2022.02.28

【短期連載・TOKYOの先へ】岩井孝義「さらに強くした世界No.1のクラス1.0プレーヤーへの思い」

インタビュー第7回は、ここ数年で台頭した若手の一人、岩井孝義[写真]=斎藤寿子
新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドンから3大会連続、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。

 東京パラリンピックで史上初の銀メダルを獲得した車いすバスケットボール男子日本代表。日本列島を熱狂させた選手たちに東京大会での戦いの日々、そしてこれからについてインタビューする。第7回は、ここ数年で台頭した若手の一人、岩井孝義(富山県WBC/SMBC日興証券)。2017年男子U23世界選手権で4強入りしたメンバーだったが、ベンチを温めることが多かった岩井。その悔しさを糧にトレーニングに励み、翌18年に初めてA代表入りして主力へと躍進した。そんな岩井にとって、初めてのパラリンピックはどんな舞台だったのだろうか。

取材・文=斎藤寿子

大会期間中にも感じられた成長

――東京パラリンピックを振り返ってみて、いかがですか?
岩井
 正直、大会期間中はいろんな感情がありました。まず一つは、久しぶりの対外試合だったので、毎試合楽しさを感じていました。ただなかなか試合に出られなくて、最初の方は自分の中で苦しんだりしたこともあったんです。でも同じような境遇のチームメートと話すなかで「チームの為に自分には何ができるのか」ということを考えるようになって、だんだんと苦しさはなくなっていきました。ベンチでも、しっかりと試合に集中して準備することができたので、そういうところは大会中に成長できたのかなと思います。

ベンチでの過ごし方も大会中に成長できた点だと話す岩井[写真]=Getty Images

――一番、印象に残っている試合は?
岩井
 やっぱりアメリカとの決勝戦です。選手なら誰もが目標とするし、僕たちも本気で目指してきた場所ではありましたが、それでも誰もが立てるわけではないステージですからね。すごく感慨深い気持ちになりましたし、結果は負けはしましたが、あのファイナルという舞台で戦うことができたのは、僕にとっては夢のような時間でした。ただ試合後は、悔しい気持ちの方が大きかったです。大会を通して自分の力を出し切れなかったなというのがあったので、それこそ閉会式が終わった後は、すぐに練習したくて仕方ありませんでした。

――銀メダルという結果を出せた一番の要因はどこにあったと思いますか?
岩井
 「この試合」というのはなくて、1試合1試合、自分たちが成長しているという実感があって、大会期間中も試合をするたびにどんどんチームが強くなっている感じがしていました。だから、たとえリードを奪われた状況でもディフェンスで踏ん張ることができた。どの試合でも「ディフェンスで世界に勝つ」ことができていたのが、決勝まで行けた一番の要因だったと思います。

――銀メダルを取った実感は、いつわいてきましたか?
岩井
 表彰式で日本国旗が掲揚されるのを見て、「あぁ、本当にメダルを取ったんだなぁ」と思いました。それこそ地元に帰った時に、富山駅で新幹線を降りてすぐに駅員さんに「試合、見ていました。おめでとうございます!」って声をかけられたんです。その後も、スーパーに買い物に行ったりすると、たくさんの人に声をかけていただいて、高校生にまで「すごかったです!」って言ってもらえたのは、とてもうれしかったですね。「あぁ、本当にたくさんの人たちが応援してくれていたんだなぁ」と、しみじみと思いました。

オフェンス面でも“厄介な選手”に

――個人的にプレーが良かったなと思えた試合は?
岩井
 決勝トーナメントに入って初戦だった準々決勝のオーストラリア戦で、スタートで出させてもらうことができたので、それは良かったかなと思います。特にスタートで出ることにこだわりはないのですが、相手に簡単にはシュートを打たせないディフェンスができて、その後の勢いにつなげることができたと思います。

日本代表は準々決勝でオーストラリアを撃破し、ベスト4へとコマを進めた[写真]=Getty Images

――先発出場は、いつ知らされたのでしょうか?
岩井
 試合直前だったので、自分でもすごくびっくりしました。「え? オレ? すげぇ急にくるんだなぁ」と(笑)。でも、いつ出てもいいようにしっかりと準備はしていましたし、コート上でやることは変わらないので、とにかくいい試合の入りができるようにということだけを考えていました。

