2018.05.18

What if編①~ニックスが優勝を託したジョン・スタークス~/プレーオフ特別企画27

ニックスの主軸として94年のファイナル進出に大きく貢献したスタークス[写真]=Getty Images
バスケ情報専門サイト

4月15日(現地時間14日)から、計16チームによる今シーズンの王座を懸けた激闘、「NBAプレーオフ2018」が幕を開けた。バスケットボールキングでは、プレーオフ出場チームやシリーズ勝敗予想に加え、これまでのプレーオフにおける名シーンや印象的なシリーズ、ゲームなども順次お届けしていく。

<プレーオフ特別企画27>
What if編①~ニックスが優勝を託したジョン・スタークス

 NBAのプレーオフは、同じチームと何度も戦い、互いの手を知り尽くした中で4戦先勝(2002年までは1回戦のみ3戦先勝制)しなければならないという非常にタフなシリーズを勝ち抜き、毎年チャンピオンが決定する。そのため、ブザービーターで決着した試合や土壇場で同点に持ち込み、延長戦にもつれ込んだ試合もあれば、1本のフリースローやリバウンド、ターンオーバーで決まった試合もある。

 そのため、「あのショットさえ決まっていたら…」「あの時にミスしていなければ…」といったいくつもの「タラ・レバ」が存在する。ここでは“What if”として、これまでのプレーオフで起きたドラマを振り返ってみたい。

 第1弾は、世界最大の都市ニューヨークを本拠地に置くニックスで、1990年代に主力を務めたボリュームシューター、ジョン・スタークス(元ニックスほか)にまつわるエピソードをお届けしよう。

90年代初期に3連覇を果たしたブルズ最大のライバル

 1990年代序盤。マイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)率いるブルズが91年から93年にかけて3連覇を達成した中で、最強のライバルとして立ち向かったのがニックスだった。

 91年こそ1回戦でブルズにスウィープ負けを喫するも、その年のオフにロサンゼルス・レイカーズでヘッドコーチ(HC)として80年代に4度の優勝を勝ち取った名将パット・ライリーが、新たな指揮官に就任。

 すると翌91-92シーズン以降、ニックスはリーグ屈指のセンター、パトリック・ユーイング(元ニックスほか)を軸に、タフでフィジカルなディフェンスを武器とするチームに変貌。92年のイースタン・カンファレンス・セミファイナルでは2連覇を狙うブルズを第7戦まで追い詰める戦いぶりを見せ、強烈なインパクトを与えた。

プレーオフではジョーダン(左)と激しいマッチアップを繰り広げたスタークス(右)[写真]=Getty Images

 92-93シーズンを前に、ニックスはトレードでベテランガードのローランド・ブラックマン(元ダラス・マーベリックスほか)、司令塔のドック・リバース(元アトランタ・ホークスほか)、208センチの大型フォワード、チャールズ・スミス(元ロサンゼルス・クリッパーズほか)を獲得。戦力増強に成功したニックスは、イーストトップの60勝22敗をマーク。プレーオフではイースト決勝でブルズと3年連続の対決となり、異様な盛り上がりを見せたことを覚えている方もいるだろう。

 ニックスの中心選手はもちろん、大黒柱ユーイング。平均20得点10リバウンド以上を安定して稼ぎ出し、ポストプレーのみならず、ソフトタッチなジャンパーでも得点を決めていた。

 そして、ユーイングに次ぐスコアラーとして活躍していたのがスタークスだった。92年のプレーオフでベンチからチームに勢いをもたらすプレーで脚光を浴び、このシーズン中盤からスターターに定着。チーム2位となる平均17.5得点を残し、タフで粘着気質なディフェンスでマッチアップ相手を苦しめ、ニックスの主軸へと成長を遂げた。

