17時間前

バスケットボール・小池真理子さん|気づいてない良さに気づいてあげたい エリート街道ではなかったからこそ見えた指導スタイルの理想像<後編>

Wリーグに3年で別れを告げた小池真理子さんは、その後はバスケットと無縁の生活を送ろうとしていた。しかし、ある人との縁で再びバスケットと向き合うようになり、いまや子どもたちがアスリートからマンツーマン指導を受けられるサービスや、元アスリートを学校に派遣するスポーツ庁のプロジェクトで日本中を飛び回る日々を送っている。人生を形作ってきたバスケットは、やはり小池さんにとってなくてはならないものとなっているのだ。

取材=吉川哲彦
撮影=須田康暉

楽しいバスケットと出会い、3x3で現役復帰

中学校で一度バスケットから離れたのと同様に、小池さんはWリーグ引退後にバスケットから距離を置いた。バスケットで折られた心を癒すためにも、「それまでバスケットのために犠牲にしてきたことをやりたい」と思ったのだが、その道がまたバスケットにつながることとなる。

――Wリーグを引退した後のビジョンは何か思い描いていたんですか?

小池 もう全く、何も考えずに辞めました。トヨタ自動車に残ることもできたらしいんですが、私にはそもそもその選択肢がなくて、東京に行きたいと思ってました。1年間は心を休ませたいと思って何もせず、エンタメにすごく興味があったので、とにかくライブに行きまくって楽しい日々を過ごしましたね(笑)。
 1年経って、これからの人生をどうやって生きていこうかと思った時に、やっぱりエンターテイメントの仕事をしたいと思ったので、麒麟の田村裕さんに相談したら知り合いのツテを探してくれて、ダンススクールに勤めて受付や事務の仕事をしてました。田村さんとはトヨタの試合を見に来てくれた時に知り合って、私が東京に出てからもお食事をご一緒することが何回かありましたし、若手の芸人さんや芸能関係の人たちが集まるバスケットにも誘っていただいて、たまに行ってたんです。

――田村さんといえばTOKYO DIME.EXEのオーナーの1人でもありますね。トヨタを辞めてから5年ほどのブランクを経て、3x3で現役に復帰されることになりますが、そもそも3x3のことはどれくらいご存じだったんでしょうか?

小池 そんな競技があるなんて全く知らなかったです。始める時はもちろん田村さんにも声をかけていただいたんですけど、先に誘ってくれていたSANKAK.EXEに入り、翌年TOKYO DIMEに移籍しました。

――3x3のことを知って、すぐにやりたいと思ったんですか?

小池 引退してから10キロ太ったので、ダイエットしたいってずっと思ってたんですよね。復帰する前の最後の1年は結構しっかりバスケットをやるようになって、バスケットは一番良いダイエットだし、何より楽しいなって思えたんです。シュートを外そうがミスしようが怒られることもないし、ただみんなでゲラゲラ笑いながらバスケットをして、終わったらみんなでご飯を食べて楽しく喋って、「こんなに楽しいバスケットがあったんだ」って。そんな時に3x3と出会ったんですよね。逃げるようにWリーグを去った身としては「もう1回チャレンジできる場所があるんだ」と思って、すぐに決断しましたね。結局5年プレーして、競技としてやるバスケットはやりきった感じがありました。すごく結果を残せたわけではないですけど、楽しいと思えたまま辞めることができたなと思います。

子どもたちに人生を変えるきっかけを作ってあげたい

2度目の現役引退を迎え、次なるキャリアを考えなければならないタイミングで、小池さんは子どもたちを指導する機会に恵まれる。「仕事として教えることはあまり考えてなかった」というが、バスケットは小池さんにとって引退後も生きる糧となりそうだ。

――エンタメ関連の仕事をされていたということですが、これはいつまで続けたんですか?

小池 3x3をやると決めた時点で辞めました。この仕事をしていたら時間的に無理なので。でも次も決まっていなかったので見切り発車でした(笑)。その後SANKAK.EXEの運営会社でお仕事をさせてもらえて、今はまた違う仕事をしています。

――その仕事と並行してバスケコーチとしての活動が始まることになるわけですが、それはどういう経緯があったんですか?

小池 ちょうど3x3を引退したタイミングでアスリートのセカンドキャリアに関するセミナーに参加させていただいて、そこでドリームコーチングというサービスの紹介があったんです。指導ができるアスリートと、マンツーマンでのレッスンを希望する方をマッチングさせるものでした。そこにコーチとして登録したんですが当初から依頼が結構入って、教えに行くと感謝してもらえるし、とてもやりがいがありました。
 バスケットをやってきた人が、これだけ人生を捧げてきたのに引退後は教えることだけでは生活することがなかなか難しい。それが歯がゆいなとずっと思ってたんですけど、いずれバスケットの指導だけで生活していけるんだったらそのほうに振りきる未来もあるかもしれません。
 女子代表が東京オリンピックで銀メダルを獲って、バスケットを始めるお子さんも増えていると思いますし、その分レッスンの依頼もたくさんいただける。選手たちの活躍が私の活動にも反映されると思うと、日本のバスケットが盛り上がってるのが本当に嬉しいし、ありがたいです。

――実際に指導してみてどうですか?

