2021.12.20

大ケガから復帰の3人が決勝で躍動…渡嘉敷が高田、梅沢に感謝した理由は…/皇后杯

皇后杯9連覇に貢献した(左から)渡嘉敷来夢、梅沢カディシャ樹奈、髙田静 [写真提供]=日本バスケットボール協会
フリーライター

大ケガを乗り越えて、皇后杯優勝に貢献

 少し珍しい光景だったかもしれない。

 コート上のヒーローインタビューのこと。これまでなら、大きな声で、時には体でアクションを起こしながら元気に優勝の感想を語る渡嘉敷来夢が、今回は幾度となく声をつまらせ、涙をこらえながら言葉を発していた。

「第88回皇后杯 全日本バスケットボール選手権大会ファイナルラウンド」(以下、皇后杯)の決勝は、デンソーアイリスを62-86で下したENEOSサンフラワーズが優勝。大会史上初となる9連覇を達成した。

 この試合で渡嘉敷は39分間出場し、19得点18リバウンド7アシストの活躍。大会ベスト5にも選出された。

 ちょうど一年前、同じ皇后杯で渡嘉敷は膝の大ケガを負った。シーズンはおろか、膝の具合が間に合わず、本人も楽しみにしていた東京オリンピックの日本代表メンバーからも外れることとなった。

 オンライン会見では、当時のことを聞かれ、「一番心が折れそうになったのは東京オリンピックの断念した、代表に残れなかったときです。このときは正直、めちゃくちゃしんどくて。でも、レア(岡本彩也花)や(佐藤)清美さんに電話で思っていることを伝えたら、2人が『無理する必要ない』と言ってくれました。そこで自分は絶対に皇后杯を取りに行くと決めました」と語った。

 渡嘉敷は自身のことを「先のある選手」と言っており、だからこそ、足の状況を考え東京オリンピック出場を断念する決断をした。そしてそのことに理解を示してくれたENEOSの佐藤清美ヘッドコーチや朋友の岡本をはじめ、支えになった人たち。また復帰を心待ちにしている人たちに対し、「元気な姿でコートに立とう」「絶対に皇后杯を取りに行く」という決意を強くしたのだという。

 10月23日のWリーグ開幕戦で復帰してから、約3カ月が経っているが、今でも、ケガの話になると、渡嘉敷の目からは涙がこぼれる。つらい思いを乗り越えて臨んだ皇后杯。渡嘉敷にとって今回の優勝は特別な意味があったのだ。

誰よりもこの優勝を喜んだのは渡嘉敷だった [写真]=加藤誠夫

渡嘉敷と一緒にベンチから決勝戦を見ていた高田と梅沢も殊勲の働き

 その渡嘉敷が「一緒に頑張ってきた2人には支えられました。(決勝戦で2人の)たくましい姿を見ることができたので、ちょっとホッとしているし、負けてられないなとも思います」と語るのが、ガードの高田静とセンターの梅沢カディシャ樹奈だ。

 昨年、高田は8月、梅沢は10月に、渡嘉敷と同じく膝のじん帯断裂という大けがを負う。前回の皇后杯ではコートに立つことはなく、ベンチから戦況を見守った。

 だが、今回の皇后杯では、高田は、調子が上がらない先発の宮崎早織に代わり奮闘。決勝では25分弱出場し、積極的にリングに向かって11得点を挙げた。

 一方の梅沢も決勝では力強いプレーから13得点を奪うと、リバウンドも高さを生かして19本を奪取。高田とともに優勝に大きく貢献した。

「個人的には昨年の皇后杯はケガで出られなかったので、今年はコートに立てて良かったなということを一番に思っています」と高田。
 
 続いて梅沢も「私も昨年はコートに立てなくて外から試合を見ていたので、今年は見る側ではなく、コートに立ち、プレーできたことに感謝しているし、優勝できて本当にうれしかったです」と優勝の感想を語った。

 ケガは選手にとって選手生命も左右するような大きな転機となる。それでも渡嘉敷は、「選手としても人として成長したし、最強になった」と言う。これは高田や梅沢も同じこと。3人は決勝の舞台でこれまでの思いをぶつけ、その成果を見事にスタッツにも残した。

渡嘉敷同様に大ケガを乗り越えた髙田静(左)と梅沢 [写真]=加藤誠夫


 オンライン会見の席で、高田、梅沢らの気持ちを代弁するように「みんなと一緒にバスケットできるのって最高だなって思いました」と語った渡嘉敷。その表情は、実に晴れやかだった。

文=田島早苗