 迎えたブルズとのイースト決勝。スタークスは初戦で、第4クォーターに貴重な3ポイントシュートを決めるなど、7投中5本の3ポイントシュート成功を含む25得点5リバウンド4アシストを記録し勝利の立て役者となった。第2戦では12得点9アシストに加え、ジョーダンとホーレス・グラント(元ブルズほか)を交わして左手から豪快なダンクをたたき込み、2連勝に貢献。このダンクは今でもプレーオフのハイライトに登場するほどの名シーンとなっている。

プレーオフの名シーンとなったスタークスのワンハンドダンク[写真]=Getty Images

 しかし、第3戦以降は一度も白星を手にすることができず、そこから4連敗で三度目の正直ならず。翌94年に、四度目の正直を目指すこととなった。

 ところが、93年秋にジョーダンが突如現役を引退。3年連続で敗れていた憎きブルズが事実上、大幅な戦力ダウンとなったのと同時に、ニックスは優勝候補筆頭に浮上した。

第4Qに爆発し、ニックスに何度も勝利を呼び込んだ男

 93-94シーズン。ニックスはユーイングにスタークス、チャールズ・オークリー(元ニックスほか)の3選手をオールスターに送り込み、57勝25敗を記録。イースタン・カンファレンス2位でプレーオフに出場。

左からオークリー、スタークス、ユーイング。3選手そろって94年のオールスターに出場した[写真]=Getty Images

 1回戦でニュージャージー(現ブルックリン)・ネッツを3勝1敗、イースト準決勝ではスコッティ・ピペン(元ブルズほか)とグラントを軸とするブルズに最終戦で勝利。イースト決勝でもレジー・ミラー(元ペイサーズ)の爆発を許し、4勝3敗で何とか制し、73年の優勝以来、初となるファイナル進出を果たした。

 ジョーダン不在の頂上決戦。ニックスの相手はシーズンMVPに輝いたビッグマン、アキーム・オラジュワン(元ロケッツほか)率いるヒューストン・ロケッツ。ユーイング対オラジュワンというリーグ最高級のセンター対決として注目を集めたものの、ニックス勝利のカギは、スタークスの活躍にあった。

 シリーズ初戦。スタークスは18投中15本のショットをミスして11得点に終わり、ニックスは初戦を落とす。すると第2戦でスタークスがいずれもチームトップの19得点9アシストを挙げてニックスにシリーズ初勝利をもたらす。この試合、スタークスは11投中6本、そのうち4投中3本の3ポイントシュートを沈め、ニックスをけん引。

 続く第3戦はロケッツの新人サム・キャセール(元ロケッツほか)に決勝弾となる3ポインターを浴びてニックスは敗戦するも、第4、5戦ではニックスが連勝。スタークスは第4戦で20得点4アシスト、第5戦では19得点7リバウンド6アシスト3スティールとオールラウンドな数字を残した。この2試合において、スタークスは第4クォーターだけで2ケタ得点をニックスにもたらし、勝利の立て役者となっていた。

ホームで行われた第4、5戦。スタークスは殊勲の活躍でニックスに勝利をもたらした[写真]=Getty Images

最終戦で極度のスランプに陥り、英雄から戦犯へ

 NBAチャンピオンへあと1勝に迫ったニックスは、第6戦でもスタークスが第4クォーターだけで16得点を挙げるスパークを見せ、あと一歩のところまでロケッツを追い込む。

 最後のポゼッションでボールを受け取ったスタークスは、ユーイングのピックで左サイドへ進み、逆転勝利、そして優勝を懸けたショットを放った——。

第6戦のラストショットは、オラジュワンによる執念のブロックを浴びてしまったスタークス[写真]=Getty Images

 「これさえ入っていれば優勝していたはず…」という決定的なショットだったが、オラジュワンのブロックに遭い、惜しくも勝利を逃してしまう。

 勝利チームが優勝を手にすることができる運命の最終戦。ニックスとしては当然、ユーイングとスタークスを中心に攻め立てていったのだが、スタークスのショットに異変が起きていた。

