2022.02.01

【短期連載・TOKYOの先へ】髙柗義伸「短いプレータイムでも感じていた責任と期待」

インタビュー第6回は、東京パラリンピックがA代表デビュー戦となった髙柗義伸 [写真]=斎藤寿子
フリーライター

 東京パラリンピックで史上初の銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子日本代表。日本列島を熱狂させた選手たちに東京大会での戦いの日々、そしてこれからについてインタビューする。第6回は、東京パラリンピックがA代表デビュー戦となった髙柗義伸(栃木レイカーズ/日本体育大学)。全8試合中6試合に出場し、短いプレータイムながら海外勢相手にも臆することなく自分自身の役割を全うした。果たして、初めて経験した世界トップのステージはどう映ったのか。今春には大学を卒業し、新社会人となる髙柗にインタビューした。

取材・文=斎藤寿子

決勝のアメリカ戦で再認識した日本の強さ

――銀メダルを獲得した東京パラリンピックはいかがでしたか。
髙柗
 日本の男子が初めてメダルを獲得した、その歴史的瞬間に僕もチームの一員として立ち会えたというのはすごく光栄なことでした。プレータイムは全然なかったんですけど、それでもパラリンピックという一番大きな大会でプレーできたことは、とてもいい経験となりました。僕のバスケットボール人生の中で貴重な財産になると思います。次のパリパラリンピックでは中心選手の一人になっていたいと思いますし、ならなければいけないと思っています。

――ご自身にとって、一番印象に残っている試合は?
髙柗
 僕が出場した試合の中で言うと、あのパトリック・アンダーソン選手と一緒にプレーできた予選リーグ第3戦のカナダ戦です。やっぱり「すごい速いな」と感じました。あとベンチで見ている中では、決勝のアメリカ戦です。開幕前に練習試合をしたのですが、その時は第3クォーターまではダブルスコアに近い大差で敗れて、最後の第4クォーターだけ10-10という試合だったんです。ところが本番の、しかも決勝という大舞台でアメリカと4点差だったので、僕自身は「やっぱり日本って強いんだな」と再確認した試合でもありました。

――プレータイムが数分だったり、あるいは勝敗がほぼ決まった中でというような出場が多かったと思いますが、ご自身の起用に対しては悔しさを感じることもあったのでしょうか。
髙柗
 悔しくないと言ったらウソになりますが、でも僕はそもそも2019年まで12人のメンバーに入ったことがなく、もしコロナで1年延期になっていなかったら東京パラリンピックには出場できていませんでした。それに、U23も含めて国際大会は東京パラリンピックが2回目、A代表に限って言えばデビュー戦だったので、京谷和幸ヘッドコーチにしたら不安もあったと思いますし、使いづらかったと思います。それでもほんの数分でも、毎試合のように出していただけたのはすごくうれしかったですし、今後に期待してくれているんだろうなと感じました。

――12人のメンバーに入ったことがわかったときはどんなお気持ちでしたか?
髙柗
 めっちゃびっくりしました。コロナで1年延期となったときに「もしかしたらチャンスはあるかも」とは思っていて、トレーニングに励んではきていたので、もちろん全くの想定外ではありませんでした。ただ確証はなかったので「やっぱり無理かなぁ」という気持ちもあったんです。だから入ったとわかったときは、うれしさよりも驚きの方が強かったです。おそらく次のパリパラリンピックに向けての経験枠という意味合いが強かったのかなと思います。

――2019年まで常にメンバーに入っていたにもかかわらず、今回、東京パラリンピックの選考で漏れた選手もいました。そういう選手への気持ちというのも強かったのではないでしょうか。
髙柗
 はい、それはめちゃくちゃ感じていました。なのでより一層、どんなに短いプレータイムでも、しっかりとプレーしなければいけないと思っていました。

