2022.01.31

【短期連載・TOKYOの先へ】赤石竜我「“追われる立場”になったからこそ求められる進化」

トレードマークのヘアバンドとともに赤石竜我の名前も浸透していった [写真]=斎藤寿子
フリーライター

東京パラリンピックで史上初の銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子日本代表。日本列島を熱狂させた選手たちに東京大会での戦いの日々、そしてこれからについてインタビューする。第5回は、チーム最年少20歳で出場した赤石竜我(埼玉ライオンズ/日本体育大学)だ。ディフェンス力を買われてA代表に抜擢され、今では日本の武器であるオールコートのプレスディフェンスに欠かせない一人となった赤石。東京パラリンピックでは全試合に出場し、リオ銀メダルの強豪スペイン戦ではチーム最長のプレータイムを誇った。現役大学生の赤石にとって初めて経験した世界最高峰の舞台は、どんなものだったのか。

取材・文=斎藤寿子

チームの勝利に貢献した泥臭い地味なプレー

――東京パラリンピックは、ご自身にとってどんな大会となりましたか。
赤石
 日本の男子にとっては初めてのメダル獲得がかかった大事な一戦だった準決勝で30分もプレータイムをもらえたりと、自分が予想していた以上にチームに貢献することができたんじゃないかなと。そういう部分では満足できる大会でした。ただ決勝ではアメリカで敗れて金メダルを逃したので、新たな目標が見つかった大会でもありました。

――どんな部分でチームに貢献できたと感じられたのでしょうか。
赤石
 はじめの3試合はプレータイムが少なかったのですが、豊島(英)キャプテンが掲げた「一心」というスローガンのもと、ベンチでも自分がやるべきことをやりながら準備をしていました。実際にコートに出た時も、僕のプレーは決して目立つものではなかったけれど、地味な泥臭いプレーでも、勝利を引き寄せる力になれたと思います。

――決勝までの8試合で、一番印象に残っている試合は?
赤石
 やっぱり準決勝のイギリス戦ですね。メダルがかかっていた試合に勝って、先輩たちの涙もありましたので。また、ローポインターの川原(凜)選手が大事なところで得点に絡んだりして、誰か一人の力ではなく、本当にみんなの力で勝てた試合だったと思います。それこそ「一心」になれた試合だったんじゃないかなと。

――チームにとって、一番ポイントとなった試合は?
赤石
 どれか一つを選ぶというのは、ちょっと難しいですね。僕たちは先のことは一切考えず、常に目の前の試合に勝つことだけに集中していました「この試合が大事」みたいなことはなくて、一戦一戦、相手にちゃんと向き合って戦い続けた。その結果、気づいたら決勝の舞台に上がっていた、という感じだったんです。

――目標としてきた決勝では、アメリカに惜しくも4点差で敗れました。
赤石
 日本のディフェンスに対して、ほかのチームは結構イライラしたりして、メンタル的にやられていた部分があったと思います。でも、アメリカは前半で日本にリードを奪われていても常に淡々とプレーしていて、自分たちのペースを乱すことがなかったように感じました。自分たちのやるべきことをやり続けたからこそ、最後にギアを上げて勝利をつかんだろうなと。とにかくアメリカは崩れなかったなと。日本が準決勝までやってきたこと、決勝でもやりたかったことをしてやられたなという感じでした。

――今後の課題については、何か感じたことはありましたか?
赤石
 今回、途中出場が多くて、その部分ではしっかりとベンチで準備をしていましたし、いざコートに出た時には流れを変えるという自分に求められていた仕事はできたかなと思います。ただ、逆にスタートで出た時に課題を感じました。予選リーグのスペイン戦と、準々決勝のオーストラリア戦で先発出場したのですが、どういうトーンで試合に入るかという部分で、経験不足もあって準備が十分でなかったように思います。今後、先輩たちから吸収できるものもあると思うので、いろいろと試行錯誤しながらそういう部分での力もつけていきたいと思っています。

銀メダルを獲得した東京パラリンピックは収穫と課題を得た大会となった [写真]=Getty Images

アスリートの前に一人の人間としてのふるまい

――メダリストになったという実感は、いつわきましたか?
赤石
 メダル獲得を目指してきたものの、実際にメダリストになってみると、なかなか実感がわいてこなかったというのが正直なところです。「え? 本当にメダルとったの?」と、しばらくは信じられなかったというか。ただ街中を歩いていると声をかけられたり、あるいは講演会で「銀メダルを獲得した赤石選手」と紹介していただいたりするなかで「本当にメダリストになったんだなぁ」とじわじわと実感がわいてきたという感じでした。

