Bリーグ公認応援番組
『B MY HERO!』
仙台高校と仙台大学附属明成高校にて、幾度もの名勝負を繰り広げ、多くの選手を育成してきた佐藤久夫コーチが6月8日に73歳で永眠した。
厳しい指導で知られる佐藤久夫コーチだが、その裏にあるのは、選手への溢れんばかりの愛情と情熱があったことは、巣立った教え子たちがみな語っている。前任の仙台高では宮城県の選手だけで構成された公立校をウインターカップ連覇に導く組織力を作り、2005年に創部した仙台大明成高では、対応力を求めたスタイルで、インターハイで1度、ウインターカップで6度の優勝に輝いている。
常に頂点を目指したチーム作りの道中では、パッシングオフェンスや大型化、ポジションレスバスケなど様々なスタイルに挑戦。NBAで活躍中の八村塁(ロサンゼルス・レイカーズ)を筆頭にアメリカへの進学ルートを開拓するなど、時代の流れの中で柔軟かつ、オリジナリティある指導力で、バスケットボール界に様々なヒントと勇気を与えてくれた。
バスケ界に多大な影響を残した佐藤コーチを偲び、6月11日の通夜と12日の葬儀には、全国から1000人を超す参列者が訪れた。斎場には日本バスケットボール協会やコーチ仲間、交流のある大学や高校、仙台と明成の歴代OBや父兄などからの献花で埋め尽くされ、展示コーナーには仙台と明成両チームでの思い出の品が飾られ、貴重な指導ノートも公開された。
中でも多くの参列者が足を止めて見つめていたのが、佐藤コーチみずからが編集を手掛けたビデオレターだ。毎年、佐藤コーチは仙台大明成の卒業生たちに自身が編集したメッセージつきの映像を贈っていたが、今回上映されたのは、2013年度の卒業生である7期生に贈った作品。『恩師への手紙』と題したその映像からは、佐藤コーチが指導を始めたきっかけ、恩師にかけてもらった言葉の大切さ、迷いながらも自分のバスケを見つけて日本一にたどりついたことなどが綴られており、佐藤コーチの指導の原点が伝わってくるようだった。
この追悼コラムでは、通夜と葬儀に訪れたコーチ仲間と、Bリーグで活躍中の選手をはじめとする教え子からのメッセージを紹介したい。佐藤久夫先生、これまでバスケットボールへのたくさんの愛情と情熱をありがとうございました。どうか安らかに。
ここ数年はどちらも全国大会の決勝で戦えていなくて、僕らが負けっぱなしで、まったく勝てないまま、勝ち逃げされてしまった感じですね。超えられない人だったけど、超えたかったなあ…。「井手口、やられたよ。参った」と言ってもらいたかった。久夫先生が最後の最後の円熟したところで対戦してみたかった、という思いがありますね。
僕たちが仙台とか(仙台大)明成のように、語り継がれるチームを作ることは、相当重たい使命です。ただ、久夫先生はどう思っているかわからないけれど、去年のウインターカップで僕と富樫(英樹コーチ、開志国際高)のチームが決勝で戦うことができたのは、少しは喜んでもらえたのかな、という思いもあります。僕も富樫も先生の教え子みたいなものなので。
3月末のカズカップ(交流大会)で久夫先生は、「今年はお前のマネをして小さいガードを起用するよ」と言っていました。「もともと、そういうバスケをやっていたのですから、それは先生らしいですよ」と僕は答えました。久夫先生の作る小さなガードのチームと対戦してみたかったですね。ここ数年はコロナ禍だったこともあり台湾遠征で一緒になることもなかったし、もう少しいろんな言葉を交わしたかったです。久夫先生、ありがとうございました。先生を追いかけてもう少し頑張ってみます。天国からまた教えてください。
僕は、久夫先生にジュニア代表(現在のU18代表)に選んでもらったことで、劇的に人生が変わりました。僕にとって「バスケット界の恩人は誰ですか?」と聞かれたら、いちばんに頭に思い浮かべるのは久夫先生です。バスケを始めて2年でアンダーカテゴリーの代表に選ばれて何もわからない僕に対し、日の丸を背負う意味を教えてくれて、引き上げてくれました。
今、同じ指導者になって気づくことがたくさんあります。久夫先生は大人にならないとわからないような表現と言いますか、その選手の先を見た指導をされるんですね。たぶん、僕が高校生のときも、今の明成の子たちと同じような言葉をかけてもらったはずですが、当時はその真意を全部読み取ることはできませんでした。
最近、久夫先生と少しは対等に会話するようになって、「先生はこういうことが言いたいのか。だからこの表現や指導になるんだな」と気づくようになりました。高校生たちにとっては、今はその言葉の全部がわからないかもしれないけど、それぞれには響いていますし、「自分たちのことを思って100パーセントの愛情を注いでくれる」というのはわかっています。だから、皆がついていくのだと思います。
ここ数年は、ことあるごとに明成と練習試合をさせてもらい、久夫先生とたくさん語り、ゴルフもして、とてもいい時間を過ごしました。今年の5月中旬には、関東大学トーナメントの報告と、「これから李相佰杯で韓国に行ってきます」と電話をしました。「韓国のゾーンを崩せ」とハッパをかけられ、トーナメントで負けたあとの考え方や、僕に足りないことを教えてくれました。先生のような指導者になるのは大変な道のりですが、今まで学んだことを生かして僕なりの指導を見つけていきます。
文・写真=小永吉陽子