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『B MY HERO!』
1992年、アメリカ代表の“ドリームチーム”は、スペインで行われたバルセロナ・オリンピックで世界中のスポーツファンを虜にした。マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)やアービン“マジック”ジョンソン(元ロサンゼルス・レイカーズ)、ラリー・バード(元ボストン・セルティックス)らを筆頭にNBAのトップレベルにいた選手たちがスーパープレーを連発し、圧倒的な強さで金メダルを獲得した。
この時、スペインをはじめとするヨーロッパでは、打倒アメリカ代表を果たすべく、バスケットボールにおける強化を始めた。これを機に、現在のNBAでは100人以上の外国籍選手がロースターに名を連ねており、今季の開幕ロースターには42の国と地域からNBA選手が登録された。
リーグ屈指の若手選手と称されるヤニス・アデトクンボ(ミルウォーキー・バックス/ギリシャ出身)やクリスタプス・ポルジンギス(ニューヨーク・ニックス/ラトビア出身)、ベテランではダーク・ノビツキー(ダラス・マーベリックス/ドイツ出身)やマヌ・ジノビリ(サンアントニオ・スパーズ/アルゼンチン出身)など、現代では外国籍選手にも多くのスターがいる。
NBAで外国籍選手、特にヨーロッパの選手がプレーを始めるようになったのは、バルセロナ・オリンピックより少し前にさかのぼる。ヨーロッパ出身の選手がNBAで本格的にプレーするようになったのは89年のことだった。ユーゴスラビアからブラデ・ディバッツ(元サクラメント・キングスほか)、クロアチアからドラゼン・ペトロビッチ(元ニュージャージー・ネッツほか)、ロシアからアレクサンダー・ボルコフ(元アトランタ・ホークス)、そしてリトアニアからシャルーナス・マーシャローニス(元ゴールデンステート・ウォリアーズほか)がNBA入りした。
ここではマーシャローニスについて、現地メディア『Sports Illustrated』に掲載されていた記事から一部抜粋して紹介していこう。
マーシャローニスはリトアニアの中でもバスケットボールが盛んなカウナスで生まれた。周りの子はバスケットにのめり込んでいたが、マーシャローニスが最初に選んだスポーツはテニスだったという。「10歳くらいまで、4、5年くらいテニスをプレーしていた。すると両親が『オーケー、お前にとっては(テニスでは)フィジカル・コンタクトが足りないから、バスケットボールをしなさい』と言われたんだ」とマーシャローニスは振り返る。
マーシャローニスはバスケットボールにおいて、キラリと光る逸材というわけではなかった。大学ではジャーナリズムを学び、80年代にシニアチームから3度もカットされるなど、周囲からスーパースターになるとは思われていなかった。しかし、87年にナショナルチームに入ると急成長し、どのレベルでも得点できるようになっていった。アテネ(ギリシャ)で行われた87年のヨーロピアン・チャンピオンシップに、ソヴィエト連邦の一員として出場したマーシャローニスは銀メダルを獲得し、徐々に知名度も上がっていく。NBA入りを考え始めたのは、89年のソヴィエト連邦崩壊がきっかけの1つだったという。
こうして89-90シーズンからウォリアーズの一員となったマーシャローニスは、さっそく平均12.1得点を挙げる活躍を見せた。3シーズン目の91-92シーズンには、クリス・マリン(元ウォリアーズほか)の平均25.6得点、ティム・ハーダウェイ(元マイアミ・ヒートほか)の平均23.4得点に次ぐ平均18.9得点をマーク。さらに同3.4アシスト1.6スティールを残し、ベンチからチームの勝利に貢献した。
当時のチームメート、マリンは「(マーシャローニスが)リーグ入りする前、彼のスカウンティング・レポートはこんな感じだった。『ヨーロッパ出身の男。おそらくスポットアップシューターだから、アグレッシブに行くように』。でもそんなのは間違いだった。彼はリーグでプレーするどんなガードよりもフィジカルが強かったんだ」と言う。
当時ウォリアーズの指揮官だったドン・ネルソンは、自身の息子(ドニー)がマーシャローニスと対戦したことがきっかけで、少しずつ仲良くなっていった。入団当時、マーシャローニスはロシア語とリトアニア語、ドンとドニーは英語が言語という違いもあり、互いが少し歩み寄って、100くらいの単語を交互に使いまわしてコミュニケーションを取ったという。すると、チームメートからのサポートも受け、マーシャローニスはNBAになじんでいった。
マーシャローニスはウォリアーズで92-93シーズンまでプレー。93-94シーズンはケガのため全休し、翌シーズンからはシアトル・スーパーソニックス、サクラメント・キングス、デンバー・ナゲッツでプレーし、キャリア7シーズンで363試合に出場。平均22.4分のプレータイムで同12.8得点を記録。ウォリアーズに在籍した4シーズンは、いずれもフィールドゴール成功率50パーセント以上をマークし、キャリア通算でも50.5パーセントという高確率だった。
3ポイントシュートこそあまり得意としていなかったものの、キャッチ&シュートやプルアップジャンパー、そしてドライブを駆使して得点していったマーシャローニス。特にドライブとそのフィニッシュは、当時の映像を見ているだけでも独特なオーラを放っていた。ドリブルのリズム、緩急のつけ方、ステップとフィニッシュの多彩さはマーシャローニスの武器だった。今では毎試合見かける“ユーロステップ”も当時から駆使していた。
2014年にはバスケットボール殿堂入りも果たしたマーシャローニス。NBAにおけるインターナショナルプレーヤーのパイオニアと言っていい好選手だったのである。
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