――メダリストになったからこその思いはありますか?
赤石
 よく「メダリストにふさわしい人間にならなければいけない」と言われることがありますが、それをすごく感じています。競技スポーツにおいて「勝てば何でもいい」という考えの人もいるかもしれませんが、僕自身は、そうじゃないよな、と思っていて。

――なぜ、そういうふうに思うのでしょうか。
赤石
 東京パラリンピック後、小学校、中学校に講演に呼ばれることも多いのですが、子どもたちが目を輝かせて、僕のことを憧れの眼差しで見てくれるんですね。メダルを取ったからというよりも、日本代表って人から注目される存在なんですよね。だから人として恥ずかしくない言動をしなければいけないし、子どもたちから憧れられる存在でなければいけないと思うんです。そうじゃないと、いくら強いチーム、素晴らしいプレーヤーだったとしても、応援したいという気持ちにはなれないだろうなって。やっぱり僕たちは一人のアスリートである前に、一人の人間だということを忘れてはいけないなと改めて感じています。

――東京パラリンピックでは、応援されているという実感はありましたか。
赤石
 無観客ではありましたが、例えばボランティアの皆さんからは毎日のように「試合、見ました! 明日も頑張ってください!」というふうに言ってもらって、すごく力になりました。SNSでも盛り上がってくれていたのはわかっていましたし、そういうたくさんの応援の力があったからこそ、僕たちは銀メダルを取れたのだと思っています。

――コロナ禍での大会という部分では、どんなことを感じましたか。
赤石
 コロナ禍で世界中に大変な思いをされている方たちがいらっしゃるなか、東京パラリンピックの開催は、もちろんすべての人たちに賛同されるものではなかったと思います。ただ、開幕前は開催を望んでいなかったとしても、実際にプレーする僕ら選手たちの姿を見て、少しでも勇気や元気をもらえたと感じてくださった人が一人でもいてくれていたら、アスリートとしてこんなに嬉しいことはないなと。一人でも多くの人が、東京パラリンピックを開催して良かったと思ってくれていたらいいなと思っています。

身に付けたいアメリカの勝負どころでの強さとシュート力

――目標としてきた決勝の舞台を踏んだからこそ、次に見えてきたものはありますか。
赤石
 銀メダル獲得という結果は、僕たち日本がやってきたバスケットである“ジャパンスタイル”が間違っていなかったことの証明になったと思います。ただ、世界にとって今までの日本はメダルを争うという部分では“ノーマーク”に近かったと思うんです。でも、これからは日本のバスケットを研究したりして、しっかりと対策を講じてくるはず。そうなると、今まで以上の強さが求められてくると思うので、これまで磨いてきたバスケットの質を保ちつつも、さらにプラスアルファの部分を身に付けなければいけないと思っています。

――具体的には、どんなプラスアルファが必要だと思いますか。
赤石
 “ディフェンスで世界に勝つ”ということは成し遂げられましたが、一方でオフェンスはどうだったかというと、それこそ決勝で戦ったアメリカと比べても、まだまだ不足していたなと思います。アメリカのエース、スティーブ・セリオは要所要所で確実にシュートを決めていて、そういう選手がいるチームが最後に勝ち切るんだなということを思い知らされました。これからはオフェンスという面でも、彼のような勝負どころでの強さ、メンタルの強さを、一人ひとりが意識してやっていかないと、金メダルというところには到達しないように思います。

――個人的に今後、重点的に取り組んでいきたいことは?
赤石
 ディフェンス面では、ある程度世界に通用するということは証明できたと思うので、今後はオフェンス面での得点力を身に付けなければいけないと思っています。具体的に言えば、同じクラス2.5のアメリカのジェイク・ウィリアムス。毎試合のように3Pを含むアウトサイドシュートを高確率で決めていて、僕ら日本との決勝でも後半の勝負所で決められてしまいました。クラス2.5でああいう選手がいれば、間違いなくチームの大きな武器になると思うので、彼のようなシュート力を身に付けたいと思っています。

――今後の目標を教えてください。
赤石
 最終的には次のパリパラリンピックを目指していますが、東京パラリンピックでの日本と同じように、一つひとつ、目の前の目標にフォーカスして取り組んでいきたいと思っています。それこそ今年は、アジアオセアニア選手権、千葉市で開催される男子U23世界選手権、アジアパラ競技大会、世界選手権と重要な大会が続きますが、一つひとつの大会にフォーカスして取り組んでいきたいと思っています。

赤石は「一つひとつの大会にフォーカスして取り組んでいきたい」と語った [写真]=斎藤寿子

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