2022.11.30

【対談/前編】西田優大×津屋一球 インカレを2度制した元東海大コンビが語る大学バスケ

東海大で4年間を過ごした同期の対談が実現 [写真]=野口岳彦
バスケ情報専門サイト

東海大学は数多くのトッププレーヤーを排出し、“インカレ”こと全日本大学バスケットボール選手権大会で6度の優勝を誇る大学バスケットボール界のエリート校だ。1年次から名門で主軸を担った西田優大津屋一球は在学中に2回のインカレ制覇を経験。特に最終学年で迎えた2020年の第72回大会では、培ってきた圧倒的なディフェンス力で頂点に君臨した。今回は同期2人の対談が実現。前編では東海大での思い出を聞き、インカレでの経験を振り返ってもらった。

インタビュー=入江美紀雄
写真=野口岳彦

■パワーフォワードを経験したことが「シューターとしての原点」(津屋)

――U15日本代表でともにプレーした中学生の時、「一緒に同じ大学へ行こう」と約束していたようですね。ただ、西田選手は、福岡大学附属大濠高校から東海大学へ進学する珍しい例だったと思います。
西田 大濠のバスケ部から東海大のバスケ部に行くのは僕が初めてです。リク(陸川章監督)さんのもとで学びたいと思っていました。ただ、高校生の時はディフェンスが大嫌いだったので、強いて言うならその部分で迷っていました。

――津屋選手が東海大を選んだ理由は?
津屋 僕は中学生の頃から中継でインカレを見ていて、そこで東海大が優勝した影響が大きいです。ディフェンスがすごくて、自分もあの中にいたいという思いがありました。当時から「東海大に行きたい」と言っていて、東海大進学の願望をずっと持っていましたね。でも、まさか行けるとは思っていませんでした。
西田 リクさんが僕を誘ってくれた時、「誰か一緒にプレーしたい選手はいるの?」と聞かれたので、即答で一球の名前を挙げました。
津屋 そうみたいですね。
西田津屋 (笑)。

――津屋選手は積極的に大学バスケをチェックしていたんですね。
津屋 バスケットをやっていた母親の影響で、テレビで試合の中継が流れていたんです。自分もそれをよく見ていました。狩野(祐介/滋賀レイクス)さんや田中(大貴/アルバルク東京)さんの時代ですから、ちょうど優勝した時(2012年度)ですね。

――ちなみに西田選手は?
西田 全く見ていなかったですね。
津屋 徳島県では放送されていなかったとか(笑)?
西田 いや、いや。大濠から筑波大学に進学した先輩が多かったので、高校時代はみんなでテレビの前に集まって、インカレの試合を見た記憶がありますね。

――実際に入学して驚いたことがあったと思います。入学直後はいかがでしたか?
西田 ある程度はキツいとわかっていましたよ。
津屋 覚悟していたよね。もちろんキツかった。最初は先輩たちのディフェンスがすごくて、ちょっと何もできない期間があって。

――2人とも洗礼を受けたと。東海大での生活はいかがでしたか?
西田 心地いい田舎で、僕からしたら少し都会。過ごしやすかったですね。
津屋 寮生活でしたけど、高校の時と違ってバスケ部だけの寮でした。一人部屋で、ほぼ一人暮らしのような生活でした。すごく楽しかったです。
西田 楽しかったよね。食事に関しては、夕飯は提携している近くの定食屋さんまで食べに行っていました。
津屋 朝は学食だったね。

――学校生活はいかがでしたか? 陸川監督の講義も取っていたと思います。
西田&津屋 はい。
津屋 リクさんが目の前にいるのに、ウトウトしちゃうことがあって。
西田 リクさんの授業で映画を見ることがあったんです。バスケ部でも見たことがある映画だった時には「また見るのか……」みたいな。頑張って起きていましたよ。

――お2人は1年生の時から試合に絡んでいました。
西田 いろいろあったな……。
津屋 ちょっと大変でした。僕らはまだ1年生だったので、どうこうできる問題ではなかったというか。大きな問題ではなかったですけど、大学バスケで一番大事なことができていなかったのかなと、今思うと感じます。逆に先輩たちのおかげで勉強になりましたね。優大は最初の大会からスタートで出ていて、僕はリーグ戦の途中から試合に出ていました。
西田 リーグ戦で7連敗したしね……。
津屋 そうだね。いろいろ大変だったね。

――津屋選手はどのようにしてポジションを獲得したのですか?
津屋 ……、なんでだろう。
西田 新人戦じゃない?
津屋 4番(パワーフォワード)の選手が少なかったこと。あと、僕は体の強さが武器でもあったので、そのポジションで起用されていました。楽しくプレーできていましたし、今となっては4番ポジションをやっていたのはいい勉強ですね。小さい4番でしたけど、その分、シュートを打てるといった利点がありました。そこがシューターとしての原点かなと。4番でシュートを打つようになり、3番(スモールフォワード)でもシュートを打つことを確立していきました。その時のおかげだと思います。

