Bリーグ公認応援番組
『B MY HERO!』
2022年のU18アジア選手権で日本代表として出場したマックニールキシャーン大河が全米大学体育協会(NCAA)1部のセントフランシス大学で、自らの能力を証明しようと日々励んでいる。
神奈川県にある米陸軍座間基地で生まれ育ったマックニールだが、アメリカのバスケットボールの現状を知り、レベルを思い知ったのは大学に入ってからだ。バスケットボールの人気が高く、誰もがNCAA1部(以降DⅠ)を目指すアメリカでは、高校での学年を1年、時には2年遅らせることで、体のサイズや精神面でアドバンテージを取るということは、ごく普通のこと。または、高校を卒業してからプレップスクールなどで、大学でプレーするための準備期間として1年を過ごすことも通常で、DⅠでプレーするような選手だとなおさらだ。
高校を卒業してストレートで大学に進学したマックニールは、チームでいかに自分が若い選手であるかを知った。だが、それはウォークオン(奨学金はないが、チーム入りを認められた一般学生)としてチームに入ったマックニールに自らのプロセス信じ、目標を叶えるというモチベーションを与えることとなった。今回、ロサンゼルス在住の山脇明子氏がマックニールに直接話を聞いた。
インタビュー・文=山脇明子
――高校の時のスタッツを見ましたが、オールラウンドプレイヤーなのですね。
マックニール 僕は勝つことが好きだし、勝つためなら何でもやります。そのために、いろんなことができる選手だと思います。どんなタイプの選手でもガードすることで、出場時間も長くなります。得点に関しては、決していつもチームで一番というわけではありませんでしたが、今はそれを伸ばそうとしています。努力したことが、スタッツに現れるのは嬉しいことです。今はそれを大学でもできるようにしたいと思っています。
――開幕戦のUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)戦でDⅠデビューを果たしました。どんな気持ちでしたか?
マックニール DⅠというレベルで名門UCLAと対戦できるなんて、とても有難いことです。その試合でコートに出られて嬉しかった。これからどんどん成長していきたいし、楽しみにしています。
――あなたは米軍基地で育ち、基地内の学校に通ってきましたが、ベース内でのバスケというのは、アメリカに近いものなのでしょうか?
マックニール ベースのバスケは、よりアメリカンではありますが、アメリカのバスケとは全然違います。完全にアメリカのバスケではないですし、完全に日本のバスケでもない。その真ん中ぐらいです。
――アメリカに来て最も苦労したのはどんなところですか?
マックニール 明らかにフィジカリティとメンタルをどれだけ出せるかです。DⅠの選手は、誰もが高校で主力だったいい選手ばかりです。みんな自分がベストだという気持ちでやっていますし、僕自身もそういう気持ちでやらなければなりません。それらが、僕にとって大きな課題です。
――U18日本代表での経験について話してもらえますか?
マックニール 自分の国を代表してプレーするという、とても恵まれた経験で、多くを学びました。米軍基地で育った僕に日本代表になるチャンスを与えてもらえ、とても感謝しています。チームメートが日本の高校生で、いろんなことを教えてくれました。本当に有難い経験でしたし、U19にも選ばれたい。それがモチベーションになっています。各国の最高レベルの選手達と戦った経験は、アメリカの大学最高レベルで戦うのに役立つと思います。
――あなたの目標は?
マックニール 目の前の目標は、毎日成長すること。コービーが、『今日成長するために何をしたか?』ということをよく言っていました。そういうことをきちんとやっていきたいです。シーズンを通して学び続け、出場機会を増やしていくこと、そしてチームの勝利に貢献していきたいです。長い目で見た目標は、NBAはもちろん最終的に目指すところですが、Bリーグです。家族に僕がプロとしてプレーしているところを見てもらいたい。Bリーグでプレーする夢は、絶対に叶えたいです。
――この夏は横浜ビー・コルセアーズの練習に参加しましたよね。
マックニール 1カ月半ほど練習をさせてもらいました。ベテラン選手もたくさんいて、彼らのようになりたいと思っている僕にたくさんアドバイスをしてくれました。あの雰囲気の中で一緒に練習させてもらえて最高でした。先輩方からいろいろ学べたことは、僕にとってとても貴重な経験でした。
――ウォークオンからのスタートですが、どのように大学キャリアを築きたいと思っていますか?
マックニール 僕はウォークオンの選手として大学のキャリアを終えようとは思っていません。みんなそれを知っています。僕はプレップスクールにも行きませんでしたし、学年を遅らせたりもしていません。それは、思ったより珍しいことでした。今でも時々『もし自分が他の選手のように学年を送らせていたら、どうなっていただろう?』とか、『プレップに行っていたらどうなっていただろう?』と思いますが、僕はこれまでも諦めなかったし、これからも諦めることをしません。ウォークオンの選手として、多くのことを証明していかなければなりませんし、タフな立場で、常に競争し続けなければなりませんが、自分が奨学金を貰うべき選手だということを見せ続けていきたいです。そうすることで、これから続く日本の子供達の夢を広げていければと思っています。