Bリーグ公認応援番組
『B MY HERO!』
1990年に発表し、130万枚を記録するヒット曲となった『会いたい』で知られるシンガーソングライターの澤田知可子さん。『会いたい』の歌詞には“バスケット”という言葉も出てくるが、ご自身もバスケット経験者。埼玉バスケットアンバサダーに就任したのは2017年。バスケットの指導歴もあるという澤田さんにバスケットとの歩みや思いを聞いた。
文・写真=田島早苗
――2017年に埼玉バスケットアンバサダーに就任されました。
澤田 私は埼玉県の中学校でバスケットボールを始め、22歳まではスポーツ少年団のチームも教えていました。いつかまたバスケットに恩返しができたらいいなという思いは持っていましたので、お話をいただいたときには、喜んで引き受けさせていただきました。
私は歌手になる前に毎週ライブハウスで歌っていたのですが、その先輩も試合が終わると帰りに寄って、私の歌を聞いてくれました。あるとき私が「歌手を目指してもいいものなんでしょうか」と相談すると、先輩は「俺がお前のファン第一号なんだよ」と言ってくださって。あこがれのスーパースターからファン第一号と言ってもらえたことがうれしくて、「じゃあ、絶対頑張ります」と、先輩の前で宣言したのです。でも、相談した約1週間後に先輩が交通事故で突然亡くなられてしまった。ですから私にとって埼玉のバスケットは『会いたい』の物語なのです。
――『会いたい』とは1990年に発表されたヒット曲。その名曲つながっているのですね。
澤田 私はそういったエピソードを一切語らなかったのですが、作詞家の沢ちひろさんの歌詞に偶然にもバスケットというキーワードが出てきて。ドキッとしましたね。私にとって『会いたい』はずっと奇跡の歌で、この奇跡の歌こそが私の人生を支えてきてくれたし、大きく変えてくれました。『会いたい』を歌ってきたからこそ、おこがましいのですが、埼玉のバスケットに貢献したい、関わらせていただきたいと強く思いました。
――ご自身も経験者ですがバスケットの醍醐味とは何でしょうか?
澤田 一つひとつの動きが美しい。私にとってバスケットは『SHOW TIME』で、「みせる」の「み」は魅了の魅でもあるし、見せるの見でもあると思うのですが、その「みせる」というのはバスケットのテーマなのではないかと感じています。動きやスピード感など、何もかもが美しい。そこに釘付けになりますよね。それと、圧倒的に短い時間の中でギュッと凝縮されているスポーツで、人が応援するための集中力なども含めて理にかなった時間だと思います。
私はNBAも好きで、どこか一つのチームを応援ではなく、マイケルジョーダン(元シカゴ・ブルスほか)やコービーブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)、今だと八村塁さん(レイカーズ)と、時代ごとに登場するヒーローたちを見ています。
私は小学生まではバレーボールをしていました。それこそ関東大会まで行ったので、中学でもバレー部に入ると決めていました。でも、中学でバスケットの練習を見たら本当に美しくてかっこよかった。一気に魅了されて、あっさりキャプテンまでやっていたバレーを捨ててバスケットにいったのです。それこそ恋が終わったかのように新しい恋へと行ってしまった。バスケットに恋したのが中学1年生でした。
『会いたい』という歌にはバスケットというキーワードも入っているので、これからも丁寧に歌っていきたいですし、バスケットプレイヤーのみなさんに向けてのアイコンとなればいいなと思います。そして『澤田知可子も体育会系バラードシンガーなんだ』ということを分かっていただきながら、この歌とともに継いでいきたいですね。同時に埼玉バスケットアンバサダーということをいろいろなところでも言っていきたいです。
――話をお伺いして体育会系だと感じました。
澤田 これはもう35年言い続けているのですが、私は体育会系バラードシンガーだということ(笑) ですから、体育会系がついにアンバサダーになったというところでは、もう本望ですね。