2022.12.19

【対談/後編】西田優大×津屋一球 高校時代を回顧…“冬の祭典”を戦うプレーヤーにエール

福岡大学附属大濠出身の西田、洛南出身の津屋が高校時代を振り返った [写真]=野口岳彦
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高校バスケットボール界の冬の祭典「ウインターカップ」は2022年度で75回目を迎える。数々の名場面を生んだ歴史ある大会は、トップレベルで活躍するプレーヤーにとってどのような経験になったのだろうか。のちに東海大学でともにプレーした西田優大(福岡大学附属大濠高校出身)と津屋一球(洛南高校出身)の対談が実現。後編ではそれぞれの高校時代を振り返ってもらい、ウインターカップに挑む部活生にエールをもらった。

インタビュー=入江美紀雄
写真=野口岳彦

■洛南高校では「すべての基本」を学んだ(津屋)

――津屋選手は青森県から京都府の洛南高校へ、西田選手は徳島県から福岡県の福岡大学附属大濠高校へ進学しました。高校進学に伴い親元を離れたわけですが、名門校への進学を決めた理由を聞かせてください。
津屋 比江島(慎/宇都宮ブレックス)さんや辻(直人/広島ドラゴンフライズ)さん、アレクさん(湊谷安玲久司朱/元横浜ビー・コルセアーズほか)といった先輩たちを見ていました。パス回しをしながら走るバスケットのスタイルが好きだったので、洛南への進学を決めました。
西田 練習に参加したら、雰囲気がすごく良かったです。また、留学生がいない環境でプレーしたかったので、数ある高校の中から大濠を選びました。

――中学生の頃からお互いの存在を知っていましたか?
津屋 U15が初めてですね。
西田 中3だったっけ?
津屋 中3だね。ドイツ遠征に行ったような……。
西田 大会にも出たんじゃなかったかな。
津屋 当時は東北学院の高橋(学)先生が指揮を執っていたよね。
西田 そうだね。U16からトーステン(ロイブル)コーチになったはず。

――お互いの第一印象は?
西田 一球は僕が世代別日本代表に入る前から1個上の代表にも選ばれていました。U15ではキャプテンを務めていたので、存在感がすごくあったし、動けてシュートも入る選手でした。
津屋 僕はそれまで左利きの選手をあまり見たことがなく、初めて見た特徴的な選手が優大でした。シュートがうまいなと思っていました。代表では仲のいい選手同士で固まっていて、僕らはずっと一緒にいました。第一印象はすごく良かったです。
西田 お互いにね。

――「一緒の高校に行こう」という話にはならなかったのですか?
西田 話していましたよ。
津屋 けど、大半の選手がすでに進路を決めていて。高校では叶わなかったので、「仲のいい人たちで同じ大学に行こう」といったことをよく言っていました。

――高校では寮生活だったと思います。思い出に残っていることを聞かせてください。
津屋 洗濯……ですかね。洛南には洗ってくれる人がいましたけど、洗濯場に持っていったら必ず洗ってくれるわけではないんです。自分ですぐに洗いたい時間があって。ただ、自分で洗ったら、自分の時間がなくなるじゃないですか。寮生活ではいろいろなことを手助けしてもらっていましたね。

――先輩の洗濯物を洗った経験は?
津屋 そこまでなかったですね。でも、遠征では1年生が洗濯していましたね。遠征に行く1年生は限られていたので、連れて行ってもらった1年生とマネージャーで全員分のウェアなどを洗濯して。夜中までかかることもありました。

――西田選手にもそういった経験があったのでは?
西田 ありました。遠征の洗濯はマジで嫌でした(笑)。乾いていなかったら文句を言われるし、夜中までやらなきゃいけないし……。
津屋 それあるよね。あと紛失。
西田 「あれがない、これがない」って。乾ききっていなかったら「臭い」と言われるし……。
津屋 あったね(笑)。

[写真]=野口岳彦

――寮部屋の構成は?
西田 僕は2人部屋でした。
津屋 僕は3人か4人でしたね。部屋によって違い、僕はずっと3人部屋でした。楽しかったですよ。バスケ部以外の寮生もいたので、そういった意味ではいろいろな刺激をもらいました。自分は体操部や陸上部の子たちと一緒で、遅くまで練習する意識の高い人たちばかりでした。

