2023.12.28

非情にも意味のある「特別な1回戦」…明成バスケ部と福岡第一・井手口孝コーチが佐藤久夫先生に誓った新たな旅立ち

井手口孝コーチと明成バスケ部にとって特別な意味を持つ1回戦だった[写真]=小永吉陽子
スポーツライター。『月刊バスケットボール』『HOOP』編集部を経て、2002年よりフリーランスの記者に。国内だけでなく、取材フィールドは海外もカバー。日本代表・Bリーグ・Wリーグ・大学生・高校生・中学生などジャンルを問わずバスケットボールの現場を駆け回る。

■佐藤久夫先生が与えた試練なのか…

「なんでこの組み合わせなのかな、何で初戦なのかな。今日はうちが勝ったけど、どっちにしても1回戦で負けるようなチームではないじゃないですか。力のある両校なんだから、本当はもう少し上で試合をさせてあげたかった…」

 激闘のあと、福岡第一の井手口孝コーチが本音を語った。

 1回戦屈指の好カードと言われた福岡第一vs仙台大明成。本来ならば、この2校が初戦で対戦することはありえない。というのも、両校はインターハイの準々決勝で対決しており、ウインターカップでは福岡第一が4強シード、明成が8強シードを獲得しているからだ。しかし、福岡第一が県予選で福岡大学附属大濠に敗れて県2位出場となってシード権を失ったことで、まさかの組み合わせが起こってしまった。抽選の結果だからしかたないとはいえ、「どうして」の思いが募るのは当事者だけではなかったはずだ。

 ただ、両校ともに「この組み合わせは久夫先生が引き寄せたのかもしれません」と試合前から声が出ていたように、他の年でもない、今年のウインターカップで対戦することに、巡り合わせの運命を感じずにはいられなかった。

「久夫先生」とは、明成の選手たちが全幅の信頼を寄せていた前指揮官であり、今年6月に亡くなった佐藤久夫コーチのことだ。「バスケットコートは人生のレッスンの場」と教え子たちに説いては課題を与え、考え、悩み、這い上がることで選手たちを成長させている。その厳しくも愛のある指導が今もなお天国から届いたのか、まるで、愛弟子たちに「困難に立ち向かえ」と試練を与えているかのような組み合わせだった。

佐藤久夫コーチから譲り受けたポロシャツを着て采配する畠山俊樹コーチ[写真]=小永吉陽子


「僕がウインターカップで優勝した2009年の決勝の相手が福岡第一で、僕が初めて采配するウインターカップの相手も福岡第一。節目節目で対戦していることに運命を感じますし、ここを乗り越えなければ日本一にはなれない相手」と語るのは、インターハイ後に正式にコーチに就任したOBの畠山俊樹。今年32歳になる若き指揮官は、Bリーグでの契約を1年残しながらも引退を決意し、佐藤コーチの後継者になるべく母校に帰ってきた。

「福岡第一にはインターハイもトップリーグでも負けているので、久夫先生が『今度は勝て』と、僕らに試練を与えているのだと思います。勝って恩返しをしたい」と語ったのはキャプテンの村忠俊。明成としては、勝利を目指すことはさることながら、教わってきた佐藤コーチのバスケを表現し、チームが前進していることを示したい思いもあった。

■ライバルへのリスペクトと井手口コーチの涙

「プロ、大学すべてを通して日本一の指導者」と佐藤久夫コーチを尊敬してやまない井手口孝コーチにとっても、特別な思いがある一戦だった。

 名将と呼ばれた佐藤コーチの実績は群を抜いている。仙台と明成でウインターカップを制すること8回。宮城県内の選手だけで戦った公立の仙台でウインターカップを連覇し、明成を創部5年で日本一へ導き、八村塁を擁して3連覇を遂げ、八村阿蓮の代も優勝させ、コロナ禍の2020年には超大型化を図ったメンバーで日本一を成し遂げている。どんな環境でも、どんなメンバーでも、選手の個性を生かしてチームを勝利に導く手腕はバスケ界で唯一無二の存在である。

「僕は久夫先生を追いかけてここまでやってきました。近年は僕らが負けっぱなしだったので、『勝ち逃げはずるいよ』という思いはあります。だから、この大会はここ(明成戦)がすべてだと思って決勝のつもりで臨み、今日は久夫先生がいないものだと思って試合をしました。『もういいでしょ。静かに天国でゴルフでもしていてください』と、自分の中では断ち切ってやろうと。でも、最後はやっぱり込み上げてくるものがありました」

