2022.08.03

最後まで気持ちを切らさず戦った京都精華学園…指揮官「優勝しなかったら桜花学園に失礼」

「1試合ごとにチームが成長しているということを実感した」と山本綱義コーチ [写真]=伊藤 大允
中学や高校、大学などの学生バスケットをはじめ、トップリーグや日本代表と様々なカテゴリーをカバー。現場の“熱”を伝えるべく活動中。

キャプテンとしてチームを引っ張ったウチェの存在

 その瞬間、選手たちは静かに喜びを噛み締めた。
 
「令和4年度全国高等学校総合体育大会バスケットボール競技大会(インターハイ)女子の部」は最終日の8月1日、女子決勝が行われ、京都精華学園高校(京都府)が初優勝に輝いた。

 初の日本一を懸けた決勝の相手は、大阪薫英女学院高校(大阪府)。「SoftBank ウインターカップ2021 令和3年度 第74回全国高等学校バスケットボール選手権大会」準決勝や「令和4年度 第69回近畿高等学校バスケットボール大会」の決勝でも対戦している相手だ。

 試合は、序盤から京都精華学園はイソジェ ウチェ(3年)のシュートで得点を重ねるが、大阪薫英女学院も熊谷のどか(3年)らの3ポイントシュートなどで対抗。前半は、京都精華学園がわずか4点のリードで終えた。

 しかし後半、相手エースの都野七海(3年)が第3クォーター序盤で4つ目のファウルを犯してしまうと流れは一変。浮き足立つ大阪薫英女学院の隙を逃さなかった京都精華学園は、八木悠香(2年)、ウチェ、柴田柑菜(3年)らで畳み掛け、一気に点差を広げると最後は93ー65とハイスコアで勝利した。

 今大会は、文句なしでMVP級の働きを見せたのが決勝で46得点19リバウンド10ブロックショットのトリプルダブルをマークしたウチェだ。188センチのセンターは、相手の激しいディフェンスにもめげることなく得点とリバウンドを取り続けた。特に1回戦でバックアップのディマロ ジェシカ(2年)がケガを負って以降、インサイドでは、ほぼ1人で戦い抜いた。

 また、不要なファウルを避ける『我慢』のプレーも勝利を引き寄せる大きな要因となったといえる。絶対的な得点源を担うウチェがファウルトラブルともなれば、チームはピンチに陥ってしまうが、準決勝では1つ、決勝でも3つ、そして山場となった3回戦の桜花学園高校(愛知県)との一戦でもファウルを3つにとどめた。

 これには2回戦の福島東稜高校(福島県)でファウルアウトしたことが大きく影響しているようで、試合の半分近くをベンチから戦況を見守った時に、「ほかの選手の頑張りを見て、あ、やってしまったと……。(次の試合から)ファウルをしないようにしっかりやろうと思いました」と振り返る。

「(これまで)勝つ機会もあったけど、結果が出なくて悔しかった」という思いを人一倍抱え、キャプテンという大役を担いながらの悲願を達成したウチェ。

「(インサイドだけでなく)アウトサイドのプレーもできるように。ジャンプシュートやドライブを頑張りたいです」と冬に向けても意気込んでいた。

カギとなる3回戦の桜花学園戦を大逆転で勝利

「指導してれた先生や親に恩返しをしたいという思いも込んで決勝に挑んだ」という柴田柑菜 [写真]=伊藤 大允

 大会を振り返ると、大一番は3回戦の桜花学園戦だった。下馬評が高い同士の対戦は、大会前から注目が集まったが、京都精華学園は後半に逆転を許してしまう。第4クォーター残り4分の時点では8点ビハインドと苦しい状況となったが、そこから再び桜花学園を捉えると、最後は残り0.2秒、八木のシュートで鮮やかな逆転劇を演じたのだ。

 ついに桜花学園の牙城を崩したが、「一番苦しかったのはとにかく桜花学園に勝ちたいという思いでやってきたものですから、勝ってしまうと何か目標をしっかりと見定めることができなくなってしまっていたことでした」と山本綱義コーチは言う。最大の好敵手を倒したからこそ、準々決勝以降の選手たちの気持ちを切り替えは難しかったようだ。

 そのため、「『何のためにバスケットやってきたのだと。桜花学園に勝つためだけではないだろう』と言いました」と山本コーチ。また「桜花学園というチームに勝ったのに、優勝しなかったら桜花学園に失礼だということは言いました。私自身も、井上眞一先生に教えていただいたこともあるので、優勝できなかったら申し訳ないという思いで選手にも発破をかけ続けました」とも語った。

 京都精華学園は、2019年のウインターカップで高橋未来(デンソーアイリス)を擁して初の全国3位になるなど、着実に力を付けてきたチーム。決勝で20得点を挙げて優勝に貢献した柴田柑菜(3年)の姉は、2020年度に卒業した柴田柚菜(立命館大学2年)。「姉からは、(決勝の)朝も『頑張って勝ってこい』というLINEをもらいました」と柴田は言う。彼女をはじめ、附属の中学校から日本一まであと一歩のところで悔し涙を流してきた選手も多い。

 先輩たちが時に歴史を作り、時に敗戦に肩を落としながら、一歩ずつ歩を進めてきた京都精華学園。「私はある意味、バスケットは素人ですので、子どもたちに教えられ、今までの選手たちがちょっとずつ積み上げてきてくれました。その上に(今の)我々がいると思いますので、ありがたいですし、教師冥利に尽きるというのはこのことだと思います」と山本コーチは、ゆっくりと語りながら、これまでの道のり振り返りつつ、優勝の喜びを噛み締めていた。

夏の日本一に輝いた京都精華学園 [写真]=伊藤 大允

文=田島早苗

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