――津屋選手は何時頃に帰っていたのですか?
津屋 夜8時に帰ってくるのが基本で、遅い時は夜9時、早い時は夜6時くらいでした。お風呂がすごく大変で、体操部が先に入ると、(滑り止めに使う)粉で湯船が白くなるんです。それがすごく嫌でした。でも、体操部の生徒は早めに入りたがるから、「ふざけんな」と(笑)。毎日のようにそんなやり取りをしていました。白いお湯を抜いて、新しいお湯を入れて、の繰り返しでした。
西田 それはキツいな……。

――福岡大附属大濠はいかがでしたか?
西田 相部屋は同じ部活の生徒でした。寮にはいろいろな部活の生徒がいましたよ。

――“お風呂事情”については?
西田 洛南のようなことはなかったですけど、野球部が土のついた練習着を洗うんですよ……。
津屋 えー。
西田 大変そうだなと思いながら見ていました。僕たちは、自分の洗濯は自分でやっていましたね。あと、大濠には勉強時間があったんですよ。
津屋 洛南にもあったわ。
西田 勉強時間は2時間なんですが、部活生は最初の1時間が免除で、夜9時から始めるのが基本でした。でも、オフの日は早く帰ってしまうと最初から出なければいけないから、意地でも夜8時くらいに帰っていました(笑)。部活に入っていない寮生もいて、そういった子たちは2時間でした。
津屋 “勉強生”だよね? 自分たちにもいたな。テスト勉強の時によく教えてもらっていました。共有の場所があって、そこに僕らが入っていって、「勉強を教えてよ」みたいな(笑)。

――2人の出身校は偏差値が高いですよね。スポーツ科と普通科で授業内容が違ったと思います。
西田 違いました。スポーツ科はありませんでしたけど、部活生が集まるクラスはありましたよ。
津屋 僕たちにはなかったですね。僕たち以外は特進のようなコースでした。彼らとはテストの内容が全然違うのですが、一度だけ同じテストを受けさせられたことがあって。クラスの平均点がすごく低くて、みんなで「同じテストにしないでよ」と怒っていました。
西田 僕らは全く一緒でしたね。赤点を取ると罰があったので、それを避けるために1教科だけ必死に勉強していましたね。
津屋 どんな罰だったの?
西田 全教科赤点で坊主。0点を取ったら五厘。
津屋 洛南は逆に坊主が禁止。そういった罰則はなくて、走らされるぐらい。部員のカンニングが一度バレて、連帯責任で東寺の周りをグルグルと走らされたことはあったけど。
西田 僕らは高校から少し離れたところにある西公園を走っていて。外周のアップダウンが激しく、1周1キロくらいですごくキツい。あと階段も多くあって……。

――指導者は、福岡大附属大濠は田中國明さんと片峯聡太先生、洛南は吉田裕司先生でした。高校バスケットボール界の名将から学んだことはありますか?
西田 入学当時は「シューターに仕上げる」と言われて、シュートに関してはよく教えてもらった思い出がありますね。
津屋 僕はすべての基本ですね。セットプレーが多く、まずは覚えることから始まりました。苦労しましたけど、「こうなったらこうする」という臨機応変な対応をたたき込まれました。少しでもミスしたら止められるのですが、「今はこうだ」とか「でもこういうパターンもある」といったことをひたすら取り組んでいました。

■様々なことを経験し、「今になっては自分の身になっている」(西田)

――高校時代に対戦したことはありますか?
津屋 対戦しましたね。僕らは大濠に一度も勝てなかったような……。
西田 そうだっけ? 能代カップで対戦して、沖縄カップにも来ていたよね。
津屋 そうだね。
西田 大濠と洛南の招待試合を毎年、久留米でやっていました。ただ、一球はケガをしていたからか全然出ていなかった。
津屋 むしろ行っていなかった(笑)。その前の年は、確か優大がいなかったんだよね。
西田 そう、いなかった。
津屋 だからそこまでマッチアップしていないね。
西田 3年の能代カップぐらいじゃないかな? しっかりと対戦したのは。マッチアップというか、フェイスガードしたね。僕と渡嘉敷(直輝)で。
津屋 そうだ、思い出した! もう最悪でしたよ(笑)。すごく疲れました。
西田 「一球を止めろ」と言われていて、渡嘉敷と交代しながら守ったな。
津屋 やっていたね。ボールをもらいにいったらファウルされて、ボールを全然もらえなかった(笑)。