 76-65で終えた試合後、井手口コーチは挨拶にきた明成の選手を前にして、溢れる涙を堪えることができなかった。前半でついた23点差を猛追する粘りを見て、明成の選手たちがどれほどの悲しみを乗り越えてウインターカップに臨んでいたのかが伝わってきたのだ。それゆえに選手たちには「みんな本当によく頑張った。僕らが明成の分も頑張るから」と労いの言葉をかけている。そして、特別な1回戦を終えてこのように誓った。

「今の日本のバスケットがこれだけ盛り上がったのは、佐藤久夫のおかげだと思います。僕らはそれを絶対に引き継いでいきたい。この高校バスケットを、久夫先生が命をかけてやってきたことをつないでいきたいと思います」

■「八村塁君が来る前の明成のバスケットのよう」

渾身のオールコートマンツーマンで猛追した明成[写真]=小永吉陽子


 27点差、13点差、11点差。今年の明成は福岡第一とインターハイ、トップリーグ、ウインターカップで3回対戦したが、試合ごとに点差を縮め、ディフェンスの強度を上げる成長を見せた。それだけに、早すぎる敗退に悔しさはあっても、取り組んできたことに後悔はなかった。「久夫先生の教えに恥じない試合ができたと思います」(ウィリアムス ショーン莉音)と選手たちは前を向いていた。

 三度目の対戦を終え、井手口コーチに明成の成長について質問すると、長年のライバルだからこそ感じる答えが返ってきた。

「トップリーグの終盤から明成らしさが出てきましたよね。畠山君が(コーチとして)戻ってきて、あの頃のバスケット…八村塁君が来る前の明成のバスケットに戻ってきましたね。だから、本当にこれから明成は強くなると思います。畠山君が久夫先生の意志を受け継いでくれるでしょう」

「あの頃のバスケット」――とは、明成が2009年ウインターカップで初優勝した頃のことを指す。当時、キャプテンだった畠山コーチがルーズボールに何度もダイブし、東京体育館中の観客から拍手が沸き起こった。福岡第一との決勝では残り5分、畠山コーチのリバウンドからの速攻で反撃を仕掛けて日本一へと駆け上がっている。

 まさしく、畠山コーチが取り組んでいるのも、創部当時からの原点である「高校生らしく一生懸命に」「当たり前のプレーを当たり前にやる」「ディフェンス、リバウンド、ルーズボール」の徹底である。福岡第一戦の後半に脚を止めなかった選手たちを見て畠山コーチは、「明成らしさとはこういうこと」だと選手たちに伝えている。

 その明成らしさの土台に加えて、現在、チームが取り組んでいるのは、絶え間なく動き続けるモーションオフェンスと、数種類ある仕掛けるディフェンスだ。ディフェンスをよく見て判断することを掲げているために、ディフェンスの脚作りやスペーシングの理解など、細かい部分を一から丁寧に指導しているところだ。

■激動の半年間「苦しいときこそ明るく」

チームのモットーは「苦しいときこそ明るく」[写真]=小永吉陽子


 そんな中で秋に開催されたU18トップリーグで畠山コーチは、下級生を次々に起用する度胸ある采配を見せ、選手層を厚くさせている。同時に、自身も新米コーチとして場数を踏み、ウインターカップに向けて急速に経験を積んでいった。そのトップリーグの出場権をつかんだのは、明成のもう一人のコーチ、髙橋陽介アスレティックトレーナーが指揮を執ったインターハイで、ベスト8の結果を残したからである。本来、髙橋コーチは体作りやトレーニング指導を本職とするコーチだが、畠山コーチが正式就任するまでの間をつなぎ、長年、佐藤コーチの右腕となって支えてきた手腕を発揮したのだ。

 また、困難な状況にも3年生たちが明るく声掛けをしてきたからこそ、チームは崩れることがなかった。これらのどれかが一つが欠けていても、福岡第一戦の激闘は生まれなかっただろう。髙橋コーチはチームの伝統をつないだ3年生たちの頑張りをこのように讃えている。

「どこのチームも経験したことがないような、激動の半年間だったけれど、みんなで手をつないで協力してやってこられたのは、3年生の頑張りがあったからなんだ。そういう中でやり切ったことは自信にしていいし、結果は自分の次につなげればいい。3年生の頑張りや意志を継いで、1、2年生は3年生が悔しかった分も自分たちの代で恩返ししていこう」

 佐藤久夫コーチが掲げた「苦しいときこそ明るく」のテーマをチーム全員で体現し、困難な状況を乗り越えていった。佐藤コーチを師と仰ぐコーチたちも、連日のように熱き戦いをウインターカップで繰り広げている。だから久夫先生、どうか心配せずに見守っていてください。これからもきっと、恩師の意志を継ぐ者たちは、魂を込めて戦いに挑むはずだ。

取材・文=小永吉陽子

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