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『B MY HERO!』
今から19年前の1999年4月4日(現地時間3日)。当時ニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツに所属していたケンドール・ギル(元ネッツほか)が、マイアミ・ヒート戦でNBA歴代1位タイとなる11スティールを奪った。
ロックアウトによって50試合という短縮シーズンとなる中、イースタン・カンファレンス上位を堅持していたヒートに対し、イースト下位に沈んでいたネッツ。第1クォーター、ヒートに8点のリードを許したものの、第2クォーターに28-14と突き放しに成功し、最終スコア88-77で貴重な白星を手にした。
この試合、先発スモールフォワードとして40分出場したギルは、11スティールに加え、15得点10リバウンドを記録しトリプルダブルを達成。さらに3アシスト2ブロックと縦横無尽な働きで勝利に大きく貢献。
1試合11スティールは、1976年12月27日(同26日)に当時サンアントニオ・スパーズに所属していた206センチのフォワード、ラリー・ケノン(元スパーズほか)がカンザスシティ・キングス戦で記録して以来、史上2人目。なお、ケノンはこの試合で44分間プレーし、29得点15リバウンドと、こちらもトリプルダブルをマークしている。
ギルは196センチ88キロの筋骨隆々な肉体と精悍なマスクを兼備し、スイングマンとしてキャリア15シーズンをプレー。96-97シーズンには自己ベストとなる平均21.8得点を挙げるなどキャリア平均13.4得点を残しているが、ディフェンス面でも相手チームのスコアラーとマッチアップしてきた。
また、11スティールを達成後の19試合において、ギルは9度も4本以上を奪うなどスティールに開眼。このシーズンは平均2.7スティールを残し、キャリア唯一となるスタッツリーダーになった。
試合後、ギルは現地メディア『NEW YORK POST』に対し、歴史的な快挙を達成した要因の1つとしてこのシーズンからアシスタントコーチに就任したエディ・ジョーダンの存在を挙げている。
「エディ・ジョーダンが新たなディフェンス・システムを導入してくれたんだ。そのお陰で、僕は(ディフェンス時に)今までよりもたくさん動き回ることができているんだ」。
そんなギルにとって、NBAキャリアの中で最もガードすることがタフだったのは誰なのか。現役引退後、ギルが『CSN』でブルズのアナリストを務めていた時、『NBC SPORTS CHICAGO』でギル自身が5選手の名前を挙げていたので紹介しよう。
■最もガードすることが難しかった選手TOP5(ケンドール・ギル)
1.モックムード・アブドゥル・ラウーフ(元デンバー・ナゲッツほか)
2.マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)
3.グラント・ヒル(元デトロイト・ピストンズほか)
4.レジー・ルイス(元ボストン・セルティックス)
5.マーク・プライス(元クリーブランド・キャバリアーズほか)
まず、5位のプライスについては「私に対して『何でプライスをガードすることが難しいんだ?』と聞いてくるけど、彼はとても速く、ドリブル中に急ストップして3ポイントシュートを放ってくる。まるでステフィン・カリー(ゴールデンステート・ウォリアーズ)のような広いシュートレンジを持っていたんだ」とギル。4位のルイスに関しては「6フィート7インチ(201センチ)で強じんな選手。ミドルレンジからのシュートもうまかった」とコメントした。3位に入ったヒルについては「足首のケガによって成績は落ちたものの、殿堂入りしてもおかしくはないすばらしい選手。インサイドではファウルされてもショットを決め切ることができた」と称賛していた。
「この順位は皆が驚くだろうね」と語った2位のジョーダンについては「彼はすべてを兼ね備えたすばらしい選手。特に弱点らしきものもない。トライアングル・オフェンスというシステムが円熟したことで、それまでの2倍以上ガードすることが難しくなった」と振り返った。そしてジョーダンを抑えて1位となったのがラウーフ。ギルは「多くの人たちは、彼がどれだけすごい選手だったか知らないだろうね。オフェンス面で相手ディフェンダーを壊滅させるようなムーブをいくつも持っていたから、彼をガードすることは本当にタフだったんだ」と自身の見解を述べた。
実は、ギルとラウーフには日本でプレーしたことがある、という共通点がある。ギルは96年秋にネッツの一員として来日し、NBAジャパン・ゲームズで2試合をプレー。ラウーフは、09年から11年まで京都ハンナリーズ(当時はbjリーグ)でプレーしたことがあった。ギルはNBA選手として、ラウーフは日本のチームでプレーした選手ではあるものの、日本と関わりがある数少ない選手たちだけに、両者にはこの場を借りて「ありがとう」という言葉を送りたい。