――東海大は山形での夏合宿が有名だと聞きます。
西田 僕はそこまでしっかりと経験していないですね。1年生の時は初日の練習で、開始30分のディフェンスフットワークで肉離れを起こしてから何もできなくて。
津屋 僕は皆勤賞ですけどね(笑)。しっかりと4年間。高地トレーニングかつ朝早くからトラックを走って、そこから坂道ダッシュ。終わったら宿に戻って朝ご飯を食べて、そこで一度寝るんですよね。寝ない人は体育館に行き、練習をこなすんです。午後はウエイトトレーニングでかなりハード。いろいろなメニューがあり、それらに加えて外を走らなければいけない。そのうえでいいパフォーマンスを出して練習しなければいけなかったので、それはキツいですよ。心を休める時が唯一あって、1週間の中日がオフになるんです。その前夜にみんなでバーベキューをやるんですが、それが気を休める時間になりました。1年生から4年生の仲を深める時間にもなるので、それを楽しむために山形に行く感じでした。
西田 そのとおりです(笑)。

■4年次のインカレでは「どうしても勝ちたかった」(西田)

――自分たちの最終学年を迎える頃に新型コロナウイルスが蔓延しました。
津屋 優大や(大倉)颯太(千葉ジェッツ)、(八村)阿蓮(群馬クレインサンダーズ)などが特別指定でチームを離れた時、「1月がすごく大事だ」と。彼らがいないけどチームを作り、戻ってきた時にすぐできるようにしようと取り組んでいて、1月、2月は死ぬ気でやったんです。すごくいい感じだったのにコロナが流行しました。当時はまだどれほどのものかわからなかったので、実家に帰る人、寮に残る人とバラバラになっていたよね。
西田 一球は相当引っ張ってくれていました。練習が終わって、無気力で座っていたぐらいでした。

――チームメートと一緒に練習する時間は限られていたと思います。
津屋 いつから練習をやっていたっけ?
西田 俺は3カ月ぐらい実家にいたような気がする。
津屋 スタッフ陣が再開の話し合いをしてくれて、その間はZoomをつないでオンライントレーニングでしたね。不安しかなかったです。僕らの代は試合がないことを覚悟していました。めちゃ電話をしていたよね。
西田 しょっちゅうかかってくるんですよ。僕と一球、木下(碧人)の3人のLINEグループがあり、「グループ通話が開始されました」と通知が入って。お風呂に入りながら電話をかけてきたこともありました。
津屋 ずっと家にいたことで、頭がおかしくなりそうで。このまま大学バスケが終わってしまうかもしれないと思った時、電話をかけて、心を落ち着かせていました。ただ、それくらい仲が良かったです。
西田 7月半ばに「一度帰ってこい」という連絡があったんだよね。
津屋 その時はほかの大学より先にチームを完成させようという雰囲気でした。練習が終わったらすぐにシャワーを浴び、ミーティングルームに集まって練習を見直して、指摘し合っていました。次の日は同じミスをしないことを意識づけ、夜中まで話し合いを繰り返していました。
西田 楽しかったですよ(笑)。
津屋 楽しかったよね。後輩たちも参加してくれて、スタッフの方々も来てくれたしね。しかもコロナの感染に気をつけなければいけないから、ミーティングルームにはメンバーの半数しかいないようにして、残りはZoomをつないでいました。
西田 だからこそ普通に試合をやりたかったよね。ホームゲームも。
津屋 観客がいた状況で試合をやりたかった。すべて無観客だったから。ホームゲームをやったら一番盛り上がったんじゃないかな。
西田 絶対にそうだね。それが大学生活で一番の後悔です。
津屋 今はすごく羨ましい。
西田 実際にホームゲームに行ったけど、楽しかったよ。

――集大成となるインカレを迎えた時の調子はいかがでしたか?
西田 しっかりと覚えていないですけど、良かったと思っています。
津屋 4年生の時、トーナメントから普通でした。優大はインカレで本調子ではなかったじゃん。早稲田(大学)戦から調子を戻し始めて、「これならいけるな」と。そこからチームも勢いに乗り始めました。

――優勝した瞬間は?
津屋 うれしかったです。
西田 はっきりと覚えています。
津屋 間違っていなかったなというか。
西田 しっかりとやっていたことが結果に結びついたからね。
津屋 東海は(失点)60点以内という目標を立てて試合に臨みますが、インカレはどのチームを相手でも60点前後でした。目標を達成しつつ、楽しくプレーできました。東海らしい一番いい形で終われたのは本当に良かったですね。
西田 自分たちの代でインカレを取れたのは3人しかいません。1個上の先輩方はあまり結果が出なかったので、僕たちはバスケ以外のところを大事にしようと。前年のインカレでは帰りのバスを降りて、僕ら3人と学生スタッフ、大人のスタッフを含めて話し合いましたね。
津屋 あの時は先輩方を勝たせてあげられなかった悔しさがありました。そのうえで学んだことも多くて、何が正解なのかは僕らのなかで出ていたというか。いかにして自分たちがそういうチームにしていくのか。4年生だけで集まり、何か問題が起きたらそれをすぐに解決するようにしていました。それはバスケ以外の部分も含めてです。
西田 一球は特に引っ張っていってくれましたけど、キャプテンを決める時、3人とも手を挙げるぐらいでした。
津屋 逆にそれが良かったのかな。自覚を持てたということが。
西田 3人がそういう気持ちを持っていたよね。勝ちたい思いが強すぎて。「これでは勝てない」という悔しさを味わったので、その分、どうしても勝ちたかったですね。

