2022.06.28

【引退特別企画】同窓対談・前編…篠崎澪×内野智香英(富士通レッドウェーブ)

2021−22シーズンを最後に引退した富士通の篠崎澪(右)と内野智香英(左) [写真]=兼子慎一郎
フリーライター

 4月17日に終えた第23回Wリーグ(2021ー22シーズン)。幾多の選手がこのシーズンを最後に、現役生活にピリオドを打つ決断。

 富士通レッドウェーブの一員としてプレーオフ・ファイナルを戦った篠崎澪内野智香英の2人も、それぞれ5月2日にSNSを通して引退を発表した。

 篠崎は、松蔭大学を卒業後、2014年に富士通へ入団。1年目からスターターとして出場し、新人王も獲得。8シーズンを戦い抜いた。昨夏の東京オリンピックでは3x3女子日本代表として5位入賞も果たしている。

 一方の内野は、2015年に松蔭大学からシャンソン化粧品シャンソンVマジックに入団。3シーズンを戦った後に富士通へ移籍し、4シーズン、富士通の主軸として奮闘した。

 ともに松蔭大学出身の2人。学年は篠崎が一つ上だが、仲の良い彼女たちにこれまでのバスケット人生や互いについての思いを聞いた。

取材・文=田島早苗

決意を持って臨んだシーズンを終え、今は社業に専念

――ファイナルから約2カ月が経ちました。
篠崎
 ファイナルが1年ぐらい前のことのようです。私の中では仕事に切り替わっているので、だいぶ昔に感じます。

内野 私もです。シーズンが終わってから少し休み、その後は(会社の)研修。それを終えて(所属の部署に)配属され、毎日頭を使っています。

――2人とも富士通で社業に専念?
篠崎
 はい。今は覚えることもたくさんあるし、まず、何を覚えていいのかも分からない状態(笑)。私の部署は、自分たちでイベントを企画して進めていくような仕事をしています。

内野 私は数字を扱う仕事が多くて頭がいっぱいいっぱい。でも、レッドウェーブOGの小沼めぐみさん(2016年度引退)が同じ部署で、いろんなことを教えてくださっています。

――さて、改めて引退を決断した経緯を教えてください。
篠崎
 この2、3年、モチベーションが思うように保てなかったというのがあります。それと、入団前から東京オリンピックに出るという一つの目標がありました(オリンピックの東京開催が決まったのは2013年9月)。そのオリンピックに出場させていただきましたし、これが一つの区切りかなと。いろんな理由が重なっての引退でした。

――一昨シーズン(2020−21シーズン)での引退も考えていたそうですが、そこから1シーズン伸ばし、東京オリンピック後もプレーすると決めた理由とは?
篠崎
 オリンピックのメンバーに選ばれなかったり、オリンピックに出たとしても自分の納得いく結果が出せなかったりしたときに、そこでキッパリと(現役を)終われるかなと考えたら、それだと絶対に悔いが残ると思ったからです。それと、リツ(内野)も含め、いろんな選手が「あと1年一緒にやろう」と言ってくれました。アース(宮澤夕貴)もそうですし、特にルイ(町田瑠唯)とは長い間やってきたので、ルイが「あと1年一緒にやって優勝を目指そう」と言ってくれたことはすごく大きかったですね。

――内野さんは引退を決断したのはいつ頃でしたか?
内野
 一昨シーズン(2020−21シーズン)が終わったときに、体や気持ち、モチべーションの維持が難しく、これ以上のパフォーマンスを出せないかなと感じました。だから、もう1シーズン、しっかりプレーして終わろうと。(2021−22の)シーズンが始まる前には決断していました。

 アトムさん(篠崎の高校、大学時代のコートネーム)が東京オリンピックで引退の予定だったので、アトムさんを見送り、私自身はあと1シーズン頑張って終わろうと。でも、(2021−22シーズンも)プレーしてくれたので、一緒に引退です。

無尽蔵と思えるようなスタミナを武器にゴールに向かった篠崎 [写真]=伊藤 大允


篠崎 「(引退を)合わせたの?」ってよく聞かれるんですけど、合わせてはないです。

――篠崎さんがオリンピック後のシーズンもプレーすると聞いたときは?
内野
 とてもうれしかったですよ。

篠崎 ちょうどその頃、リツの実家に行ってたんですよ。リツのお母さんはいつもよくしてくださるのですが、私が「もう1年やります」と言ったら泣いてしまって。

内野 一番号泣してたよね。「よかったー!」って。

篠崎 ね。本当にありがたかったけれど、あれはちょっと面白かった。

内野 私もうれしかったけれど、母が号泣しているのを見て、なんかちょっと冷めた(笑)。

――振り返ってどんなバスケット人生でしたか?
篠崎
 周りの方に支えられたバスケット人生でした。

内野 ミニバスからずっとチームメートに恵まれたし、家族などいろんな方のおかげでここまでくることができたと思っています。

篠崎が内野を直々に大学へスカウト!?

