2020.05.04

マイケル・ジョーダンが最恐集団ピストンズの“ジョーダン・ルール”を破った術(中編)

“ジョーダン・ルール”を破るためにブルズはトライアングルオフェンスを採用。しかしジョーダンは、個人でも対抗できるようにさらなるレベルアップを目指した[写真]=Getty Images
某ストリートメディアのシニア・エディターを経験後、独立。ひとつのカルチャーとしてバスケットボールを捉え、スポーツ以外の側面からもNBAを追いかける。

 NBAのG.O.A.T、マイケル・ジョーダン。『Netflix』では、ブルックリンに生まれ落ちたバスケットボールの神様とシカゴ・ブルズに迫るドキュメンタリー『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』の放送が開始されたが、その第三話と第四話では、彼らの前に立ちはだかった最恐の強敵、デトロイト・ピストンズとの因縁の歴史が紐解かれている。

 ジョーダン包囲網、通称「ジョーダン・ルール」の対抗策として、ブルズのコーチ陣は「トライアングル・オフェンス」を採用。しかし、ジョーダンは1人のプレーヤーとしてさらなる進化を遂げるべく、ポストプレーを学び、フィジカルの向上にも取り組むこととなる。

※以下、『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』の一部ネタバレを含んでおります。

ジョーダンの肉体改造

ラフプレーへの対抗策として、ジョーダンは肉体改造に取り組む[写真]=Getty Images

 ジョーダンがToDoリストに設けた2つの項目のうちのひとつ、それが「バットボーイズ」のラフプレーに耐えうる強靭なフィジカルを手に入れることだった。

 フィットネストレーナーのティム・グローバーは、ピストンズとの対戦でジョーダンが肉体的にも精神的にも消耗しているという記事を読み、プロジェクトへ参画した。彼はブルズとコンタクトを取り、自身のサービス提供を申し出る。最初は30日のトライアルだったが、以降、ジョーダンとティムはキャリアを通してのパートナーとなり、信頼関係を築いた。

「ジョーダンと彼は2人だけでトレーニングをしていましたね」、ブルズ2度目のスリーピート達成時にロールプレーヤーとして重要な役割を担ったジャド・ブシュラーは言う。「彼らは特別なことをやっていたわけではなく、体格に恵まれた選手は他にもいました。マイク(ジョーダンの愛称)は、トレーニングの末にボディビルダーのような肉体を手に入れたわけでもありません。ただ、彼とは何度も練習でマッチアップしましたが、お世辞にも面白いとは言えません(笑)。彼は元々身体の軸が強かったのです。腰から下は、まるで岩のようでした。誰も彼を動かすことはできませんでした」。

 ジョーダンは、ジムでのトレーニングだけではなく、実践練習も取り入れていた。1990-91シーズン、MJは身長208センチ、体重104キロという恵まれた肉体を持ったパワーフォワードとして加入したルーキーのスコット・ウィリアムズをコートに呼び出し、練習後にひたすらポストプレーのみの1on1を実施している。

「多分、僕は彼の兄弟の誰よりも彼と1on1をしたのではないでしょうか」、ウィリアムズは当時の練習量を振り返る。「練習後にいつも僕を捕まえてくれて、フリースローラインからポストプレーだけをしていました。一度だけ彼に勝ったことがあるのです。でも、僕が彼を倒したら、彼はオフェンスファールを主張してきて、そのあとは3連続で得点されてゲームセット。容赦なかったですね」。

計画成功と悲願の初制覇

ピストンズを下したジョーダン率いるブルズは、勢いそのままにレイカーズを破りチャンピオンリングを手にした[写真]=Getty Images

 計画は成功する。ジョーダン率いるブルズは、1991年のプレーオフのイースタンカンファレンスで遂にピストンズに勝利。それも4連勝のスイープで完勝劇を演じ、バッドボーイズをロッカールームへと追いやった。その勢いは止まるところを知らず、ブルズは同年、初のチャンピオンリングを獲得することとなる。

 この時、「ジョーダン・ルール」の物理的な攻撃は、進化したMJ本人には通用しなかった。ただ、ウィル・パデューは試合後の痛々しいジョーダンの姿を鮮明に覚えている。

「ピストンズの面々は、爪を整え、マイケルに引っ掻き傷を負わせました。彼はまるで有刺鉄線の柵を飛び越えて、失敗した人のようでしたね。背中、足、腕などいたる所に傷痕がありましたが、当の本人はそれを勲章と思っていたようです。『あいつらが俺に何をしようとしたか見てみろ』と言って、それを見せられたことがありました」

 しかし、ジョーダンは同情が欲しかったわけではない。彼は、ピストンズがいかなる手段を講じても、自分は動じないということを証明したかったのだ。フィジカルのみならず、メンタル面での戦いに勝利すること。これは、ジョーダンにとって、結果と同じくらい重要なことだったのである。

怒りや努力をひた隠しにする俳優、マイケル・ジョーダン

 ジョーダンは、まるで“俳優”のようだった。ハードファウルを喰らっても、決して怒りを表に出すことはない。レフリーがミスジャッジをしても、詰め寄ることはほとんどなかった。なぜならジョーダンは、それらすべてがメンタルゲームの行方を左右することを理解していたからである。

 パデューは、ジョーダンのメンタルコントロールについて問われると「彼は、仲間が彼の代わりに憤ることを嫌がりました。それはファウルをした人の思う壺だからです」と言った。そして、その理由について「彼にとって、それもゲームの一部だからです。被害を被っても、何もなかったかのように気丈に振る舞っていました」と続けている。

 相手に一切の隙を与えない。そして、味方にでさえ不安の種となるような情報は規制した。例えば、足の指が感染症にかかり、入院しないといけないほどの状態だったことがあったことがあるが、彼はそれを悟られることのないように、病院を行き来しながらプレーを続けたという。細部にまで徹底的にこだわること、これがジョーダンの哲学なのだ。

 悲願を成し遂げたジョーダンだが、その背景には並々ならぬ努力があったことは言うまでもない。だが、B.J.アームストロングによると、名俳優であるジョーダンは、その努力さえ人に知られないようにしていたという。

「彼は何事にどんなに懸命に取り組んでいても、楽々とこなしているように思わせたかったのでしょう。人は彼がどれだけの時間を費やしているか、知る由もないですから。ブルズの練習でもまるで今来たかのような素振りをしていましたが、実際は25分前に到着していました。さらに、これはほとんどの人が知らなかったことですが、彼はすでに自宅のジムでトレーニングをして、朝食を済ませ、ゴルフで18ホールを回っていました。彼は根っからの努力家だったのです」

 肉体的にも精神的にもパワーアップしたジョーダンを擁するブルズは、圧倒的な力量差でNBA3連覇を成し遂げる。完全に崩壊したかと思われた「ジョーダン・ルール」。しかし、この後のキャリアで2回目のスリーピートを達成した際にも、彼の前には「ジョーダン・ルール」が立ちはだかった。

<後編に続く>

文=Meiji

おうちWEEKのバックナンバー

BASKETBALLKING VIDEO