髙柗は東京パラリンピックという大舞台で貴重な経験を積み重ねた[写真]=Getty Images

さまざまなところで感じている車いすバスケ人気の高まり

――ご自身のプレーに手応えを感じた試合はありましたか?
髙柗
 スペイン戦は今大会最長の約7分のプレータイムをもらうことができた試合だったのですが、スペインはあまりスピードがないチームなので、その点に関しては今の自分でも十分に通用するなと思いながらプレーしていました。日本の中では高さがある僕がインサイドにどんどんアタックして相手のディフェンスを引き寄せることで、(藤澤)潔さんに何度もアウトサイドからのシュートチャンスが作れていたと思います。そういう部分では、ほかの試合も含めて自分の役割は果たせていたかなと思います。

――メダリストになったという実感はありましたか?
髙柗
 僕自身は大したことしていないのに、地元に帰ったらたくさんイベントや講演の依頼があったんです。それでいつも「銀メダリストの髙柗さんです」と紹介されて、そのたびに「あぁ、メダリストってすごい影響力があるんだな」と。本当にすごい場に立ち会ったんだなと改めて思いました。

――東京パラリンピックでの盛り上がりをどのように感じていますか?
髙柗
 今年1月8日に千葉ポートアリーナで行われた東日本選抜大会のとき、鳥海(連志)と「どのくらいお客さん、来ると思う?」という話をしていたんです。「50人くらいは来てくれるかな」なんて言ってたんですけど、実際には何百人という人が見に来てくれて、びっくりしました。ローカルな大会にあれだけ観客が来てくれるなんて、これまでは考えられないことでしたから。東京パラリンピックで、少し認知度が高まったのかなと感じました。国内で一番大きな大会の天皇杯が中止になったのは残念でしたが、このまま車いすバスケ人気が根付いてくれたらいいなと思います。

――SNSのフォロワー数が増えたということもよく聞きますが、髙柗選手はどうですか?
髙柗
 僕はあまりSNSに投稿してこなかったんですけど、それでも東京パラリンピックでインスタのフォロワー数が9000人くらいも増えたんです。なので、最近はなるべくメディアで取り上げてもらったりしたこととか、練習の動画なんかもあげるように頑張っています。それでも週に1回あげればいい方なんですけど、つい最近フォロワーさんから「投稿の頻度が少ないです」と言われてしまいました(笑)。でも、東京パラリンピックの前は月に1回あげるかなぁくらいだったので、それに比べたら自分では頑張っているなと思っているんですけどね。

銀メダル獲得という結果が、 髙柗と車いすバスケを取り巻く環境に大きな影響を与えた[写真]=斎藤寿子

最重要課題はシュート力とプレスディフェンス

――髙柗選手が最大の目標としているパリパラリンピックの出場枠が、東京パラリンピックでの12から8に減少したことについてはどう思っていますか?
髙柗
 僕は難しいことはさっぱり分からないので、「やることだけやればいいでしょう!」としか思っていないです。もちろん数が減ったことによって大変さが増すんだろうなとは思いますが、決まったことをとやかく言ってもしかたないですし、何も始まらないので。僕たちは僕たちで、やることをやっていくしかない。そうシンプルに考えています。

――パリパラリンピックに向けて、ご自身が課題としていることは?
髙柗
 まずはインサイドのシュート確率を上げること。それと、高さもあって動けるという選手によりなっていくためには、鳥海や赤石(竜我)と同じくらいプレスディフェンスにも強い選手にならなければと思っています。

――今年は千葉市で男子U23世界選手権があります。
髙柗
 東京パラリンピックで銀メダルだったので、その勢いを引き継いで、U23では金メダルを目指そうというのがチームの目標になっています。もちろん簡単なことではないとは思いますが、可能性がないわけでは全くないと思うので、みんなで頑張って優勝したいと思います。

――今年3月に日本体育大学を卒業ですが、4月以降はどんなふうに活動していくのでしょうか。
髙柗
 地元の栃木県にある企業に内定をいただいていて、週に一度東京の支店に行く以外は、競技に専念できる環境をつくっていただけることになりました。毎日バスケットができるのは本当にありがたいことなので、しっかりと練習に励もうと思っています。

髙柗はインサイドのシュート力とプレスディフェンスを向上させ、パリ大会出場を目指す [写真]=斎藤寿子

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