Bリーグ公認応援番組
『B MY HERO!』
全米大学体育協会(NCAA)1部の中でも女子バスケットボールでは有数の強豪校であるルイビル大学でプレーしていた今野紀花が5月に同大を卒業し、今後の活躍の場をWリーグのデンソーアイリスに移すことになった。2019年に宮城県の聖和学園から同大に進学。1年生のシーズンは新型コロナウィルス感染拡大防止のためNCAAトーナメントが中止されたが、2年生から4年生までの3年間は、毎年エリート8(ベスト8)入り、3年生の22年にはファイナル4(ベスト4)進出も果たした。
「高校のときは得点を取るとか、うまくいった、うまくいかなったとか、そういうことばかり考えていたんですけど、大学でプレーして得点だけがバスケットじゃないこと、すごいディフェンダーがいて、チームの中にエネルギーを出せる人がいて、どれだけチームとしてのバスケットが大事か、一人ひとりの役割が大事かというのを学びました。このチームは得点しに行こうという気持ちで試合に臨むようなチームではなくて、みんな才能があり、その中で自分に何ができるかということを考えながらやります。バスケットはすごく奥深いし、チームという組織の深みというのをコーチ・ウォルツから学んでいます」
2年前、高校からの変化について聞いたとき、彼女はそう話していた。日本人選手としては稀に見る経験をした4年間と日本でのこれからについて、卒業式を終えたばかりの5月、今野に聞いた。
インタビュー・文=山脇明子
ーー卒業式の日はどんな思いが蘇ってきましたか?
今野 卒業式をとても楽しみにしていました。日本の卒業式はあまりなんてことはなかったんですけど、もう長かったので。この4年間はすごく思い入れがあったので楽しみにしていて、式のはじめの方はちょっとエモーショナルになって泣きそうになったぐらい達成感というか、ここまでやってきて良かったと本当に思いました。
ーー4年間を振り返って一番楽しかったのは、どんなことになりますか?
今野 一番楽しかったのは、やっぱりファイナル4に行ったときです。勝ったときの爆発するような喜びというのをあそこまで感じたのは、たぶん初めてです。それが一番楽しかったですね。
ーー逆に一番辛かったのは、どういうことになりますか?
今野 辛かったのは、そういう結果をみんなで得るまでの過程での練習だったり、普段の勉強の生活だったり、そういう部分ですごくメンタル的にやられたことが多かったです。誰かに助けを求めるのが家族だったりとか、1人で抱え込もうとしたりとか、プレッシャーも感じたりとか、試合では見えない裏の生活がすごく大変でした。
ーーそういうことがあったときに自分の支えになったのは、どういったことですか?
今野 支えになったのは三つぐらいあるんですけど、まず一つはコーチやスタッフの自分への心遣い。この人たちには嘘をつきたくない、頑張りたいと思いました。すごく感謝しています。あとはアメリカに来るというこの道を自分で選んだので、自分の中での強さとして辞めたくない、頑張りたいと思いました。それとチームメートが持ち込むエネルギーです。練習に持ち込むエネルギーとか、バスケットに対する強い思いとかを見たときに、今すごく価値のある時間を過ごしているんだなと感じることができました。そういったチームメートとバスケができたというのが三つ目です。すごく心の支えになりました。
ーールイビル大というD1トップ級の大学で4年間プレーして今思うことは?
今野 もう莫大な量の経験と学びがありました。アメリカのトップ選手たちがどういう姿勢でバスケットに取り組んでいるか、アメリカで結果を残す人がどういうタイプなのかということを学べました。あとちょっと違う視点で言ったら、カレッジのスポーツがビジネスみたいになっていることやNCAAのシステムについても知ることができましたし、カレッジバスケットが盛り上がるのに必要なコミュニティとのつながり方とかも実感しました。
ーー特にルイビル大はコミュニティとの繋がりが深いようですね。
今野 観客がすごく入りますし、コーチ・ウォルツはとても人柄が良くてコミュニティと深く関わっています。そういう日本で想像してなかったことを学べたりだとか、WNBAに行ったりするトップレベルの選手と時間を過ごせたことは、自分がこれからの目標を立てることにも繋がってくるのですごくモチベーションになりますし、とてもいい出会いをさせてもらったと思います。
ーー大学時代に一番成長できた面はどういうところになりますか。
今野 自分自身が下の下まで落ちた期間があったので、それを経験したことによって、いろんな物事への見方が変わりました。自分は本当に助けられているということも実感しましたし、辛くても頑張っているときが一番価値のある、楽しい時間だということにも気づきました。もっと心に余裕を持って生活できるということもそうですし、あとは目標をもらったなと思っています。
人生の中で、自分は今までずっとテイカー(受け手)でした。コーチの方々から助けてもらったりとか、いろいろ教えてもらったりとかばかりだったので、今度は(日本に)帰ってこの経験を生かして誰かを助けたい、自分がもらったものを日本で返したいというふうにすごく思っています。大学時代は自分と向き合う、とてもいい4年間だったし、自分のことをもっと知ることができたし、これから自分がどうなっていきたいかというビジョンもだんだん固まってきました。今までは親の下でとか、誰かの下で生きてきたというのがありましたが、今は自分の意思で生活できるという部分で成長したと思います。
ーー最後のシーズンは1月の終わりからスターターになり、シーズンの終わりまでずっとスターター出場でした。その経験というのは、いかがでしたか?