――最後に東海大での4年間を通じて、陸川監督にどのようなことを教わりましたか?
西田津屋 いっぱいありますね。 
西田 一番は『成功の定義』。UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の名コーチだったジョン・ウッデンさんの言葉です。結果がどうであれ、それまでの過程でベストを尽くしたのが成功であるということ。それまで頑張ったこと、その過程をすごく大事にすることを自分の中で一番教わりました。
津屋 『パウンディング・ザ・ロック』という言葉があります。大きい岩があるとして、それを割りたいけど、叩き続けて100回叩いたとしても割れない。でも、101回目で割れるかもしれない。それを東海大のバスケで例えると、まずは100回全力でやり続けること。もしかしたら、その次で自分たちの成功が見えるかもしれないという考え方です。有名な話ですが、僕はリクさんから初めて聞きました。
西田 101回目で割れても、その打撃で割れたわけではなく、積み重ねがあるということね。でも、リクさんの言葉ではないんですよ。いろいろな人の言葉を引用していますけど、すべてリクさんの言葉に聞こえてくるという。
津屋 説得力があるからね。
 

■西田選手、津屋選手 着用ザムスト製品

――西田選手はなぜ『BRAVE-PAD SHORTS(パッド付ショーツ)』を着用してプレーしているのですか?
西田 自分のプレースタイル的にドライブが多く、ディフェンスではハードにいくので、相手の膝が太ももに入ることがよくありました。このパッド付ショーツを履くことで、安心してプレーできるようになりました。膝が入った時でも痛みを軽減できる。自分のプレーが少しでも良くなればと思って、履かせてもらっています。

――いつ頃から着用していますか?
西田 今年の7月頃からです。Bリーグの試合でも毎試合着用していますよ。これまで他の製品を使用していた時は、自分の求める位置にパッドがなかったりしていましたが、『BRAVE-PAD SHORTS』は、自分が欲しい位置にパッドがありますし、最高にフィットしていて、すごく気に入っています。試合中はなければ困りますね。

――どのような選手におすすめしたいですか?
西田 「ももかん」がよく起こる人。プレースタイル的にアタックやドライブの多い選手、あとはよく転ける人にもおすすめですね。太ももだけではなく、骨盤やお尻にもパッドが入っているので、すごくいいと思います。

――『フィンガーラップ<1本指>タイプ』についてはいかがですか?
西田 日本代表活動で突き指とまではいかないですけど、指を少しケガして、ずっとテーピングを巻いていました。練習で毎回のようにテーピングを巻くのは大変でした。いい商品がないか探していた時、これを見つけました。ハメるだけでいいですし、これをつけるだけで安心感があります。ゴツゴツしているように見えるかもしれませんけど、全然違和感がなく、ボールを触れます。今はこれがないとプレーできません。

――テーピングの代替だと。
西田 はい。ボールをつく感覚も変わらず、指が固定されるようなイメージです。突き指というより、引っかかって指を持っていかれた感じでした。痛みを軽減するわけではないですけど、だいぶ安心感がある状態でプレーできています。

――津屋選手は『アームスリーブ(腕用スリーブ)』を着用しています。
津屋 右手ばかり使っていて、右肩が疲れるようになったんですよ。右肩が疲れるのは、右腕を使っているからなのかなと思って。これをつけていると適度な圧迫感があるので、疲れにくいと思っています。僕は力を抜いてシュートを打つので、そういう意味ではすごく助かっています。今となってはないと違和感があるぐらいフィットしています。練習中からずっとつけています。

――どのような人におすすめしたいですか?
津屋 ある程度の締め付けを必要とする人。ふくらはぎのスリーブを履いている人もいますが、それと同じような感覚です。筋肉の揺れがないというか。バスケに限らず、よく腕を使う人におすすめです。

――ファンクショナルソックス『HA-1レギュラー』についても聞かせてください。
津屋 僕はテーピングを巻きたくないタイプなんです。でも、ないと少し怖い感じがあって。このソックスはしっかりとした締め付け感があって、テーピングを巻いているような安心感がすごくあります。かつ長さも好きで、ちょうどいいですね。テープを巻きたいけど巻きたくない人、あとは少し安心感が欲しい人におすすめです。

――もともとテーピングを巻いていたのですか?
津屋 巻いていました。けど本当に嫌でした。今はこのソックスがあるので、巻かなくてもいいです。僕は激しく動くことが少なく、足をひねることも少ないですが、このソックスがあると安心しますね。

津屋 一球の関連記事