高校時代を回想した。

インタビュー=酒井伸
写真=山口剛生、fiba.com

■1年生の時は桜花に対して何もできなかった

――札幌山の手高校に進学した理由を聞かせてください。
町田 北海道の中で一番強いチームですし、全国大会で優勝したいという目標があったからです。道外に出るつもりはなく、コーチの上島(正光)さんにバスケを教わりたいと思っていたので札幌山の手に決めました。寮生活だったのですが、1年生の時は食事の量が多くて大変だった思い出があります。

――どのようなバスケスタイルでしたか?
町田 走るバスケット、速いバスケットでした。フォーメーションはあまりなくフリーランスで、選手一人ひとりの状況判断でプレーしていました。

――練習は大変だったと思います。
町田 私はかなり走っていたと思っていたのですが、他校と比べたら全然少なかったようです。2メンや3メンで5往復や、学校の近くにある『三角山』まで走ることはありました。練習はハードで頭も体も使っていましたけど、教えてもらうことが新しいものばかりだったので楽しかったです。

高校卒業後の2011年から富士通でプレー [写真]=山口剛生

――初めてのウインターカップでは1回戦から先発で出場していますが、いつ頃から試合に出られるようになったのですか?
町田 1年生の最初から試合に出させてもらっていて、入学当初からいい経験をさせてもらっていたと思います。上島さんからは「狙うところが周りの選手と違う」と言われていて、パスやアシスト、状況判断などを評価してもらいました。

――東京体育館に初めて立った時の感覚を覚えていますか?
町田 とても広い体育館だなと思った記憶があります。あれだけ大勢の観客の前でプレーするのは初めてで、さらにスタートで出ることになったので緊張しました。

――先発出場を言い渡されたのはいつですか?
町田 スタートで出ていた3年生がケガをしてしまって、開幕1週間前くらいの練習で言われました。

――2回戦では渡嘉敷来夢(JX-ENEOSサンフラワーズ)選手や丹羽裕美(東京羽田ヴィッキーズ)選手を擁する桜花学園高校と対戦し、72-91で敗れました。
町田 これまであんな大きな選手たちと戦ったことがなく、プレー面はあまり印象がありませんが、シュートが全く入らなかったことを憶えています。(3ポイントが5分の0、2ポイントが4分の0)。上島さんには「1年生なりに勇気を持ってアタックした」、「あとは決めるだけだ」と言われました。

――翌年もウインターカップに出場しました。大会に臨むにあたり、前年と比べてチームや自身の変化はありましたか?
町田 2年生になって本格的にスタートのポイントガードとして使ってもらっていたので、1年生の時よりも責任感を持ってプレーしていたと思います。チームは2年生、1年生が中心だったため、3年生のために、という気持ちで戦っていました。

――準決勝で桜花学園に46-82と大差で敗れ、結果的に3位入賞でした。
町田 1年生の時は桜花に対して何もできなかったという印象があったので、2年生の時はやってやるぞという気持ちでいました。試合は自分たちのバスケットを貫いて、相手センターをどう守るかという指示がありましたが、何人でいっても高さでやられました。

――3年生ではインターハイ、国体、ウインターカップの3冠を達成しています。
町田 前年のスタート4人を含めて様々な経験もさせてもらっていたので、一人ひとりが全国優勝するという気持ちでいました。自分たちが3年生になった時、ミーティングして「全国制覇」という目標を掲げることになったんです。それを黒板に大きく書いたら、上島さんがやって来て「それは当たり前だ。消せ」と言われて。上島さんは自分たちのバスケをしっかりやること、もっともっとチームのレベルを上げていくことなどを求めていて、自分たちよりも上のところに目標を置いていました。

――インターハイ、国体で優勝した自信がウインターカップにつながったんでしょうか?
町田 国体はギリギリの戦いを制して優勝したので、その後は気を引き締めて練習するようになり、ウインターカップでは自分たちのバスケを貫けば勝てると思っていました。周りからは3冠のことを言われていましたが、3冠が目標ではなく、上島さんが求めていることをどれだけ表現できるかを意識していました。3冠取って上島さんが「(僕が)求めているバスケットに、選手たちが同じレベルまで来てくれた」と言ってくれて、目標を達成できたと思いました。

――ご自身は大会1位の33アシストを記録し、ベスト5に選出されました。
町田 うれしかったですし、みんなに感謝しました。アシストなので自分の力だけではつきませんし、みんなが決めてくれて、いいところに動いてくれて、チームで選ばれたベスト5だと思います。特に長岡(萌映子/トヨタ自動車 アンテロープス)選手は決勝で50点も取ってくれました。

■悔いの残らないように戦ってほしい

――いつ頃からWリーグでプレーしたいと思っていましたか?
町田 実業団に行きたいと思ったのは高校に入ってからです。また、山の手出身の選手が多く、練習に来てくれることもありましたし、ウインターカップ前と春に富士通の練習場で合宿する“富士通合宿”で選手に会うこともあって、実業団を意識するようになりました。試合をよく見ていたので選手もよく知っていましたし、私が中学生の頃、富士通が強く、オールジャパンやWリーグで優勝していて、富士通のことが好きで入りたいと思っていました。

――実業団に進むことを決めたのはいつですか?
町田 実業団から声が掛かると思っていなかったので大学も考えていました。進路を決める時に上島さんから実業団のオファーがあることを聞いて、いくつかある中から富士通と即答しました。インターハイ後の夏頃だったと思います。

――ウインターカップでの一番の思い出、高校3年間で一番学んだこと、今の世界で活かされていることを教えてください。
町田 高校では3冠が一番の思い出で、プレー面よりメンタル面を学ぶことができ、上島さんには「楽しんでバスケをやろう。見ている人を楽しませるバスケをやろう」と言われて、まずは自分たちが楽しまなきゃと。それは実業団に入ってからも同じで、自分がうまくいかなかった時、楽しくやらなきゃうまくいかないと感じています。勝負事なので勝ちたいですが、勝ちにこだわること、楽しんでやることを意識しています。

――ウインターカップ出場選手に向けてメッセージをお願いします。
町田 3年生にとって最後の大会ですので、悔いの残らないように戦ってほしいです。自分たちのバスケットを信じて、バスケットを楽しんでください。

日本代表にも名を連ね、様々な世界大会を経験 [写真]=fiba.com

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