今野 正直言うと、最初のベンチから出るのはとてもうれしかったです(笑)。初めての経験でしたし、本当にうれしかったんですけど、プレーヤーとしての気持ちとしては、あまりやることも変わりませんし、スタートだからといって仕事が変わるわけではなかったので、とりあえず私の仕事は3ポイントシュートを狙う、狙い続けることというふうに思っていました。スターターになったあとのゲームでは、結構3ポイントを序盤から決められる試合も多かったので良かったと思います。
ーー2月12日のクレムソン大学戦では、キャリアハイとなる4本の3ポイントも決めました。
今野 そうでしたね。チームに結果がなかなか出なくて、一度流れを変えてみようということでスターターになりましたが、チャンスを貰えたことにはすごく感謝しています。
ーー先ほど自分はずっとテイカーだったので、与えることをしていきたいと話をしていましたが、今野選手のキャリアに憧れる女の子がいっぱいいると思います。そういった子たちに伝えていきたいという気持ちはありますか?
今野 そうですね。私もどうやって自分のこの経験を、正しいやり方で伝えていけばいいんだろうと考えていました。もちろんバスケットのことを話すのも大事だと思ったんですけど、やっぱりそれよりも精神的な部分だったりとか、バスケットを取り囲む環境の話だったりとか、たぶんバスケットはその人によって取り組み方、思いだったりそれぞれあると思うんですけど、それに向かうにあたっての準備、どのようにやっていったらいいかとか、こういう辛いことがあったとか、人としてどういうふうにやってきたかとか、バスケット選手としてというよりもそっちの方を伝えられるのが自分なんじゃないかなと思います。一番下までいっていろいろ経験したので、それは伝えていきたいです。でもそれは日本で結果を残さないといろんな人に届かないと思うので、それも含めたうえで、日本で頑張ることがすごく重要だと思いました。
ーーインスタグラムで、『自分のこれまでの人生を伝えたいけど、どうやって伝えればいいでしょうか』みたいなアンケートを取っていましたよね(笑)。あれはまだされてないんですか?
今野 始めていないんですけど、(アンケートの結果)YouTubeが多くて、でも『YouTubeか~』と思って(笑)。二番目は本で意外と多かったので、私もこうやって喋るよりは文字に起こす方が時間をかけてかかれるので得意は得意なんですけど、ちょっと考え中です。まずは自分がバスケットを本当に頑張らなきゃいけない立場なので、ちょっとのちのちということで(笑)。
ーー日本代表についてはどのように考えていますか?
今野 いくら頑張った思い出とか辛い思い出とかがあったとしても、やっぱりどこかで結果を残してやり終えないと、人に届いていかないと思うんです。 強くなりたい理由ははっきりしていて、誰かに影響を与えられるような選手になりたいですし、何よりもルイビル大で出会った選手が今世界中にいるので。主にアメリカですけど、韓国でやっている選手もいれば、ヨーロッパにも選手がいるので、その選手たちと戦うというのは自分にとってもすごくうれしいことなので、それを(目標にして)今は頑張りたいと思っています。ただ日本代表は必要だったら呼ばれる、でなかったら呼ばれない、それだけです。
ーー3人制、5人制どちらというのはありますか?
今野 どちらでもチャンスがあれば。どちらにもいるので。ヘイリー(ヴァン・リス。現在はルイジアナ・ステイト大)は3人制ですし、5人制にはもちろんいろんな選手がいます。頑張った先に大好きな仲間たちが待っているというのは誰もが持てる環境じゃないので、本当に有難いことで、感謝しています。