Bリーグ公認応援番組
『B MY HERO!』
わずか4シーズンでトップリーグのコートを去ると誰が想像しただろうか。2月27日、Wリーグのレギュラーシーズンも各チーム残り3試合というタイミングで、東京羽田ヴィッキーズが瀨﨑理奈の現役引退を発表。リーグ内では観客動員の多い東京羽田の看板選手だけに、その発表は多くのファンに衝撃を与えた。瀨﨑は何故、26歳にしてあっさりと大舞台から姿を消したのか、これからどこへ向かうのか。本人の証言を基に彼女のキャリアと現在地を探る。
取材・文=吉川哲彦
写真=瀨﨑理奈氏提供、3x3.EXE PREMIER
小学校2年生でバスケットと出会った瀨﨑。地元・福岡県の中村学園女子高校ではインターハイ3位、さらに拓殖大学では1年次にインカレ優勝を経験。独特のリズムを持つドリブルやクイックモーションのシュートを武器に、U18やユニバーシアードで日本代表にも選ばれている。瀨﨑のキャリアの中で大きな転機は大学時代にあった。自身のプレースタイルを確立する大きな要因になったのが、拓殖大・佐藤森王監督の存在だ。
「中村のバスケットは『ガードはガード』という考え方で、空いたときだけシュートを打つという感じでした。でも、拓殖の監督が私のオフェンス力を買ってくれて、1試合30点、40点取ることを目標にガンガン攻めるようになって、実際に20点や30点取るようになったんです。プレーで魅せるということは中学の頃から意識があったんですが、得点を取りにいけばやっぱりそういうシーンも多くなる。大学で自分のバスケットを変えてもらえたなと思います」
大学を卒業すると、地域密着型のプロという点に惹かれて東京羽田に入団。同期の落合里泉(現シャンソン化粧品 シャンソンVマジック)とともに1年目からチームの主力として活躍を見せる。3年目にはチーム史上初のプレーオフ進出を果たし、その貢献度は申し分なかった。しかし、4年目になると出場機会が減少。それに伴いパフォーマンスも下がっていった。入団当初から東京羽田でキャリアを全うするつもりだったという瀨﨑にとって、引退の決断はそう難しいものではなかった。最後の試合を終えて半年が経った今も、その決断に後悔はない。
「復帰しようとは一切思わないです。羽田のときのチームメートや他チームの友達にはがんばってほしいので応援には行きますけど、自分は全く未練もないです」
瀨﨑は引退と同時に故郷の福岡に戻ることも決めていたが、「本当にバスケットが大好き」という彼女を、バスケットボールも放ってはおかなかった。Wリーグの舞台を去る前の段階で選手としてのオファーが届く。今年設立された3x3.EXE PREMIERの女子カテゴリーに参入するチームからのものだった。「引退してもバスケットには関わっていたい」と考えていた瀨﨑は、同時に東京羽田を引退した森本由樹とともにTOKYO DIMEの一員として再びコートに立つことになる。引退と時期を同じくして3x3のリーグが誕生したことは運命的ですらある。
「3x3でプレーしている選手の中にはWリーグを引退してから何年か経っている人もいるんですけど、私の場合は来年や再来年にリーグができていたらたぶん挑戦していなかったと思います。ちょうどいいタイミングでオファーをいただいてすごくラッキーでした」
現在瀨﨑は、福岡で元プロ選手で同じ福岡出身の青木康平が主宰するWatch&Cアカデミーのコーチとして小中学生を指導している。その傍らで3x3関連の試合やイベントに多く招かれ、「バスケットを盛りあげたい」という思いで各地に足を運んでいる。
「環境は全く違いますけど、お客さんが見に来てくれている中でどれだけ良いパフォーマンスができるかという意識は5人制の時と全く変わっていません。3x3はまだ知名度が低いので、『私が会場を沸かせる』くらいのつもりでやっていきたいです。3x3はオフェンスに魅力があって、ボールを持つ回数もシュートまでいける回数も圧倒的に多くて、お客さんも目が離せないと思うんです。私もお客さんとして見てすごく面白いと思って、今ハマってます」
それと同時に、前述したコーチ業の面白さにも目覚めてきているという。
「楽しいです! 子どもたちを本当に上手にしてあげたいし、試合で活躍できるように、カッコいいプレーができるようにしてあげたいと思って、子どもたちに教える技を自分で考えたりしています。客観的に見て、バスケットってすごくカッコいいスポーツだと思うんです。お客さんの前で試合ができるのであれば、勝ち負け以上に何か意味のあるものを持って帰ってもらわないといけないということは常に思っていますし、今は教える側でもあるので、若いうちからそういう意識を持った選手を増やしたいです」
3x3は2020年の東京オリンピックから正式種目となり、瀨﨑も「行けたらいいなってコソッと思ってます(笑)」という。さらに、要請を受けて「体が動く限りはいろいろ挑戦したいし、力になれるなら」と福岡の国体成年チームにも参加。新たなステージで引き続き観客を魅了しながら、未来のスター育成にも力を注ぐ。瀨﨑は今後もその輝きを失わず、日本のバスケット界に貢献していく。