――話は変わり、2人は松蔭大学出身。初めて会ったのはいつですか?
篠崎
 いつだろう? でも、スカウトしに行きました、私。

内野 高校3年生のときに、松蔭大学の方々が高校に来てくれて。

篠崎 コーチの車に乗って数名で。でも、(学校のある)静岡までわざわざ来たと本人が知ったら気にするだろうから、合宿の帰りに寄ったという体で行きました(笑)。

内野 それ、こないだ初めて知ったんです。実は私のために来てくれたんだって。

篠崎 でも、私のことは知らなかったよね? 練習試合はしてたけど、私はケガで出てなかったし。

内野 いや、コンさん(札幌山の手高校出身の今野真澄)やアトムさん、松蔭にはすごい人たちが入ったというのは聞いていた。その日は練習試合をしていて、そうしたら松蔭大学の人たちが来たからといきなり呼ばれて。びっくりしました。

――内野さんは篠崎さんのコートネームを大学のときの「アトム」から今の「シィ」に変えられない?
内野
 そうなんですよ(笑)。

篠崎 珍しいタイプ。でも、他のチームの人にはシィさんて言うんですよ。

内野 本人には言ったことはなくて。一度、練習中にシィさんて言ったら、なんか自分の中で『気持ち悪い、やっぱアトムさんだ』ってなりました。ただ、試合で静かになったときにアトムさんて呼ぶのは、ちょっと恥ずかしかったですね。

――互いに大学時代の印象を聞かせてください。
内野
 (篠崎を見て)覚えてないでしょ? 私は覚えていて、すごくクールだった。今は全然だけれど、(当時は)話すのさえ緊張してました。怖くはないんですけど、神的存在みたいな。オーラがあった。

――逆に内野さんの印象は?
内野
 覚えてないですよ、きっと。

篠崎 1ミリも覚えてないんですけど(笑)。

内野 記憶をすぐなくすんですよ。

篠崎 本当に記憶ないんです。(内野を見て)ヒョロヒョロしてたよね?

内野 してた。大学に入った時は、ベンチプレスの棒が持てないぐらいだった。

篠崎 細いというイメージ。で、プレーはごめんなさい。本当に覚えてない…。

――篠崎さんが4年生のときにインカレ優勝。ともに日本一の喜びを味わいました。
内野
 それは覚えてる?

篠崎 覚えてるけど、そんなに細かくは…。

内野 その年は白鷗大学が強くて、ずっと負けていたので、インカレの準決勝で勝ったときはみんな『ワー!』ってなって。だけど、そこで篠崎先輩が「明日もあるから」と締めてくれました。それでみんな気が引き締まり、優勝できました。

篠崎 「それで優勝できました」ってすごく軽く言うじゃん(笑)、

――あの大会では篠崎さんが『神』だったのでは?
内野
 決勝が39得点8アシスト。(対大阪体育大学)

篠崎 でも、負けてたよね。

内野 前半は負けていました。なんか体が重くて、ハーフタイムでコーチに檄を飛ばされて。

篠崎 それ覚えてる。なんで後半逆転できたのかは覚えていないけれど、みんなが息を吹き返したよね。

――その後、篠崎さんは富士通、内野さんはシャンソン化粧品と別のチームに進みます。
内野
 私はマッチアップして、やられまくってました。

――篠崎さん、その頃のことは?
篠崎
 覚えてますよ! ……シャンソンにいたな、ぐらい(笑)。

――その後、内野さんが富士通へ移籍。やはり篠崎さんと一緒にやりたかった?
内野
 それが一番ですね。移籍するなら富士通に行きたいと思っていました。

――そこまで一緒にやりたいと思わせた理由は何ですか?
内野
 大学のときからリスペクトしていました。

篠崎 いや、口だけですよ。

内野 みんなストイックって言うけれど、本当に想像を越えるほどのストイックさなんですよ。一緒にトレーニングをしても、私だったらここでやめちゃうなと思うところの、その上の上の上ぐらいまでやる。努力の人です。

――逆に篠崎さんから見た内野さんは?
篠崎
 見えないかもしれないけど、すごく負けず嫌いなんですよ。最後のシーズンも(出場時間が少ないことなどもあり)苦しかったと思うんです。だけど自分のやるべきことをコツコツやり、それを継続することができる。最後もちゃんと信頼されて試合に出て活躍していたし、すごい選手だと思います。

短い出場時間であっても、自分の仕事をやりきるのが内野の持ち味だった [写真]=伊藤 大允


――大事なところでのリバウンドやディフェンスなどの貢献も大きかったですね。
篠崎
 昔から今のようなプレーはしていたのですが、Wリーグではそれがより磨かれたというか。それまでは自分しかできない仕事があったと思うんですよ、得点を取るだとか。だけどその役割をする人が他にも出てきて、じゃあ自分はどこを頑張ろうとなったときに、リバウンドなどを頑張れるというのはすごいです。

内野 うれしいですね。私、負けず嫌いなんですよ。だからリバンドやルーズホールは負けたくないと思っていました。

――2人は仲が良いですが、気が合うのですか?
篠崎
 考え方が似てるという感じですね。ルイもそうなんです。その時々で思っていることを共有すると「やっぱそうだよね、そう思ったよね」みたいなことが多くて。(内野を見て)それがプレーにもつながったのかね?(笑)。

――大学から一緒にだからこそプレーで合うこともありそうですね。
篠崎
 あるよね? 「リツは今、こうするな」とか分かるし、リツもそう思っただろうから、私にアシストすることが多かったと思います。ルイ以外で私のタイミングでパスを出せる選手でした。

内野 バックカットめっちゃ得意じゃないですか、「今、するな」というのはわかりました。

篠崎 それでたまにタイミングが遅れてパス出せないと、私が「今、出せた」って言ってね。

――先輩、厳しいですね(笑)。
内野
 そうですね(笑)。でも、私もアトムさんからのパスで3ポイントシュートを打つことが多かったと思います。

学年は篠崎が1つ上になるが、松蔭大学、富士通とチームメートとして息のあったコンビプレーを見せてくれた [写真]=兼子慎一郎


(後編に続く)