2020.03.02

【コービーシューズストーリーズ#1】NBA初制覇、そして3連覇へ~ADIDAS『THE KOBE 1』

コービーがNBA初制覇を果たした際に着用していた一足[写真]=Getty Images
シューズコーディネーター

 今年の1月、不慮の事故によりこの世を去ったコービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)。NBA、そして世界のバスケットボール史に計り知れない功績を残した彼は、バスケットボールシューズの歴史にも多大なる影響を与えた。そのコービーのキャリアに敬意を表し、彼を語るうえで欠かせないシューズをピックアップ。これらを連載で紹介していく。

 第1回は、彼とレイカーズの3連覇に深く関わったADIDAS『THE KOBE 1』だ。

 NBA伝説の巨人、ウィルト・チェンバレン(元ロサンゼルス・レイカーズほか)が保持していたペンシルベニア州の高校通算得点記録を塗り替えるなど、NBA入り前からその才能の片鱗をコービー・ブライアントは見せていた。その将来性を高く買っていたアディダスはコービーと契約を締結。コービーはアディダスのシューズを履いてNBAデビューを果たすことになった。

 アディダスとの契約期間中、『KB-8』を始めとしたシグネチャーシューズも作られていく。その中でも『THE KOBE 1』は印象的な一足だ。当時のコービーの愛車アウディ『TTロードスター』からインスピレーションを得た特徴的なフォルムに、足底を安定させるトルジョンシステムや衝撃吸収性に優れたアディプリンプラスなどを搭載し高い機能性を実現。それらを備えた『THE KOBE 1』は、アディダスによる大々的なプロモーションと共に2000年に登場した。

縫い目を極力排した設計で、流線型のスポーツカーをイメージさせるフォルム[写真]=CARTER_AF1


このシルバーの個体は、当時6種類ほどリリースされたバリエーションのうちの一つ[写真]=CARTER_AF1

故障したコービーを最後まで支えた

 2000年と言えば、シャキール・オニール(元クリーブランド・キャバリアーズほか)とコービーのコンビを主力としたロサンゼルス・レイカーズが優勝し、3連覇への第一歩を残した年だ。インディアナ・ペイサーズとのファイナル第2戦で故障したコービーは、第3戦を欠場。しかし、わずか1試合休んだのみで第4戦には戦列復帰し、延長にもつれ込んだその試合で28得点を挙げて勝利に貢献。 さらに優勝を決めた第6戦でも26得点をチームにもたらし、レイカーズがファイナルを制するうえで大きな原動力となった。

 そのNBAファイナルで、コービーは “THE KOBE 1” を着用している。 故障しながらも激闘を戦ったコービーを最後まで支えた事実は、このシューズの機能性の確かさを証明するものとなる。

 しかしこのシューズは、市場において賛否両論が分かれる一足ともなった。 その一因に、特徴的すぎたフォルムデザインが挙げられるであろう。 一度見れば忘れられないルックスながら、丸みを帯びた特異なフォルムは決して万人受けするものではなかった。 アディダスは、後継機として翌年リリースした “THE KOBE TWO” でも流線型で丸みを帯びたフォルムデザインを採用したが、市場の反応は期待したほどではなかった(そのデザインコンセプトは当時では先進的すぎたとも言える)。

 そうした状況はコービー自身にとっても、不満だったのかもしれない。迎えた2002年のシーズンオフ。 コービーは方向性の違いからアディダスと袂を分かつことを決断。 『シューズFA』となった彼は、2002-03シーズンを契約先なしでプレーし、2003年になって新たなパートナーにナイキを選択。その後の生涯をナイキと共に歩むことになる。

 それでも、NBAデビューから3連覇を果たすまで、コービーがアディダスと共に歩んだ6年間は本当に忘れがたい日々だ。その中でも“THE KOBE 1”は、記憶に深く刻み込まれた一足だろう。それは、他のNBAプレーヤーたちにとっても同じようだ。

3連覇を果たした2002年までのキャリアを、コービーはアディダスと共に歩んだ[写真]=Getty Images

スター選手の記憶にも刻まれた一足

“THE KOBE 1”について、筆者が経験した一つのエピソードがある。9年前、ドワイト・ハワード(ロサンゼルス・レイカーズ)が来日した際のことだ。都内で行われたアディダスのイベントに参加した筆者は、当時アディダス契約選手だったハワードとコミュニケーションをとる機会があった。 この時ハワードは、筆者に気が付くなり足元を指差して「それ、2000年のKOBEだよね!」と言ったのだ。その日筆者は“THE KOBE 1”を履いていたのだが、これには本当に驚いた。 NBAのスターたる彼が、イベントの一般参加者でしかない筆者の、その着用シューズに言及したこと……またそれが、「THE KOBEの1作目」という表現でなく、「2000年のKOBE」という表現だったことに。

 何故「2000年のKOBE」という表現に驚いたかと言うと、シリーズもののシューズをナンバリングでなく、発売年で特定して認識するのは珍しいことだからだ。 おそらくそれは、コービーが初めて優勝した際に履いていたシューズという印象が、強く残っていたからではないだろうか。

「それ、2000年のKOBEだよね!」。ハワードの問いに対し、「そうだよ、私のフェイバリットだ」と答えると。 彼は本当にうれしそうな笑みを浮かべ、「ンー!」と声を漏らしながら何度か頷いた。 ハワードにとっても、“THE KOBE 1”を履いて2000年のファイナルを制したコービーの雄姿は大きな意味を持っているのではないか……そう思わせられるやりとりだった。

 そしてもちろん。コービー・ブライアント自身にとっても、このシューズは印象的な一足だったに違いない。実のところコービーは2000年のみならず、2001年と2002年のNBAファイナルでも“THE KOBE 1”を履いてプレーしている。 つまりこのシューズは、レイカーズ3連覇のすべてでコービーを支えたのだ。“THE KOBE 1”はコービーとアディダスの歩みを思い起こさせると共に、レイカーズの3連覇においても重要な役割を担った一足である。 皆さんにも是非、このシューズを履いた若きコービーの挑戦の日々を記憶に留めてほしい。

文=CARTER_AF1 写真=CARTER_AF1、Getty Images

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