――思い出に残っている試合や大会はありますか?
西田 僕は比較的、大きな大会で負けることが多かったです。2年も3年も。自分が出た試合というより、世代別日本代表に参加して、帰ってきたらインターハイで敗退していたみたいな感じでしたね。
津屋 僕は国体かな。東山との混合チームで、どこにも負ける気がしなかったというか、“チート”状態でしたね。
西田 僕らが石川県に負けちゃったから……。
津屋 決勝で対戦するのは福岡県だと思っていたのに。僕らが石川県とやったんですよ。
西田 大倉颯太千葉ジェッツ)選手にボコボコにされました(笑)。
津屋 あの時はすごかった。

――西田選手は3年生の時、優勝候補と言われながらも悔しい結果に終わりました。当時の心境は?
西田 その時は受け止められなくても、筑波(大学)に行って結果を出している選手がいました。特に先輩のマッスー(増田啓介川崎ブレイブサンダース)さんや牧(隼利/現琉球ゴールデンキングス)さんは高校で学んだこと、システムや引き出しなど基本的なことを大学で活かしていました。彼らの姿を見た時に受け止められるようになりました。

――津屋選手はいかがですか?
津屋 僕も洛南では結果を出せていないんですよね。結果論になりますけど、あとから洛南はいいバスケをしていたと気づいたというか。洛南に行かなかった自分の姿を想像できません。そういう意味では後悔なく、学ぶべきことをしっかりと学べたと思っています。

[写真]=野口岳彦

――入学当初、レベルの高さに驚くことはありましたか?
西田 ありました。特に津山(尚大/島根スサノオマジック)さんは自主練をすごくしていて。当時はすごく怖かったです。今は接していると天然な部分がありますけどね。
津屋 大人になってからしか会ったことないから、怖い尚大さんを知らないな。
西田 すごく怖かった。あとは専修(大学)に進学した野口(夏来)さん。日本人で2メートルを超える選手を初めて見て、もうビビりまくっていました。
津屋 洛南に怖い人はいなかったですね。(寺嶋)良(広島ドラゴンフライズ)さんは当時から速くて、「そんな練習をしていたっけ?」と感じるようなすごいシュートを決めていました。大学時代を含め、ずっとすごいなと思っていました。

――大会や試合に負けたことで成長できた部分はありますか?
津屋 今でも負けることはありますが、高校時代に負けた後はやっぱり悔しくて。自分は泣き虫だから、すぐ泣いていました。ただ、その時に負けただけで、そこから先が全くなくなるわけではないし、大学に行ってもバスケを続けることができる。そういう意味では、当時はしっかりと切り替えられていたのかなと。「悔しさをバネに」という言葉は誰にでも言えますけど、それをすごく実現できていたなと思っていて。その繰り返しで自分は成長できたと思っています。
西田 負けて、悔しくて、頑張って、それで次の試合や大会で結果を出せたことがあまりありませんでした。悔しくて練習をたくさんしましたけど、うまくいかないことが多かったので、自分はもがいていたと思います。

――お2人が高校時代はBリーグがありませんでしたが、今の高校生はBリーグを目指すという夢を持つことができます。
西田 今はいろいろなクリニックが開催されていて、高いスキルを持っている子が多いですね。
津屋 すごくうらやましいです。
西田 僕らが高校時代に取り組みたかったことをたくさんやれているわけだからね。
津屋 それをいかに続けるか、かな。自分たちはひたすらシュートを打つことしかできなくて、知識もなかったけど、それを続けてきたから今がある。今の学生はそれ以上のことをできるし、それを続けたらすごい選手がもっと多く出てくるのかなと。何事も続けることが大事なのかなと思います。

――西田選手は在学中に韓国人のイ・サンボムさんから指導を受けました。いかがでしたか?
西田 戦術自体がガラッと変わりました。戦術を覚え、それを実践することは、苦ではなかったので、全然問題なかったです。すごく複雑なスクリーンをかけて、そこにさらにスクリーンかけて、といった難しいこともありましたけど、それがうまく決まった時は気持ち良かったです。当時は珍しかったと思いますが、大濠は大会前にスカウティングをしていました。「この相手にはこうやって攻めていこう」といった練習もやっていたので、覚えることは多かったのかなと。それが今になっては自分の身になっていると思います。