小池 教員を目指していたというのもあったので、そんなに抵抗もないんですけど、教えることに関してはまだ確立できていないところも正直あって、勉強中というか日々試行錯誤ですね。例えばまだドリブルもおぼつかないような子にどうやって教えるのが良いのかというのをまだ探っているところで、教えることって難しいなと感じてます。ある程度基礎が身についた子を教えるのはそれほど難しくないですし、1回見本を見せると見よう見まねでできる子もいます。ただ、私自身がエリート街道を進んでいないからこそ、感覚的な教え方ではなく、しっかりと言語化して「そうじゃない子」の気持ちに寄り添いながら指導をしたいと考えていますし、そのときにどう伝えれば良いのかなというのが今の課題です。とはいえ、どんな子でも成長していく姿を見ることができるのは楽しいですね。リピートしてくれる子が前回できなかったことをできるようになっていたりしますし、教える1時間半から2時間の間でできるようになるところも見られるので、そこは本当にやりがいがあるなと感じます。

――コーチとして指導する中で、どんな子を育てたいと思っていますか?

小池 私が大学の時に「毎日500本3ポイントシュートを打てば日本代表になれる」って言われたように、節目で出会った人や言われた言葉が人生を変えるきっかけになることってあると思うんです。「あの言葉を聞いて頑張ろうと思った」ということを数年後、10年後に言ってくれる子がいたらこんな幸せなことはないなと思って取り組んでます。
 自分では気づいていない特性や強みを見抜いて伸ばしてくれる人がいなかったら、私はバスケットの道にも進んでいなかったかもしれない。だから私も、その子が自分で気づいてない良さに気づける人になりたいですね。それと、エリートコースを進んできていない私の経験も伝えていきたいです。強豪校に行かなくても、全国大会に行けなくても、人との出会いや自分の努力次第でプロ選手になれるから諦めないでほしい。自分が語れる経験ってそれが一番かなと思うんです。

自分の気持ちに素直でいれば道は開ける

IT企業の会社員という本業を抱えつつも全国を飛び回る毎日に、「ありがたいことにフル稼働させていただいて、カレンダーも隙間がないくらい(笑)」と喜びを感じている小池さん。紆余曲折がありながらもバスケットに携わり続けている自身の生き方が、他の誰かにとっても人生のヒントになればという想いも強い。

――バスケットのおかげで今もそういった活動ができているのは、昔は想像していなかったのではないですか?

小池 本当にそうですね。トヨタを辞めた時点ではもうバスケットには一生関わらないと思ってたのが、3x3でプレーすることができて、今こうして教える側に回ることもできて、体育の先生という夢も叶った感じがあるので、人生がめちゃくちゃ充実してます。

――最後に、キャリアを悩んでいるアスリートに向けてアドバイスをお願いします。

小池 私はちゃんと考えるタイプじゃなくて見切り発車系だったんですけど(笑)、自分がやりたいことからは目を背けなかった。エンタメ業界も好きで入ったし、そこからまたバスケットの道ができた時に、バスケットを最優先に考えて行動した結果、今の私があると思うんです。
 これで生活していけるのかなって不安に思うことは絶対にあると思うんですけど、やりたいことをやったほうが人生が豊かになるし、そう思って言葉にして発信すると自然と周りにそういう人が集まってきて、その中の誰かがご縁をくれることがある。それこそ私も田村さんに相談したからいろんな可能性が生まれたので、悩むくらいなら口に出して行動に移せば、それが回り回っていろんな道につながると思います。
 あとは、辛くなったり嫌いになれば、一度離れてみることも必要かもしれません。そうするとまた違う世界が見えてくるし、違う角度からも見えるようになる。そしてまた好きになればやればいい。とにかく感情に素直に行動することが大事かなと思います。

小池真理子プロフィール】
1987年生まれ、愛媛県出身。
小学校4年生の時にミニバスケットボールを始めるが、中学校ではバレーボール部に入部。高校でバスケットボールを再開し、個人としては国体メンバーに選ばれるが、インターハイやウインターカップの出場経験はなかった。高身長ながらアウトサイドのシュートを得意とし、大学では1年次からスタートとして試合に出場、4年次にユニバーシアード日本代表に選出された。大学卒業後はWリーグのトヨタ自動車アンテロープスに入団、バスケットボール選手として3年活動したのち、2013年5月に現役を退く。5年のブランクを経て、3x3 (3人制バスケットボール) にて現役復帰。3x3選手と会社員を両立して5年活動し、2023年3月に2度目の引退をした。