2022.03.11

大震災から11年…葛藤を乗り越えた琉球の桶谷HC「少しでも多くの人へ希望を」

震災当時、琉球で指揮官を務めていた桶谷HC[写真]=B.LEAGUE
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 東日本大震災から11年が経った2022年3月11日、沖縄バスケットボール株式会社は琉球ゴールデンキングス桶谷大ヘッドコーチが震災を振り返ったコメントを公開した。


 震災当時は琉球(当時はbjリーグ)で指揮官を務め、後に岩手ビックブルズで3シーズン、仙台89ERSで2シーズンに渡り采配を振った桶谷HC。「浜松・東三河フェニックス(現:三遠ネオフェニックス)とのアウェー戦のために移動をしている飛行機の中でした」と、震災発生時の状況を語った。

「空港に到着して、そこのテレビに映し出されている映像を見て震災が起きたことを初めて知りました。その時も、最初は『普通ではないことが起きている』ということしかわからず、徐々に『大きな地震が起きて本当に大変なことになっている』と理解していったのを覚えています」

 地震の影響で、2011年3月11日・12日の公式戦全試合は中止が決定。被災地の仙台を含む3チームがシーズン途中での活動休止となり、リーグ戦も中断となった。再開へ向かう動きもあったが、桶谷HCは「この未曾有の危機に直面している状態で、バスケットボールをしてもいいのだろうか」と、葛藤の日々が続いていたと話した。

「最終的には、こういう状況でプロスポーツチームの本当の存在意義はなんなのかと考えた際に、”スポーツの力で少しでも多くの人へ希望を届けること”、それができるのであれば、『我々はバスケットボールをやらなければいけない』という結論に達しました」

 また、活動休止となった仙台から志村雄彦(現 仙台89ERS社長)が琉球へ特別加入し、桶谷HCは志村の言葉から自分に何ができるかを考えたという。その後、2011-12シーズンに琉球で優勝を飾ってから、岩手、仙台と被災地のチームを渡り歩いた。

「プロスポーツチームとして、成績を残すことは大事だと思います。ただ、勝敗以上のことをバスケットボールを通じて表現することが、我々プロの使命だと思っています」と締めくくった桶谷HC。スポーツの力で希望を届けるという信念は、今も彼の芯に根付いている。

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