――最後に、ウインターカップに出場する選手へメッセージをお願いします。
津屋 高校生の皆さん、ウインターカップではまず、絶対に後悔しないように出しきることを頑張ってください。どんな結果であれ後悔せずにやることで、今後、バスケットボールを続ける、続けないにしても、人生においてすごくいい思い出になります。思い出だけではなく、「あの時はこんだけ頑張っていた」というように、将来また頑張れる糧にもなると思います。後悔せずに頑張ってください。
西田 ウインターカップで僕自身はかなり緊張して、シュートが入らず負けて悔しい思いをしました。苦しい時間帯こそ仲間を信じて、3年生は後輩たちに何を残すのか。後輩たちは3年生のために、チーム一丸となって頑張ってほしいなと思います。ウインターカップは今のメンバーでできる最後の大会になると思うので、今のメンバーで試合できることを全力で楽しんで、悔いのないように頑張ってください。

■西田選手、津屋選手 着用ザムスト製品

――西田選手はなぜ『BRAVE-PAD SHORTS(パッド付ショーツ)』を着用してプレーしているのですか?
西田 自分のプレースタイル的にドライブが多く、ディフェンスではハードにいくので、相手の膝が太ももに入ることがよくありました。このパッド付ショーツを履くことで、安心してプレーできるようになりました。膝が入った時でも痛みを軽減できる。自分のプレーが少しでも良くなればと思って、履かせてもらっています。

――いつ頃から着用していますか?
西田 今年の7月頃からです。Bリーグの試合でも毎試合着用していますよ。これまで他の製品を使用していた時は、自分の求める位置にパッドがなかったりしていましたが、『BRAVE-PAD SHORTS』は、自分が欲しい位置にパッドがありますし、最高にフィットしていて、すごく気に入っています。試合中はなければ困りますね。

――どのような選手におすすめしたいですか?
西田 「ももかん」がよく起こる人。プレースタイル的にアタックやドライブの多い選手、あとはよく転ける人にもおすすめですね。太ももだけではなく、骨盤やお尻にもパッドが入っているので、すごくいいと思います。

――『フィンガーラップ<1本指>タイプ』についてはいかがですか?
西田 日本代表活動で突き指とまではいかないですけど、指を少しケガして、ずっとテーピングを巻いていました。練習で毎回のようにテーピングを巻くのは大変でした。いい商品がないか探していた時、これを見つけました。ハメるだけでいいですし、これをつけるだけで安心感があります。ゴツゴツしているように見えるかもしれませんけど、全然違和感がなく、ボールを触れます。今はこれがないとプレーできません。

――テーピングの代替だと。
西田 はい。ボールをつく感覚も変わらず、指が固定されるようなイメージです。突き指というより、引っかかって指を持っていかれた感じでした。痛みを軽減するわけではないですけど、だいぶ安心感がある状態でプレーできています。

[写真]=野口岳彦

――津屋選手は『アームスリーブ(腕用スリーブ)』を着用しています。
津屋 右手ばかり使っていて、右肩が疲れるようになったんですよ。右肩が疲れるのは、右腕を使っているからなのかなと思って。これをつけていると適度な圧迫感があるので、疲れにくいと思っています。僕は力を抜いてシュートを打つので、そういう意味ではすごく助かっています。今となってはないと違和感があるぐらいフィットしています。練習中からずっとつけています。

――どのような人におすすめしたいですか?
津屋 ある程度の締め付けを必要とする人。ふくらはぎのスリーブを履いている人もいますが、それと同じような感覚です。筋肉の揺れがないというか。バスケに限らず、よく腕を使う人におすすめです。

――ファンクショナルソックス『HA-1レギュラー』についても聞かせてください。
津屋 僕はテーピングを巻きたくないタイプなんです。でも、ないと少し怖い感じがあって。このソックスはしっかりとした締め付け感があって、テーピングを巻いているような安心感がすごくあります。かつ長さも好きで、ちょうどいいですね。テープを巻きたいけど巻きたくない人、あとは少し安心感が欲しい人におすすめです。

――もともとテーピングを巻いていたのですか?
津屋 巻いていました。けど本当に嫌でした。今はこのソックスがあるので、巻かなくてもいいです。僕は激しく動くことが少なく、足をひねることも少ないですが、このソックスがあると安心しますね。

[写真]=野口岳彦

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