2017.10.07

『シンのラストダンス』~大神雄子最後のシーズン~

バスケットボールキング編集部

 10月7日、第19回Wリーグが開幕する。JX-ENEOSの10連覇なるかに注目が集まる今シーズンだが、ある選手の動向にも目が離せないのもご存じだろうか。

 その選手とはトヨタ自動車アンテロープスのキャプテン、大神雄子。誰もが知るコートネームは『シン』だ。

 シンのオフィシャルFacebookにあるメッセージがアップされたのが6月11日。そこには、今シーズンもアンテロープスと契約を結んだことの報告と、今季限りで現役生活にピリオドを打つ内容が記されていた。

「今季もトヨタ自動車アンテロープスと契約を結ばさせていただきましたことをまずはご報告いたします。
 そして、今季をもって、個人の想いとしては、Wリーグでのプレーを自分自身のラストの集大成のシーズンにしたいと思っています」(本文引用)

 シンは10月17日に誕生日を迎えると35歳となる。中学・高校、そしてWリーグで一緒に切磋琢磨したライバルたちはいち早くユニフォームを脱いでおり、引退という2文字と向き合う年齢になっていたのも事実だ。しかし、ストイックまでの食事管理やトレーニングにより、パフォーマンスは確実に維持できていた。反対に経験という財産がシンのプレーを下支えし、ゲームメイクは年々円熟味を増してきたように感じられていた。

 なのに突然の引退表明――。

 引退はまだ早いだろう!?

 誰もがそう感じたはずだ。ましてやシンが引退の決めた理由は決して体力の限界を覚えたわけではなかった。

「正直40歳までやれる可能性はあると思います。今でもきっちり自分の年齢に向き合ってトレーニングを行い、日常生活も過ごせている。ただこれ(競技人生)がすべてではないと思うようになった自分もいました。いつかは引退を決めなければいけない。それは選手には必ずついてくるものです。ちょうど30歳になったころから、セカンドキャリアについてずっと考えていました。その準備を始めるには今がその時ではないかと。シーズンの開幕を前に引退を自身のSNSで発表させてもらったのは自分のモチベーションを上げるためであり、ファンの皆さんに最後のプレーをお見せしたいと思ったからなのです」

 10月2日に行われたWリーグの開幕記者会見。その後の囲み取材で、シンは改めて引退の意思を表明した。SNSで発表した時点ではまだ引退後の青写真はぼやけていたのかもしれない。この日、シンの目には未来予想図がくっきりと描かれていて、記者を前にそれを語る姿からは、一つの覚悟を決めた清々しさがにじみ出ていた。

「私が(Wリーグの)ルーキーだったころ一緒にプレーをされていた先輩方が、今ではヘッドコーチをされるようになって。その姿にとても刺激を受けるのも事実です。これからは女子のバスケは女子の指導者が見るのが、世界的に見ても主流になるだろうし、とても大切なことだと思うようになりました。Wリーグだけでなく、アメリカやヨーロッパのチームも見てみたい。Bリーグをはじめとする男子のチームのコーチもしたっていいと思うし。それをこれからの挑戦にしていきます。そして、いつかはオリンピックに出るチームで指揮をとってみたい。それが今の夢とも言えます」

生まれた時からバスケットボールが身近にあった[写真提供]=大神訓章

 シンの父親である訓章氏が大学のバスケットボール部の監督を務めていたこともあり、生まれた時から体育館は遊び場であり、シン自身を育んでくれた場所でもあった。当然、遊び道具はバスケットボールであり、無意識のうちに生活の一部にはなっていた。3歳年上の姉とともに、シンはすくすくと成長していった。

 8歳の時、父親のコーチ留学に伴い、アメリカ・ロサンゼルスに家族とともに移り住むことになった。そこではそれまでの日本にはない環境がシンを包み込む。テレビをつければ、NBAやNCAAの試合が中継されている。当時はロサンゼルス・レイカーズにはマジック・ジョンソンがスーパースターとして君臨。シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンは世界的なアスリートとしての階段を駆け上っていた時であり、この環境がその後のバスケットボール人生に大きな影響を与えたことは言うまでもなかった。

ロサンゼルス時代、初めてできたチームメイトと[写真提供]=大神訓章

 シンはアメリカでバスケットボールという競技を本格的にスタートさせることになる。地元の小学校に通っていたシンは、学校が終わると家の近くにあったバスケスクールに通うことになった。

「今でも覚えていますよ。レイカーズのホームアリーナは今のステイプルズセンターではなくザ・フォーラムで、ブルズの本拠地もユナイテッドセンターではなくシカゴスタジアムでした。私はそこでNBAの試合を見たことがあるのです。バスケットを始めたばかりのころはとにかく点数入れるのが好きで、マジック(ジョンソン)や(マイケル)ジョーダンのマネをするのが楽しかった。それがプレーを続けていくうちに、勝ち負けを気にするようになって、それに伴い団結力やチームワークも覚えていく。1対1はバスケットボールの楽しさでもあるけど、チームメイトと同じ目標に向かって練習することも好きになっていきました。それがバスケの本当の楽しさなのかなって。バスケットボールって年代によってどんどん学んでいくものじゃないですか!? それは今も変わらないですよ。終わりはないような気がします」

 バスケットボールプレーヤー、大神雄子はここに誕生した。1年の後、父親の留学にピリオドが打たれ、家族は故郷の山形に戻ることになる。アメリカでのかけがえのない時間をお土産に、シンは新たなバスケットボール人生に進んでいくことになる。

デューク大のHC、マイク・シャシェフスキー氏と一緒に家族写真[写真提供]=大神訓章

 バスケットボールキングではこれまで日本の女子バスケットボール界を牽引してきたパイオニア、大神雄子選手のバスケ人生を振り返るとともに、彼女のラストシーズンを追いかけていく予定だ。

文=入江美紀雄

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