2020.03.10

【コービー・シューズストーリーズ#2】81得点の衝撃~NIKE『ZOOM KOBE 1』

1試合81得点を記録した2005-2006シーズンは平均35.4得点という驚異的な数字を残した[写真]=Getty Images
シューズコーディネーター

 あのヘリコプター事故後、ロサンゼルス・レイカーズが初めての試合を迎えた2月1日(現地時間1月31日、日付は以下同)。ティップオフ前に、事故でこの世を去った9名の犠牲者を追悼するセレモニーが行われた。

 セレモニーの終盤でスピーチに立ったレブロン・ジェームズは、目を潤ませながら真摯にコービーへの思いを語り、祈りをささげた。その時、レブロンが履いていたのは――。

 コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)の足跡を、彼を支えたシューズにまつわるストーリーとともに紹介するシリーズ。 第2回は、コービーがNBA史上屈指のスコアリング能力を見せつけた2005-06シーズンに着用した一足、NIKE 『ZOOM KOBE 1』 だ。

自身のためのシューズで、爆発的な得点力を発揮

『ZOOM KOBE 1』を履いたコービーは驚異的な得点能力を発揮した(写真はウォリアーズ戦)[写真]=Getty Images


 2002年にアディダスとの契約を終えた、コービー・ブライアント。 彼は新たなパートナーにナイキを選び、翌年の2003年に正式契約を結んだ。 ナイキと契約した後は 『AIR ZOOM HUARACHE 2K4』 などのシューズを着用していたコービーに対し、ナイキが専用シューズであるシグネチャーシューズを用意したのは、2005年のことだった。

『ZOOM KOBE 1』と名付けられたその一足は、パーツを細かく分けずにかかとまでサポートするフォルムや足底に内蔵されたプレートなどにより、ガードプレーヤー向きながらも安定感を重視した設計で作り上げられた。また、ナイキでのKOBEシリーズ第一作ということもあり、オールスターゲーム仕様のサンプルや限定販売カラーなどのバリエーションを登場させるなどプロモーション面にも力が入っていた。

 そしてコービーはその『ZOOM KOBE 1』を履き、爆発的なスコアリングを披露することになる。

 2005-06シーズン、11年ぶりにプレーオフ進出を逃した前年の不調を払拭すべく、コービーはその得点力でチームを鼓舞し続けた。一瞬のフェイクで相手を抜き去るドライブや、切れ味する鋭いプルアップジャンプシュートを次々と決め、高得点試合を連発。 コービーのプレーにけん引され、レイカーズも勝利を重ねていった。

 好調を維持したコービーは、1月に入るとさらに輝きを増す。1月6日の試合から4試合連続で40得点以上を記録するなど勢いに乗り、13試合でプレーした1月の平均得点は、驚異の『43.4』。 その13試合中で最も得点数が低かったのが27点だったということも、彼がいかにアンストッパブルだったかを示している。 そして、ついにあの伝説のゲームを迎える。

オールスターゲーム用に用意された、非売品サンプルモデル[写真]=CARTER_AF1


24足のみ限定販売されたカラー。こうしてナイキはPRに力を入れた[写真]=CARTER_AF1

81得点という伝説の誕生

 2006年1月22日、トロント・ラプターズ戦。 レイカーズは14点ビハインドで前半を終えたが、後半に入るとコービーのスイッチが入る。 第3クォーターに27得点、第4クォーターに28得点と、後半だけで55得点という驚異的なスコアリング能力を見せ、レイカーズを逆転勝利に導いた。

 コービーはこの試合、トータル81得点。 それは1試合の得点としてはNBA史上2位の大記録だった。

 この試合を見直すたびに、ディフェンスしようのないコービー・ブライアントのプレーと、それを支える 『ZOOM KOBE 1』の在りように感嘆してしまう。

 コービーはドライブの一歩目が恐ろしく速く、フロアを強く踏み込んでいる。さらに、ジャンプシュートを放つ際はその勢いを一気に殺し、ぴたりとストップして跳躍している。 『ZOOM KOBE 1』は、そうしたコービーの動きに合わせてボディが変形し、逆に土台となるミッドソール部分は最小限の変形に留まり、彼の足とフロアをしっかりつないでいる。

 あの81得点ゲームは、コービーのために開発されたシューズの性能が、存分に発揮されたものでもあったのだ。

 コービーは2005-06シーズンを通して点を取り続け、35.4得点というNBA史上9位のシーズンアベレージを記録。コービーの活躍を原動力としたレイカーズは前年から勝ち星を11増やし、45勝37敗で2年ぶりにプレーオフ進出を果たした。

 コービーが 『ZOOM KOBE 1』とともに戦ったあのシーズン、彼は自身が史上屈指のスコアラーであることを証明した。同時に、2004年夏にシャキール・オニール(元ロサンゼルス・レイカーズほか)が去ってからエースとなった彼が、チームのリーダーへと成長を遂げたシーズンだったとも言えるだろう。

コービーへの思いと、『ZOOM KOBE 1』

スピーチしたレブロンは、試合にもそのまま『KOBE 1』で臨んだ[写真]=Getty Images


 そして、ストーリーは再び冒頭のシーンへ。

 1月31日。あの悲劇の事故後、最初の試合を迎えたロサンゼルス・レイカーズ。ティップオフ前の追悼セレモニーでマイクを持ったのは、現在のレイカーズのリーダー、レブロン・ジェームズ。コートに歩み出たレブロンは、白と紫に染められた『KOBE 1』を履いていた。あの『81得点ゲーム』でコービー・ブライアントが履いていたシューズと、同じものだ。

 レブロンは、コービーを追悼するにはこれ以上相応しいシューズはないと考え、白と紫のあの一足を選んだのだろう。加えて、コービーからのバトンを受け取りレイカーズのリーダーとして戦い抜くという、決意の表れであったのかもしれない。

 史上屈指のスコアラーであり、史上最高のレイカーだったコービー・ブライアント。 彼に思いを馳せる時、その誰しもがあのシーズンと、81得点ゲームのことを思い出すことだろう。

 そして、その思い出の中でコービーは『ZOOM KOBE 1』を履いてドライブを仕掛け、ショットを放ち、チームを鼓舞し続けているのだ。

文=CARTER_AF1 写真=CARTER_AF1、Getty Images

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