 スタークスの右腕から放たれたショットは、まるで呪われているかのようにリングに嫌われ、空を切ってしまう。この日のスタークスは、チーム最多となる18本のショットを放ったものの、リングを潜り抜けたのはたったの2本。3ポイントシュートに至っては、11本すべてをミスしてしまうという極度のスランプ。

 それでもニックスは、デレック・ハーパー(元マブスほか)やユーイングらチームメートの踏ん張りで接戦に持ち込んだものの、84-90と惜敗。スタークスのショットがせめてあと2、3本入っていれば、ニックスが勝利を収めていても決して不思議ではない結末だった。

優勝決定戦となった第7戦。スタークスはまさかの絶不調に陥ってしまった[写真]=Getty Images

スタークスで勝ち、スタークスで負けたニックス

 あれから10年以上が経過した2005年。サンアントニオ・スパーズとデトロイト・ピストンズによるNBAファイナルで第7戦が行われることとなり、スタークスが現地メディア『New York Times』の電話取材に答えた。

 「(94年ファイナル最終戦で起きた)僕の絶不調について、いつも皆が話してくる。(11年も前なのに)今日まで、皆が持ち込んでくるんだ。だからその事実から逃れることなんてできないのさ。生活していくうえで、どうしても気になっちゃうんだろうね」。

 世界最大の都市ニューヨークの英雄から戦犯へ——。ファイナルでニックスに3勝をもたらしたスタークスだったが、第7戦の絶不調により、シリーズ敗退の戦犯の1人となってしまった。まさに天国から地獄へ突き落されたかのような出来事だった。

 もしあの試合で、スタークスが通常レベルのパフォーマンスをしていたら、あと2、3本のショットを決めていれば、ニックスが優勝を手にしていた可能性があったことは否定できない。

 ただその一方で、極度の不振に陥る中、スタークスは最後までショットを放ち続けた。強じんなメンタルタフネスが備わっていなければ、おそらくできなかったのではないだろうか。それにニックスは第6戦まで、スタークスの活躍で勝利を飾ってきた。そのため、スタークスに頼らざるをえなかった。ライリーHCの言葉からもそれは明らかだった。

 「ジョン(・スタークス)について、非常に厳しい批判が飛び交ってくる。だが、ジョンがいなければ第7戦を戦うことは決してなかったのかもしれない。第4、5戦で第4クォーターに2ケタ得点を挙げて勝利をもたらし、第6戦でも第4クォーターでチームが挙げた22得点のうち16得点していた。彼は本当に、第4クォーターで見事なプレーを見せていたんだ。ビッグショットを何度も決めてくれた」。

ライリーHC(右)は、チームに勝利を呼び込んできたスタークス(左)と心中することとなった[写真]=Getty Images

誰にでも起こり得る大一番の不振

 第7戦の絶不調により、スタークスは「史上最悪のパフォーマンス」「優勝を逃したA級戦犯」と批判する人が数多くいたことは言うまでもない。

 しかし、こうも言えるのではないだろうか。「スタークスは42分間プレーし、すべてを出し切った」と。残念ながらショットをことごとくミスしてしまったことは事実だ。それでも、スタークスは自身に与えられた役割——シューターとしてショットを放ち続けること——を全うしたのである。

 スタークスはこのシリーズで、プレーオフ、そしてファイナルという大舞台における恐ろしさを体験することとなった。ただこの体験は、どんな選手でも起こり得ることだということを強調しておきたい。

最後までショットを打ち続けたスタークス。このシリーズをとおして、良くも悪くも、最も記憶に残る選手となった[写真]=Getty Images

 今年のプレーオフにおける大事な試合で、スター選手が極度のスランプに陥ってしまうことも、十分考えられるのだ。

 だからこそ、毎分毎秒、プレーオフで戦い続ける男たちのプレーを見届けてほしい。