2018.02.09

【NBA】スラムダンクコンテストでインパクトを残した男たち/オールスター特別企画⑧

2016年のダンクコンテストで激戦を演じたラヴィーン(右)とゴードン(左)[写真]=Getty Images
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2月19日(現地時間18日)にロサンゼルスのステープルズ・センターで行われる「NBAオールスターゲーム2018」。先月、オールスターの出場選手ならびにロースターが発表され、開催が刻一刻と近づいてきている。バスケットボールキングでは、67回目となるオールスター出場選手紹介に加え、オールスターにまつわる記録や大盛り上がりしたイベント、印象的なゲームなども順次お届けしていく。

<オールスター特別企画⑧>
スラムダンクコンテストでインパクトを残した男たち

 今回は、昨年までのスラムダンクコンテストの中から、インパクトを残した選手たちを紹介していきたい。まずはファイナルラウンドで大盛り上がりした2016年の同コンテストのファイナリストの登場だ。
※すでに紹介した1988年と2000年は除く

■2016年:ラヴィーン対ゴードンが演じた“サドンデス”
 この年のダンクコンテストは、予選ラウンドから50点満点を連発し、ファイナルラウンドへ進んだザック・ラヴィーン(当時ミネソタ・ティンバーウルブズ)とアーロン・ゴードン(オーランド・マジック)がファイナルラウンドでも熱戦を展開。

 優雅な空中遊泳からキレのある動きで華麗なダンクを決めるラヴィーンに対し、ゴードンはパワーとジャンプ力、そしてマスコットを使ったユーモアあふれるダンクをたたき込んだ。ファイナルラウンドで2発決めても互いに譲らず100点の同点。そこで“サドンデス”として3回目のダンクが行われることとなった。

滞空時間が長いラビーンの跳躍は、見ていてとても優雅なものだった[写真]=Getty Images

 しかし両者とも50点満点のダンクを決め、4回目へと突入。ここで47点だったゴードンに対して、ラヴィーンが50点満点を記録したことで決着がついた。コンテストを終えたゴードンは「今の僕らは、まるで最高の友だちさ」と笑顔でコンテストを振り返った。

ゴードン自身からも楽しんでいる感情がダンクにも表れており、それが会場全体に良い雰囲気として伝わった[写真]=Getty Images

 2015年に続いて優勝したことで、コンテスト2連覇となったラヴィーンは、最後まで競ったゴードンに敬意を表した。そして「これまでのダンクコンテストでベストだったか?」と聞かれ、「信じられないほどすごかった。僕の意見ではあるけど、そう思う」と口にした。

 ここからは、ダンクコンテストでインパクトを残した男たちを紹介したい。

ジョン・ウォール(ワシントン・ウィザーズ)
2014年、ボールを上に掲げたマスコットを跳び越し、そのままリバースダンク。決めた直後に見せた小気味よい踊り“ウォール・ダンス”も印象的だった。

ブレイク・グリフィン(当時ロサンゼルス・クリッパーズ)
2011年、クルマの中から放り投げられたボールを空中で受け取り、クルマを跳び越えて豪快なボースハンドダンクを決めて優勝を飾った。

ダンクの豪快さでは大会史上5本の指に入るほど強烈だったグリフィン[写真]=Getty Images

■ネイト・ロビンソン(当時ニューヨーク・ニックス)
2006,09,10年と、史上最多となる3度の優勝に輝いた小兵。175センチながら筋骨隆々の肉体を持ち、爆発的なパワーと跳躍力を兼備した名ダンカー。数多くの“跳び越えダンク”を見せてきたネイトだが、最も印象的なのは09年。211センチのドワイト・ハワード(当時オーランド・マジック)を跳び越えてダンクを決めた。

ハワード(下)やスパッド・ウェッブなどを跳び越えてダンクを決めたネイト[写真]=Getty Images

ドワイト・ハワード(当時オーランド・マジック)
コンテスト史上、純粋なセンターとして優勝した唯一の男。2008年、スーパーマンのマントを身につけて豪快に跳び上がって決めた“ショット”が印象的。ダンクするには手が届かず、途中でリムへ投げつけて決めたのだが、ハワードのユーモアと明るいキャラクターは見ていて楽しかった人も多いはず。

■ジェイソン・リチャードソン(当時ゴールデンステート・ウォリアーズ)
2002,03年に2連覇したダンカー。自らがバウンドさせたボールを空中で拾い、レッグスルーしてリムにたたき込んだダンクが印象深い。ウインドミルなど、自身の身体能力をフル活用して決めるダンクには、リチャードソンのダンクに対するこだわりが表れていた。

コービー・ブライアント(ロサンゼルス・レイカーズ)
1997年、高卒ルーキーだったコービーがスラムダンクコンテストに登場し、レッグスルーダンクを鮮やかに決めて優勝を手にした。

■ブレント・バリー(当時ロサンゼルス・クリッパーズ)
キャリア後半はコンボガードを務める3ポイントシューターだったバリーだが、1996年のスラムダンクコンテストでは見事なダンクを連発し、優勝を勝ち取った。

■ハロルド・マイナー(当時マイアミ・ヒート)
“ジョーダン二世”と呼ばれたことのある男。ダンクコンテストの優勝回数だけに限れば93,95年に優勝しているため、ジョーダン(87,88年)と同じ回数を誇る。パワーとスピードを兼備したダンカー。

■セドリック・セバロス(当時フェニックス・サンズ)
1992年のコンテスト覇者。黒いバンダナのようなものを巻き、目が見えない状態でコート中央を走り込み、ボースハンドダンクを決めた。

■ディー・ブラウン(当時ボストン・セルティックス)
1991年にコンテスト優勝。空中に跳び上がると右手で目を覆い、目隠しダンクで話題を集めた。

■スパッド・ウェッブ(当時アトランタ・ホークス)
1986年に優勝した跳人。チームメートのドミニク・ウィルキンズでさえ「ダンクできるとは思っていなかった」と語ったくらい無名だったが、いざコンテストが始まるとウェッブが会場を支配。ワンハンド、ボースハンドお構いなしに高い跳躍からダンクを決め続けてコンテストを制した。

華麗に空中を舞い、ダンクを決めたウェッブ[写真]=Getty Images

■ラリー・ナンス(当時フェニックス・サンズ)
2月9日(現地時間8日)にクリーブランド・キャバリアーズへ移籍したラリー・ナンスJr.の父親。208センチの長身ながら高い跳躍力を誇り、豪快なダンクを連発。NBA初代ダンクコンテスト(1984年)を制した。

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