2020.05.09

ブルズの後期3連覇の一員となったジャド・ブシュラー「僕らは本当に感謝している」

ブシュラー(左)はジョーダン(中央)、ピペン(右)と4シーズンをプレーした[写真]=Getty Images
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『ザ・ラストダンス』は「ものすごく感傷的な思い出。自分の人生において非常に大きな部分であり、大きく変えてくれたもの」とブシュラー

 5月9日(現地時間8日、日付は以下同)。現地メディア『HoopsHype』に、ジャド・ブシュラー(元シカゴ・ブルズほか)のポッドキャスト インタビューが掲載された。

 1997-98シーズンに1990年代最後の優勝を飾ったブルズを追跡したドキュメンタリー『ザ・ラストダンス』の放送開始から約3週間。世界中で話題となっているドキュメンタリー内で、ブシュラーは脇役としてブルズの一員としてプレーしてきた。

 ブシュラーは90年のドラフト2巡目全体38位でシアトル・スーパーソニックスから指名され、94-95シーズンからブルズへ加入。97-98シーズンまでの4シーズンで、平均9.5分3.0得点1.5リバウンドをマーク。限られた出場時間の中で3ポイントを38.1パーセントの高確率で沈め、タフなディフェンスを披露。

限られた出場時間の中、ブシュラーはハードワーカーとして奮闘した[写真]=Getty Images

 マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピペン(共に元ブルズほか)、デニス・ロッドマン(元デトロイト・ピストンズほか)という超豪華メンバーが並ぶチームで、ブシュラーは地道に努力を重ねるハードワーカーとしてチャンピオンチームで生き残り、3度のチャンピオンリングを獲得してきた。

 2001-02シーズンを最後にNBAから退いたフォワードは、現在アシスタントコーチ(AC)としてNBAにおり、2016年から18年までロサンゼルス・レイカーズ、2018年からニューヨーク・ニックスのACとして奮闘している。

 『ザ・ラストダンス』について聞かれると、ブシュラーは楽しそうにこう話していた。

「楽しんでるよ。僕自身もそうだけど、家族にとっても最高さ。今はサンディエゴ(カリフォルニア州)に家族、父と住んでるんだけど、毎週日曜夜が待ちきれないね。僕にとってはものすごく感傷的な思い出なんだ。今から22年も前のことだけど、自分の人生において非常に大きな部分であり、大きく変えてくれたものだからね。ものすごく楽しんでるよ」。

昨年のサマーリーグで、ブシュラー(右)はヘッドコーチとしてバレット(左)らを指揮[写真]=Getty Images

「マイケルが戻ってから最初の1週間というもの、練習では皆が彼のことを見ていた(笑) 僕らはただ彼にボールを預けて、ひたすら見ていたよ」

 90年代にブルズが成し遂げた後期3連覇は、95年3月にジョーダンが現役復帰した時から動き始めたと言っていいだろう。93年10月に衝撃的な引退を発表してから約1年半ぶりにコートへ戻ったのだが、91年から93年までに達成した前期3連覇のメンバーはピペン、BJ・アームストロング、ウィル・パデュー(いずれも元ブルズほか)のみ。

 ロースターの多くはジョーダンと対戦したことがあるのみで、一緒にプレーしたことはなかった。ブシュラーは言う。

「チームの皆にとって、信じられない瞬間になったね。ほとんどの選手たちは(前期3連覇の時に)所属していなかったから。多くの選手たちは彼のすごさを対戦したり観てきたけど、世界で最も偉大なバスケットボールプレーヤーと一緒にプレーすることになると知った時はワクワクさせてくれたよ。彼が戻ってから最初の1週間というもの、練習では皆が彼のことを見ていたくらいだし(笑) 僕らはただ彼にボールを預けて、ひたすら見ていたよ。だからチームが結束するまでには時間がかかったね。フィル(ジャクソンHC)はいつも『突っ立って彼を見るんじゃない。プレーしなさい!』と言ってたんだ」。

 そしてブシュラーは、ジョーダンとプレーした計4シーズンを、このように振り返っていた。

「90年代後半、僕らはセカンドユニットとして3度の優勝を勝ち取ることができた。皆がそのことを本当に感謝している。僕は(ブルズ入りするまで)4シーズンプレーしてきたけど、多くの試合で勝てないチームにもいた。(ブルズに入ってから)たくさんの試合で勝利し、スコッティ、デニスと共に、フィルの下でジョーダンの偉大さを見てきた。全てに感謝しているんだ。誰にでも経験できることじゃないからね。あのチームにいた皆がものすごくラッキーだったと感じている。僕としても、今配信されているドキュメンタリーを観て、あのチームの一員だったことをとても幸運に思ってる」。

 NBAキャリア12シーズンで、ブシュラーは通算720試合(うち先発は29試合)に出場して平均11.7分3.3得点1.8リバウンドを残してきた。通算7チームを渡り歩いたジャーニーマンではあったものの、その経歴には“3度の優勝”という誇らしい功績が刻まれている。