2020.04.09

【コービー・シューズストーリーズ #5】その名はブラックマンバ~NIKE 『KOBE 11 ELITE』

『KOBE 11 ELITE』はキャリア最後の試合に臨んだコービーを支えた[写真]=Getty Images
シューズコーディネーター

 輝かしいキャリアを歩んできただけに、故障を抱えた体を酷使しコートに立つキャリア晩年のコービーの姿は、より一層痛々しく見えた。過去多くのスター選手もそうであったように、彼もこのまま寂しくユニフォームを脱ぐであろう……そう考えた者は多かったに違いない。だが彼は、それをよしとしなかった。我々に向けて、最後に強烈な輝きを放ったのだ。

 コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)の足跡を、彼を支えたシューズにまつわるストーリーとともに紹介していくシリーズ。最終回となる第5回は、コービーの生き様を集約する一足、NIKE『KOBE 11 ELITE』 だ。

相応しくないラストシーズン

スコットHCはコービーのコンディションに細心の注意を払いながら彼を起用した[写真]=Getty Images


 2015-16シーズン。右肩のリハビリを終えたコービーは開幕戦から復帰したが、至る所に古傷を抱えた彼がぎりぎりの状態でプレーしていることは、誰の目にも明らかだった。開幕から1カ月ほど過ぎた時、彼がそのシーズン限りでの引退を発表したことは、当然の流れであったかもしれない。それほどに、彼の体は悲鳴をあげていた。

 ファンはコービーの雄姿を一目見ようとアリーナに押し掛けたが、当時のレイカーズヘッドコーチであるバイロン・スコットは、コービーのコンディションにも細心の注意を払っていた。コービーのプレーを見たいファンのために出場時間を増やそうとすれば、逆に彼の引退までの時間を奪うことにつながるリスクがある。スコットは若手選手の出場機会を増やすことでコービーの出場時間を調整し、コービーの平均出場時間はスターターに定着した3年目以降で最も少なくなっていた。

 そうした中でも、コービーはできうる限りのことをしていた。練習中毒だった自身を抑制し、体にダメージがある時には練習メニューを軽減。そのシーズンは『KOBE 10』を履いて開幕したが、脚の状況によりハイカットバージョンとローカットバージョンを履き分けるなど、自身の体と対話するようにシーズンを過ごしていた。だが、試合に出れば果敢にショットを狙い、ベンチにいても若手に教えを与える。全盛期のように長い時間ゲームを支配する場面はなかったが、ファンやチームに一つでも多くのものを残そうと奮闘する姿がそこにはあった。

痛みを抱えながらもできうる限りのプレーを続けたコービー[写真]=Getty Images


 そうして過ぎていく、コービーの最後のシーズン。レイカーズのプレーオフ進出の望みはなくなり、早々に敗戦が決まる試合も目立った。彼ほどのキャリアを誇る選手ならば、そんな最後のシーズンは決して相応しいものではなかっただろう。だがそれが、彼のできる精一杯のことであり、我々ファンはその姿を一瞬でも逃すまいとしていた。そして、あのラストゲームを迎えたのだ。

その名は”ブラックマンバ”

キャリア最後の試合で驚異的なパフォーマンスを見せたコービー[写真]=Getty Images


 2016年4月13日(現地時間)。全世界が注目したコービー・ブライアントのラストゲームで、彼はあまりにも見事に20年に渡るキャリアを締めくくった。このシーズンのプレーぶりからは誰もが想像しなかった、驚愕の60得点。コービーは試合を通して常にアグレッシブだったが、それを可能にしたのは、彼が履いた黒と金のシューズだ。

『KOBE 11 ELITE』というシューズは、“余分なものを削ぎ落とす”ことに注力してきたコービーシリーズの集大成であり、このシーズンの中盤に誕生した。接地感を高めるとともに外倒れを抑制するソール構造と、高い密度で編み込まれ足との一体感を向上させたアッパー構造とで、コービーのステップワークをより鋭くさせ、ルナロンとズームエアというNIKEが誇る二つのクッショニング技術を組み合わせることで、古傷を抱えながらプレーするコービーの脚力を支える設計となっていた。そしてラストゲームでは、黒と金に染め上げられた特別仕様の『KOBE 11 ELITE』が用意された。

ラストゲームの日付が記された、特別仕様の『KOBE 11 ELITE』。コービーの身体を支えると共に、その力が発揮できる設計となっていた[写真]=CARTER_AF1

コービー同様、99パーセント相手を仕留める毒蛇『ブラックマンバ』の名を与えられた[写真]=CARTER_AF1

 ラストゲームのコービーは、好調だった訳ではない。出場時間が伸びるとともにシュートの本数は増えていったが、彼の脚には疲労が蓄積していきシュートミスも増えていた。それでもチームの勝利のために、彼はシュートし続けた。何本シュートが外れようと、『KOBE 11 ELITE』でコートを蹴り、次を決めるべくシュートを放った。このゲームでコービーが放ったフィールドゴールは、実に50本。これはプレーオフも含めた1566試合に及ぶ彼のキャリアで、最も多い数だ。古傷を抱え低調だったシーズンの最後に、キャリア最多の50本ものシュートを放ってみせ、チームを勝利に導く。それを可能としたのは不屈の“マンバメンタリティ”と、極限の疲労にあった彼を支えた黒と金のシューズあればこそであろう。

 その黒と金の『KOBE 11 ELITE』は、こう命名されていた……コービー・ブライアントの異名と同じ、『BLACK MAMBA』と。その名に相応しく、ブラックマンバと呼ばれた男のフィナーレを飾ったのだ。

 こうしてコービーのキャリアは、歴史に残るフィナーレにより、伝説となった。彼に相応しくないと思えたラストシーズンは、最後の最後で彼に相応しいものになり、彼のストーリーはあまりに劇的な、おとぎ話のような幕引きとなった。

 ではその人生の結末は、彼に相応しいものだったか。答えは否だ。彼はまったく唐突に、理不尽に命を落とした。それは我々にとっても到底受け入れられないものだ。

 だが世界は続く。バスケットボールも続いていく。ならばせめて、彼を心に刻もう。彼がもたらしたローカットのシューズを履き、彼のことを語ろう。そうすれば、誰しもが彼の意思を受け継ぐことができ、誰しもが彼のストーリーの語り部となれる。そしてブラックマンバと呼ばれた彼のメンタリティは、バスケットボールが続くかぎり、永遠であり続けるのだ。

その偉大なキャリアにふさわしいフィナーレを迎えたコービー[写真]=Getty Images

文=CARTER_AF1 写真=CARTER_AF1、Getty Images

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