2020.03.31

【コービー・シューズストーリーズ #4】ギリシア神話の英雄のように~NIKE『KOBE 9 ELITE』

常識外れの超ハイカットシューズ『KOBE 9 ELITE』を着用するコービー[写真]=Getty Images
シューズコーディネーター

 コービーのキャリアは、決して平坦ではない。勝ち取った栄冠と同じくらい、試練も多かった。美酒に酔いしれる姿よりも、試練に敢然と立ち向かう姿の方がよりコービーらしく、より英雄めいていたかもしれない。

 コービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)の足跡を、その彼を支えたシューズにまつわるストーリーを紹介してくシリーズ。第4回は、コービーの苦闘の日々を象徴する一足、NIKE『KOBE 9 ELITE』 だ。

迎えたキャリアの絶頂期

2季連続のNBA制覇、ファイナルMVP獲得を成し遂げたコービー[写真]=Getty Images


 2008-09シーズンに、レイカーズを7年ぶりの優勝に導いたコービー・ブライアント。『ZOOM KOBE 4』を履きチームを牽引する様は、リーグにいよいよ真のコービー時代が到来したことを告げるものだった。翌シーズンには連覇を達成して、2年連続でNBAファイナルMVPを獲得。世界最高の選手という評価を不動のものとした。

 それとともに彼が着用するシューズも売り上げを伸ばし、コービーはコート上だけでなく、シューズ市場でも支配力を発揮する。『ZOOM KOBE 4』のコンセプトを継承しコービーシリーズは8作目の『KOBE 8 SYSTEM』までローカットフォルムを継続したが、多くのバスケットボーラーがハイカットシューズではないそれを買い求め、コートでプレーするのが当たり前の光景となった。コービーシリーズを履いたコービーの活躍は、それほどのインパクトを有していたのだ。

 2010-11シーズン以降は王座に届かなかったが、レイカーズは変わらず強豪であり続けた。コービー個人はプレーの円熟味を増し、チームリーダーたるカリスマ性も備えたことで、2010年前後の数年間はプレーヤーとしての絶頂期だったと言ってよいだろう。

 しかし彼の絶頂期は、誰も予想もしなかった形で終わりを告げることになる。

 2012-13シーズン。34歳となったコービーはスピードに衰えがあったが、それを補ってあまりあるスキルと経験で得点力を維持。若く身体能力に溢れたプレーヤー達に割って入り、リーグ3位となる27.3という高い得点アベレージをあげていた。このまま好調を維持した彼はチームを鼓舞し、プレーオフでも活躍するに違いない。誰しもがそう疑わなかったシーズン終盤、80試合目に悲劇が起こった。

キャリアを左右する大ケガと、そこから始まる神話

2013年4月12日のウォリアーズ戦にて、左足首をおさえて倒れ込んだ[写真]=Getty Images


 2013年4月12日(現地時間)、ゴールデンステイト・ウォリアーズ戦。2点を追う残り時間3分の場面で、大きく左足を引いてドライブを仕掛けたコービーがフロアに倒れ込んだ。座り込んだ彼は左足の足首付近をずっと気にしていたが、自らの足で立ち上がり、同点となる2本のフリースローを決めた。故に、それがアキレス腱断裂だったとは思いもよらないことだった。その激痛に耐えて歩を進め、ましてや改めて集中しフリースローを決めてみせるなど、誰が考えられようか。

 かのギリシア神話には、アキレウスという半神半人の英雄が登場する。アキレウスは不死身ともいえる強さを誇るも、唯一の弱点だったアキレス腱を、トロイ戦争で射抜かれてしまったという。ギリシア神話有数の英雄でさえ弱点となったそれは、コービーであっても例外ではなく。彼は、20年のキャリアにおける最大の試練に挑むことになる。

 35歳という年齢で左足アキレス腱断裂からの復帰に挑んだ彼は、わずか8カ月というリハビリ期間を経て、同年12月にコートに復帰してみせる。だが復帰6戦目、今度は右ひざ付近の脛骨を骨折し再び長期の離脱。度重なる大きなケガに見舞われ、彼の行く手には暗雲が立ち込めた。

 ここでコービーは、大きな決断をしていた。酷使してきた自身の脚を守るため、最新作となる9作目のシューズにハイカット形状を採用したのだ。 しかもその『KOBE 9 ELITE』は、ボクシングシューズのような常識外れの超ハイカットシューズ。コービーが履くのは足首が自由になるローカット、というイメージが定着していた中、それを捨て去るように生まれた『KOBE 9 ELITE』のフォルムに驚かない者はいなかった。だが、アキレス腱断裂に見舞われた”今の自分に必要なものは何か”にフォーカスし、固定観念に囚われずシューズ開発に臨んだ姿勢は確かにコービーらしいと言えた。

誰もが驚いた、超ハイカット形状。脛骨骨折により着用開始が遅れ、2014-15シーズンの開幕から着用した[写真]=CARTER_AF1

手術痕と9作目であることを表現した9本線[写真]=CARTER_AF1

『KOBE 9 ELITE』を履いたコービーは、2014-15シーズンの開幕戦で復帰。以前のキレは戻っていなかったが、それでも随所でさすがのプレーを見せる。ハイカットの『KOBE 9 ELITE』は目論見通り、少しずつ以前の姿を取り戻そうとしていたコービーの脚を守り、彼を支えた。そして2014年の12月14日、コービーはマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)の通算得点32292点を上回る。その試合で彼は、直前の試合まで履いていたハイカットのものではなく、ローカットバージョンの『KOBE 9 ELITE LOW』を着用した。尊敬し目標とした存在であるジョーダンの記録を超える瞬間は、脚を守るよりも最高のパフォーマンスを発揮する自分でいるべきと考えたからであろう。それは多くのファンが見慣れたコービーだ。

『KOBE 9 ELITE』を着用して復帰を果たしたコービー[写真]=Getty Images

尊敬するマイケル・ジョーダンの記録を越える試合では、ローカットモデルを着用した[写真]=Getty Images

 アキレス腱断裂を始め度重なる困難にも屈せず、戦い続けるコービー・ブライアント。その姿は、アキレス腱を射抜かれようとも立ち上がり戦い続けた英雄、アキレウスそのもの……まるで神話の英雄のようだった。

 しかし、それから1カ月後。コービーは右肩の負傷でまたも戦線を離脱することになる。回旋筋腱板断裂という大ケガ。劇的な彼のキャリアもこのまま終焉を迎えるだろう、そう考えた者は多かったに違いない。だがそれは誤りだった。彼の紡ぐ神話には、最後にもう一遍、続きがあったのだ。

文=CARTER_AF1 写真=CARTER_AF1、Getty Images

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