2018.12.29

稀代のスーパースターを輝かせるために

「3年生として最後の試合を勝って終わりたかった」と語った桜丘の小嶋悠斗 [写真]=兼子慎一郎
本格的に取材を始めたのが「仙台の奇跡」と称された2004年アテネ五輪アジア予選。その後は女子バスケをメインに中学、高校と取材のフィールドを広げて、精力的に取材活動を行っている。

 試合直前の選手紹介。白のユニフォーム、桜丘の小嶋悠斗の名前が読み上げられると、それまでベンチに座っていた江崎悟コーチはおもむろに立ち上がって、駆けてきた小嶋に声をかけた。

「今日は全部お前に託したから、お前が全部やれ」

 そう言って2度ほど彼の背中を叩き、コートへ送り出した。その言葉は小嶋にしかかけていない。

「全部やれ」といっても、何も得点を取ってこいという意味ではない。彼に託されたのはポイントガードとしてのゲームコントロールだ。結果的には課題であるプレスディフェンスに対する対処がうまくいかず、最後は後輩にコートを譲ったが、それでもゲームを託されたことは素直に嬉しかったと小嶋は語る。

 桜丘には稀代のスーパースター富永啓生がいる。平均得点45点を目指すと豪語し、実際にそれを体現するだけのスコアリング能力も披露している。

 しかしそんな富永も昔から名を馳せたスーパースターではなかった。身長も低く、体の線も細かった。中学時代には全国大会こそ出ているが、愛知県の選抜チームには選ばれていない。ただ高校入学前に小嶋が再会した時には、身長こそ低かったが、シュートセンスだけは抜群だったと言う。

「入学直前に連れていってもらった高校生の招待試合で啓生はスタメンで試合に出て、MVPを獲ったんです。もちろん今に比べると身長も低かったし、ドライブなどで得点を取ることはできていませんでしたが……」

 その後の富永の成長ぶりは周知のとおりだ。桜丘だけでなく、年代別の日本代表入りを果たし、そのチームでもエースの座に登り詰めていく。

「啓生が絶対に得点を取ってくれると信じています。だから自分が得点を取れなくても、ディフェンスだけは頑張って、そこで奪ったボールを啓生につなぐパスを出して、ゲームに勝ちたいなと思っていました」

 中学時代、富永が選ばれなかった愛知県の選抜チームに名を連ねていた小嶋は、富永の得点力を信じ、それを生かす道を選んだのだ。3位決定戦、桜丘は富永が帝京長岡の厳しいマークに合いながらも46得点をあげ、銅メダルを獲得した。

「初戦から入りが悪くていろいろあったけど、準決勝でも自分がいいプレーをできなくてチームに迷惑をかけてしまいました。だからこの3位決定戦は3年生最後の試合だから、絶対に勝って終わろうと話していました。自分も気合を入れて戦って、勝てたので本当によかったです」

小嶋はチームの司令塔として江崎コーチからゲームを託された [写真]=兼子慎一郎


 小嶋は桜丘として最後のゲームでの勝利をそう振り返った。

 富永が稀代のスーパースターとして輝けたのは、その周りに小嶋をはじめとする、自分を輝かせてくれる仲間たちがいたからだ。

 2019年の桜丘を振り返った時、そのことも忘れてはいけない。

文=三上太

ウインターカップ2018のバックナンバー

BASKETBALLKING VIDEO