――逆に、課題を残してしまった試合はありましたか?
岩井
 どちらも負けたゲームになっちゃいますが、予選リーグのスペイン戦と、決勝のアメリカ戦では、とくにディフェンスの精度をもっと上げなければいけないと感じました。それと、オフェンスの面ではすべての試合を通して、クラス1.0の自分がもっと得点に絡む力を持たなければということも痛感しました。

――海外のチームで気になった選手はいましたか?
岩井
 同じクラス1.0のアブディ・ジャマ(イギリス)です。僕たちとの準決勝で、彼はフィールドゴール成功率71パーセントと高い数字を誇りましたが、彼くらいの高確率でシュートを決められるようにしなければと。イギリスのチームメイトも、彼はシュートを入れて当然という感じでパスを出していたんです。相手からしても、いいローテーションでハイポインターを止めながら、ローポインターに決められると、すごく痛い。ああいうふうに、オフェンスの面でも相手にしたら厄介な選手に自分もなっていかなければいけないと思いました。

――無観客で行われたことについては、いかがでしたか?
岩井
 ずっと満員の会場でプレーすることを思い描いてきていたので、お客さんがいない中で試合をするというのは、最初はちょっと不思議な感じがしました。でも、試合中は特に気にはなりませんでした。逆にベンチの声だったり、コート上の声が通りやすかったので、チームの連携が勝敗にも深く関わってくる僕たち日本にとっては、プラスに働いた部分もあったのかもしれません。

マルチなプレーヤーとして世界No.1に

――今後、東京パラリンピックでの盛り上がりをどうつなげていきたいですか?
岩井
 もっと応援していただけるように、選手としてはさらにパフォーマンスを上げていかなければいけないですし、イベントや講演会などにも積極的に参加をしていきたいと思っています。東京パラリンピックで車いすバスケットボールのことを知ってくださった人たちもたくいさんいると思いますが、まだ知らない人もいると思うんです。だから、地方からもどんどん発信していけたらと思っています。

――今後、突き詰めていきたいものとは?
岩井
 僕はクラス1.0ですが、ディフェンスやハイポインターを生かすプレーだけでなく、パスも得点も、何でもできる選手になりたいと思っています。そして、いつかは誰もまねできないくらいの領域に達して、“世界No.1のクラス1.0プレーヤー”と思ってもらえるように頑張りたいと思います。そのためにはやることがたくさんあって大変ですが、でも今、トレーニングのことを勉強したり、新しいことを試んでみたりして、すごく楽しいです。

東京パラリンピックを経た岩井は、“世界No.1のクラス1.0プレーヤー”を目指す[写真]=Getty Images

――2024年パリパラリンピックでは、出場枠が12から8に減少します。
岩井
 それを知った時は、正直びっくりしました。確かに枠が減ったことで出場も厳しくなりますが、ただ自分たちが目指すところは変わらないので、そこにしっかりとみんなで向かっていければ大丈夫だと思います!

――昨年12月に選考会があり、すでに新しい強化指定選手での合宿も始まっています。
岩井
 同じクラス1.0には、男子U23日本代表のキャプテンでもある宮本(涼平)選手が、強化指定選手にいます。彼はもともとサッカー選手なので視野が広く、パスもうまい。12月の合宿でも、さらにうまくなっているなと感じました。東京パラリンピック前には、自分たちの世代がどんどんA代表入りしていったというのがあるので、若手の成長スピードの怖さはわかっています(笑)。なので、もちろん余裕はまったくありませんが、まだまだ負けていない部分もあると思うので、しっかりとレベルアップしていきたいと思っています。

――今後の目標は?
岩井
 パリパラリンピックを目指すというよりは、一つひとつと思っています。なので、まず今年は世界選手権予選のアジアオセアニアチャンピオンシップスと、アジアパラのメンバーに入ること。そして、しっかりとチームの勝利に貢献したいと思います。

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